羽田から離陸の全日空機が引き返す 滑走路上のライトに接触か

 

(更新)

航空

 

羽田から離陸の全日空機が引き返す 滑走路上のライトに接触か | NHKニュース | 航空 配信より

 

13日夜、羽田空港を離陸した全日空の旅客機が機材点検のため引き返しました。

 

機体の車輪と滑走路上のライトが接触した可能性が高いということで、全日空が詳しい状況を調べています。

 

全日空によりますと、13日午後8時50分ごろ、羽田空港を出発して山口県の岩国空港に向かう予定だった

 

全日空639便が離陸したあと、機材点検のため、羽田空港に引き返しました。

 

「滑走路周辺のライトに接触した可能性がある」と機体に乗っていたクルーから

 

管制官に連絡があったため調べたところ、滑走路上にあるライトのガラスが割れて飛散していたということです。

 

機体本体や翼などに損傷はないということですが、

 

この便は午後10時前に羽田空港に戻り、その後、欠航になったということです。

 

全日空は機体の車輪と滑走路上のライトが接触した可能性が高いとした上で、詳しい状況を調べることにしています。

機材点検のため引き返した全日空の旅客機を撮影した映像です。

 

旅客機は誘導路に止まっていて、担当者が機体の前方にあるタイヤの辺りをライトで照らし確認する様子がうかがえます。

 

その後、タラップが取り付けられ、午後11時半前には旅客機から次々と乗客が下りて、

 

係員に誘導されながらバスに乗り込んでいきました。

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私のコメント :   令和7年10月14日、13日夜、羽田空港を離陸した全日空の旅客機が機材点検のため引き返しました。全日空によりますと、 令和7年10月13日午後8時50分ごろ、羽田空港を出発して山口県の岩国空港に向かう予定だった全日空639便が離陸したあと、機材点検のため、羽田空港に引き返しました。

 

鳥取の天文台発見の小惑星 戦国武将・吉川経家の名前を命名

 

鳥取の天文台発見の小惑星 戦国武将・吉川経家の名前を命名 | NHKニュース 配信より

 

姉妹都市となっている鳥取市と山口県岩国市にゆかりのある戦国武将、

 

吉川経家の名前を小惑星に名付けたことを記念する式典が鳥取市で開かれました。

 

名付けられた小惑星の名前は、「Kikkawatsuneie」です。

 

この名前の由来となる吉川経家は、戦国時代、豊臣秀吉の兵糧攻めを受けた鳥取城の城主です。

 

その子孫が岩国藩の家老を務めた縁で、

 

鳥取市と岩国市が姉妹都市の提携を結んでから13日で30年となります。

 

これにちなんで、鳥取市にある天文台「さじアストロパーク」が発見した

 

小惑星に命名したことを記念する式典が鳥取市で開かれました。

 

式では、天文台の担当者が

 

▼2000年に小惑星を発見したことや、

 

▼火星と木星の間に位置していることなどを説明しました。

 

この小惑星は、天文台にある口径103センチの大型望遠鏡で撮影して

 

ようやく確認できる小ささだということです。

 

「さじアストロパーク」の相本実副所長は

 

「吉川経家は鳥取市民にとって大事な武将です。宇宙から見守ってくれていると感じてもらえれば」

 

と話していました。

 

 

〇 ことりっぷ 鳥取 倉吉・米子 (旅行ガイド)
昭文社 旅行ガイドブック 編集部/昭文社

〇 鳥取観光スポット15選
あとから屋/

〇 鳥取観光ガイドブック: 絶対に行くべき場所18選
旅ブログ/

〇 永田町おんな太閤記: 総理夫人とっておきの話
小林 吉弥/現代書林

〇 天下を盗る: 総理夫人たちの陰の戦略
小林 吉弥/主婦の友社

〇 新良妻賢母講座―夫のねうち妻のねうち (1968年)
上坂 冬子/文研出版

〇 新総理大臣 石破茂: 彼はどんな政治家?
Ben Yamagata/

〇 鳥取県政の概要 (1950年)
鳥取県総務部知事室企画課/鳥取県知事室企画課

〇 全国遺跡地図〈鳥取県〉―史跡・名勝・天然記念物および埋蔵文化財包蔵地地図 (1982年)

〇 食と酒 吉村昭の流儀 (小学館文庫)
谷口桂子/小学館

〇 関ヶ原合戦全史 1582-1615
渡邊 大門/草思社

〇 大日本古文書〈家わけ第9之1-2,別集〉吉川家文書之1-2,吉川家文書別集(付:石見吉川家文 (1925年)  東京帝国大学文学部史料編纂所/東京帝国大学

〇 吉川広家 (シリーズ・織豊大名の研究4)
光成準治/戎光祥出版

〇 吉川広家公三百年祭記念講演集
井原豊/吉川家編輯所


#給付付き税額控除

#山口県教育情報化推進室

#鳥取城の最後の城主

#吉川経家

#鳥取市と山口県岩国市の姉妹都市提携

#鳥取吉川会

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#鳥取市・岩国市姉妹都市提携30年記念

#吉川広家公400年祭

#岩国市吉川史料館

 

 

 

【第50回旅館100選】栃木県・日光温泉 「日光千姫物語」

ホテル・旅館旅館100選

2025年9月19日
編集部

2025年9月19日(金) 株式会社旅行新聞新社 配信より

 

【第50回旅館100選】栃木県・日光温泉 「日光千姫物語」 – 旅行新聞 – 株式会社旅行新聞新社 配信より

 

特別室

日光ではじまる物語。「千姫気分」を味わう、眺望抜群の和風旅館

 日光東照宮まで徒歩5分の純和風旅館「日光千姫物語」。なかでも「特別室」は、東南向きの窓から望む山と大谷川の大パノラマの眺望が人気。展望ソファでくつろげば、時の経過を忘れてしまうほど贅沢なひとときを過ごすことができるだろう。

 

特別室の展望ソファ

 

月替り懐石膳

 

 料理長が腕をふるう月替り懐石膳は、日光・栃木の旬の食材をふんだんに使用。出汁にまでこだわって心を込めて手作りする料理は、旅行者に極上の思い出を提供するとともに、地域の持続的発展にも貢献している。

半露天風呂付客室

 温泉は、「美肌の湯」とも称される肌にやさしい単純アルカリ泉。美容と健康をテーマに、庭園を望む露天風呂、ジェットバス、高温とミストの2つのサウナ(男性)、テルマーレミストサウナやシルキーバス(女性)などさまざまな施設でリラックスした時間を過ごせる。

「日光千姫物語」全景

□ピアノの生演奏会

 1階の「クラブ九重」では、毎日ピアノの生演奏会を開催している。天井には12星座が美しく輝く空間となっており、夕食後、ライトアップされた庭園を眺めながら落ち着いたひとときを過ごすことができる。19:30~21:00、無料

 

交通:《車》東北自動車道 宇都宮ICから日光宇都宮道路を経由し日光ICより約5分、      P100台(無料)
   《電車》JR 日光駅または東武日光駅からバスで約6 分、総合会館前下車徒歩1 分
チェックin15:00 out10:00
食事:《夕・朝食》部屋食、食事処、ダイニングルーム
部屋:全44室
風呂:男女別大浴場各1、男女別露天風呂(ウッドデッキテラス付)各1、シルキーバス(女性) 男女別ジェットバス各1、男女別ミストサウナ各1、乾式サウナ(男性)
泉質:単純アルカリ泉
料金:2万円〜5万8,000円

〒321-1432 栃木県日光市安川町6-48
☎0288(54)1010 FAX0288(54)0557

http://www.senhime.co.jp/
Wi-Fi:使用可 外国語対応:英・韓・中・台・他

 

 

 ※この記事は、旅行新聞新社主催「第50回プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」に選出された施設で、

 

書籍「2026年度版 プロが選んだ日本のホテル・旅館100選&日本の小宿(BEST100 HOTELS&RYOKANS IN JAPAN)」

 

(自由国民社)に収録されている内容を紹介しています。

ホテル密会問題 前橋市・小川晶市長 市民有志主催の「対話会」に出席「頑張っていきたい」「反省も含めて考える時間をいただきたい」

JNN配信より

 

ホテル密会問題 前橋市・小川晶市長 市民有志主催の「対話会」に出席「頑張っていきたい」「反省も含めて考える時間をいただきたい」(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース 配信より

 

TBS NEWS DIG Powered by JNN

 

部下の既婚男性とホテルで密会していた前橋市の小川市長はきょう、

 

市民の有志が主催した「対話会」に出席し、

 

「頑張っていきたい」などと説明したということです。 

 

前橋市の小川晶市長が部下の既婚男性と

 

10回以上ラブホテルで密会していた問題をめぐり、

 

市内ではきょう、小川市長出席のもと「市民対話会」が開催されました。

 

主催者は「市民有志一同」だということです。 

 

参加した人 

 

「(市長は)『とにかく申し訳ない』ということと、『頑張っていきたい』というような。ちょっと応援する気持ちになりました」 

 

「『市長は孤独なのでそれに耐えなければ駄目です』という意見もあった。(市長に続投の)意欲は感じました」 

 

直前で参加を見送った人 

 

「一部分の人だけ(の集まり)なのかなって。皆さんに聞いてもらうっていうのとは、ちょっと違うかなって」 

 

小川市長はこれまで、自身の進退について、

 

「反省も含めて考える時間をいただきたい」

 

などと話しています。

 

TBSテレビ

 

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スバル企業城下町・太田市、市民参加型ガイドブック「OTA magazine」最新号を発行

レスポンス配信より

 

スバル企業城下町・太田市、市民参加型ガイドブック「OTA magazine」最新号を発行(レスポンス) - Yahoo!ニュース

配信より

 

レスポンス

(写真:レスポンス)

 

群馬県太田市は、市民参加型の地域ガイドブック「OTA magazine vol.6」を発行した。

 

  【画像全4枚】 

 

同誌は太田市民が作る太田市のガイドブックとして、これまでプロの編集者やライター、

 

デザイナーなどを講師に迎え、まち歩きや雑誌づくりのノウハウを学びながら市民とともに作り上げてきた。

 

雑誌づくりに参加した市民ライターは延べ71人にもなり、それぞれの個性を生かして太田の魅力を伝えてきた。 

 

今号の見どころの一つは、対談「SUBARUと歩む、ものづくりのまち太田」だ。

 

太田市では自動車メーカー・SUBARUが100年以上にわたり、その技術と精神をはぐくんできた。

 

まちと企業が互いに共鳴し、高め合うユニークな関係性について、

 

SUBARUでモータースポーツプロジェクトを担う本井雅人さんと

 

自動車ライターで太田市議会議員でもある高野博善(ペンネーム:マリオ高野)さんが語っている。

 

 6冊目となる今号では、9人の市民ライターが制作のためのワークショップに参加。

 

当マガジン史上初の試みとなる、市外在住者を対象とした誌面連動型「太田市ツアー」を企画・開催した。

 

「多文化共生」と「粉ものグルメ」の2つのモデルコースを用意し、市民ライターがナビゲーターとして参加者をご案内した。 

 

その他にも太田市の魅力が盛りだくさんで、

 

市民ライターがそれぞれのまちの推しを紹介する「太田のトリセツ」、

 

東武トップツアーズ×おおた6ラボ「子ども体験プログラム」への潜入レポート、

 

ふるさと納税返礼品の紹介などが掲載されている。

 

 編集長のキラユキエさんは「たくさんの方の力をお借りして、Vol.6が完成しました。OTA magazineのおかげで太田市の解像度が上がり、太田市のファンが増えているのを感じます」とコメントしている。 

 

同誌は太田市ホームページから閲覧できるほか、市役所本庁舎や行政センターなど、市内各公共施設で無料配布している。

 

発行部数は3万6000部。

 

レスポンス レスポンス編集部

 

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満徳寺資料館で千姫展 太田 大河実現へ28年ぶり 

読売新聞 配信より

 

群馬:満徳寺資料館で千姫展 太田 大河実現へ28年ぶり :地域ニュース : 読売新聞 配信より

 

 徳川家康の孫の千姫と、江戸時代に「縁切寺」として知られた太田市徳川町の満徳寺ゆかりの品を集めた企画展「千姫と満徳寺」が4日、同寺跡地の市立縁切寺満徳寺資料館で始まる。同館が千姫をテーマにした企画展を開くのは28年ぶり。千姫が主人公のNHK大河ドラマの実現を目指して連携する茨城県常総市の千姫の 菩提

 

 

ぼだい 寺の協力も得て、計13点を展示する。

 

 千姫は江戸幕府2代将軍秀忠の娘。幼くして豊臣秀頼と結婚し、豊臣家が滅んだ大坂夏の陣で大坂城の落城前に助け出された。

 その後、千姫は豊臣家との縁を切るため、尼寺の満徳寺に入門。寺は幕府に縁切寺として認められ、1872年(明治5年)に廃寺になるまで男女差別が厳しかった時代に多くの女性を救済したという。

 

 この寺の跡地を利用した資料館は千姫ゆかりの品を所蔵し、1997年にも「千姫展」を開催した。

 

 今回は太田市が昨年9月、千姫を主人公にしたNHK大河ドラマの実現を目指す自治体でつくる団体に加わったことから誘致活動を盛り上げようと開催を決定。千姫が大坂から持ち帰ったとされる愛用の切り金細工「伝千姫遺愛の愛染明王」やその姿を今に伝える「千姫姿絵」の複製画のほか、菩提寺の弘経寺から借りた千姫が家康から贈られ、実際に使っていたとされるすずり「双龍紋硯(紫龍石の硯)」など同寺所蔵の品7点を展示する。

 

 企画担当の福島繁さん(46)は「この機会に歴史的な資料をぜひご覧いただきたい」と来場を呼びかけている。

 

 12月14日まで。午前9時30分~午後5時。入館料は一般200円、中学生以下無料。原則月曜休館。問い合わせは、同館(0276・52・2276)へ。

 

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いまどき島根の歴史

第117話 津和野藩主 酒井出羽守

矢野 健太郎 専門研究員

(2024年4月3日投稿)

 

 津和野藩主というと亀井家を思い浮かべる方が多いのではないかと思います。

 

しかし、江戸時代最初の藩主は「坂崎出羽守直盛」《さかざきでわのかみなおもり》です。

 

直盛は宇喜多家の出身でしたが、家督相続争いで家を離れて徳川家康に仕え、

 

関ヶ原の戦いの功績で津和野藩主となり、坂崎を名のりました。

 

津和野においては、城の大改築や城下町の整備などに力を注ぎ、近世の津和野の基盤を作ったとされています。

 

 その後、大坂の陣においても、家康の孫で豊臣秀頼の妻であった千姫を

 

家康のもとまで護送するなどの功績を上げました。

 

しかし、1616年、千姫と本多忠刻《ただとき》との婚姻の際に、

 

千姫を奪おうとしたとされる「千姫事件」の後に死去し、坂崎家は断絶となりました。

 

 そして、つぎの津和野藩主が亀井政矩《まさのり》でした。

 

写真の古文書は、津和野藩主が坂崎家から亀井家へと替わる際に作成されたもので、

 

①は元和3年(1617)に亀井家が預かった武具等の目録、

 

②は元和5年にこれらの武具等が亀井家から「酒井家」へ引き渡された際の請取書と考えられる古文書です。

 

①酒井出羽守城鉄炮并武具目録(古代出雲歴史博物館蔵)
②[酒井出羽守武具其外請取状](古代出雲歴史博物館蔵)

 

いずれの文書にも冒頭に「酒井出羽守」と書かれています。つまり、大名の公的な文書のなかで酒井出羽守の名称が使用されているのです。

 

 当初、津和野藩主は坂崎家だと思っていた私には「酒井」は疑問だったのですが、少し調べてみると、『津和野町史』でも後年の編纂《へんさん》史料などで酒井を名乗ったということが紹介されています。

 

また、山口県文書館所蔵の「豊石御預り地石高其外」という幕末期の史料には「大坂陣之時、出羽守功名あり、此時坂崎を改めて酒井を賜り、酒井出羽守と言」との記述があり、大坂の陣での功績により酒井姓を賜ったとされています。

 

一方で、幕府の史書である『徳川実紀』の千姫事件の記述には「石見国津和野城主坂崎出羽守孝親」(孝親は誤りかと思われますが詳細は不明です)とされており、酒井出羽守を名乗っていたかどうかは定かではありませんでした。

 

 しかし、今回紹介した史料は元和期の一次史料であることから、当時の人々が自他ともに酒井出羽守であると認識していたことが明らかになったといえるでしょう。

 

また、受け渡しが行われた武具は、大砲・銃など1020丁、弓545丁、鑓《やり》545本などであったことからすると、元和5年においても、断絶したとされる坂崎家こと酒井家が何らかの形で存続していた可能性も考えられます。

 

深まるばかりの「酒井出羽守」の謎について、今後も追跡していきたいと思います。

 

 

〇 香淳皇后のご生涯と作品 追悼展 [図録]
日本赤十字社 (編),朝日新聞社 (編)/朝日新聞社

〇 上皇陛下と美智子さま 90年の歩み (TJMOOK)
宝島社

〇 小泉信三―天皇の師として、自由主義者として (中公新書)
小川原正道/中央公論新社

〇 小泉信三エッセイ選 2 私と福澤諭吉
小泉 信三,山内 慶太,神吉 創二,都倉 武之,松永 浩気/慶應義塾大学出版会

〇 福沢諭吉の横顔 (Keio UP選書)
西川 俊作 /慶應義塾大学出版会


#阿部俊子文部科学大臣

#山口県教育情報化推進室

#給付付き税額控除

#JICA・萩市

#香淳皇后実録

#防府市観光振興課

#萩市長

#萩市・前橋市

#花燃ゆ・前橋市

#毛利重就公生誕300年記念スタンプラリー

鳥取城のパンフレット

 

鳥取市教育委員会文化財課によって作成された鳥取城の公式パンフレットです。

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課
城の歴史
戦国時代の鳥取城
 城は、16世紀中頃、守護大名山名氏一族の争いの過程で誕生しました。はじめは因幡山名氏の守護所の出城でしたが、1573年(天正1)、山名豊国(やまなとよくに)は本拠地を湖山池東岸の天神山城より移転し、以後、鳥取城は因幡国(鳥取県東部)の拠点となりました。やがて、毛利氏の傘下となり、天下統一を目指す織田信長の武将・羽柴(のちの豊臣)秀吉との間で壮絶な籠城戦が繰り広げられました。
 この頃の城の姿は、戦闘時は山城を利用し、通常の居住空間は山麓にありました。敵が登りやすい尾根には、尾根を切り盛りして平らな敷地を造り、その周囲に切岸(きりぎし)と呼ぶ急な斜面を造り防御としました。まさに城の字のごとく、"土から成る"城であり、城と言えばイメージされる石垣や天守はなかったと考えられています。
日本十大籠城戦 鳥取城の兵糧(ひょうろう)攻めと太閤ヶ平(たいこうがなる)
 天下統一を目指す織田信長は、1580・81年(天正8・9)の2度にわたり、羽柴(のちの豊臣)秀吉を総大将とし、毛利方の最前線であった鳥取城を攻めました。2度目の城攻めの際、籠城した吉川経家(きっかわつねいえ)に対し、秀吉は、織田信長の指示に従い、圧倒的な兵力で包囲網を敷き、一切の補給路を断つ「兵糧攻め」を行いました。これに耐えた鳥取城ですが、やがて兵糧も尽き果て場内は悲惨な状況に陥ったと言われています。ついに吉川経家は、城内で共に戦った部下や、城に避難した民衆の命と引き換えに自刃し、城は開城しました。
 この戦いは、鳥取の「渇(かつ)え殺し」と呼ばれ、秀吉の天下統一の布石となる重要なものとなりました。
 秀吉の本陣は太閤ヶ平(P13・14参照)と呼び、現在でも当時の土塁(どるい)や空堀(からぼり)がほぼ完全な形で残っています。
安土桃山時代の鳥取城
 兵糧攻めの後、新たに城主となったのは、豊臣秀吉の側近として活躍した宮部継潤(みやべけいじゅん)でした。彼は鳥取城に石垣や天守を築き(近世城郭)、城の姿を一新したとされます。息子の長房(ながふさ)は、1600年(慶長5)の関ヶ原合戦で西軍に与したため、鳥取城は、東軍の鹿野城(鳥取市鹿野町)主、亀井茲矩(かめいこれのり)や竹田城(兵庫県朝来市(あさごし))主、赤松広秀(あかまつひろひで)(斎村政広(さいむらまさひろ))などの攻撃を受け、徹底抗戦の末に開城しました。
提供:鳥取市教育委員会文化財課
江戸時代の鳥取城
 関ヶ原合戦後には、池田長吉(いけだながよし)が入ります。長吉は姫路城を築いた池田輝政(てるまさ)の弟で、鳥取城は姫路城とともに、西国の豊臣系大名の抑えを担いました。
 しかし、1615年(元和1)、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると池田家は転機を迎えます。1617年(元和3)、姫路城主池田光政(みつまさ)は所領減封のうえ、因幡伯耆(いなばほうき)32万石の領主として鳥取へ転封となり、現在の鳥取県域とほぼ同じ鳥取藩が誕生しました。
 鳥取城は宮部時代から5、6万石規模の大名の居城に過ぎなかったため、池田光政は山麓を32万石の政庁として整備しました。
 1632年(寛永9)、岡山城主池田忠雄(ただお)の死去に伴い、3歳の光仲(みつなか)が家督を継ぐと、幕府は従兄弟・光政との国替を命じました。以後、鳥取城は光仲を藩祖とする鳥取池田家12代の居城となり、国内有数の大藩の政庁として存続しました。
提供:鳥取市教育委員会文化財課
近代の鳥取城
 明治維新の後、1873年(明治6)の廃城令(はいじょうれい)では、鳥取城は軍事的な必要性が認められ、建物の多くも陸軍の施設として再利用されました。しかし、国内の治安が安定すると、陸軍の撤退が決定し、1879年(明治12)に不要となった建物のほぼすべてが撤去されました。
 城跡はその後、三ノ丸や籾蔵(もみぐら)跡が学校用地として転用されたほか、扇御殿(おうぎごてん)跡に宮廷建築の第一人者である片山東熊(かたやまとうくま)の設計による仁風(じんぷう)閣(かく)(国重要文化財)が建てられました。大正時代になると、市民から要望を受けた旧藩主鳥取池田家によって久松公園(きゅうしょうこうえん)が整備されました。設計は、明治神宮外苑(めいじじんぐうがいえん)(東京都新宿区)の設計者でもある折下吉延(おりしもよしのぶ)でした。
現在そして未来の鳥取城
 大正期以降、久松公園として親しまれた鳥取城跡ですが、1943年(昭和18)の鳥取大地震(震度6、死者1210名)によって城跡も大きな被害を受けました。
 翌年、旧藩主鳥取池田家は、震災の復興に立ち向かう市民を勇気づけるため、鳥取城跡を鳥取市に寄贈します。城跡の保存の意志を引き継いだ市は、国史跡指定を契機として、石垣の修理を中心に城跡の保存と活用に取り組んでいます。2006年(平成18年)には、建物復元を含めた長期的な整備計画を策定し、現在、城の正面玄関にあたる大手登城路の復元整備に取り組んでいます。
提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

 

提供:鳥取市教育委員会文化財課

冊子配布場所

パンフレットの現物は以下の場所で配布されています。

  • 鳥取城跡周辺:仁風閣、鳥取県立博物館、とっとり観光ガイド友の会「きなんせい家」
  • 太閤ヶ平登山口:鳥取市歴史博物館
  • 鳥取駅周辺:鳥取駅構内観光案内所、まちパル鳥取(鳥取市国際観光物産センター)
  • 鳥取砂丘周辺:砂の美術館
  • 鳥取市役所、本庁舎総合窓口、第2庁舎4階文化財課
  •  
私のコメント :  令和7年10月5日、山口県 岩国市 吉川広家公没後400年祭、並び、山口県 萩市 毛利輝元公没後400年祭、山口県 防府市 長州藩7代藩主 毛利重就公生誕300年祭、並び、上皇后美智子陛下におかれては、ご成婚 まもなくの当時に ご勉学に山口県、ご来県における 学事内容 等 一連の経緯に関しても、当家が、当時、ご対応を 上皇后美智子陛下のもとに させていただいていた内容が 私には、あり、よって、現在に至り、私が作成した 山口県 岩国市 吉川史料館 主任 学芸員 に送信をしている 一連の経緯 説明書面 もとにし、山口県 岩国市 吉川史料館 主任 学芸員と私は、対談をしている。
 
 
 
 
 

大正天皇が皇太子時代に宿泊した洋館、鳥取・仁風閣「令和の大修理」

朝日新聞配信より

 

大正天皇が皇太子時代に宿泊した洋館、鳥取・仁風閣「令和の大修理」(朝日新聞) - Yahoo!ニュース 配信より

 

工事で取り外されたシャンデリアを見学する参加者=2025年9月28日午前10時28分、鳥取市、富田祥広撮影

 

鳥取城跡(鳥取市)に明治時代に建てられた洋風建築「仁風閣」で、大がかりな保存修理工事が進められている。

 

118年前の建築時の姿をよみがえらせる「令和の大修理」。

 

長期休館中の仁風閣で工事現場の一般見学会が1日限定であり、地域住民や文化財ファンら約250人が参加した。

 

  【写真】保存修理工事が進められている仁風閣=2025年9月22日午前10時26分、鳥取市、富田祥広撮影  

 

「明治時代の材料をできるだけ残し、腐った部分だけを取りかえます。

 

床板なども取り外し、詳しい調査もします。いわば建物の健康診断です」  

 

9月28日の見学会。

 

参加者は鳥取市教育委員会の担当者の説明を聞きながら、

 

床板や壁板が取り外された室内や積み上げられた木材などを写真におさめた。

 

建築時から使われていたシャンデリアなどが保管されている倉庫も見学した。  

 

市内の小学5年、稲田将士さん(11)は両親と一緒にやってきた。

 

「工事が始まる前に見学した時はボロボロだった。シャンデリアや木材がきちんと残されて、

 

きれいになった建物を見るのが今から楽しみ」と話した。  

 

仁風閣は1907(明治40)年、当時の皇太子(のちの大正天皇)の山陰行啓の際に、

 

旧鳥取藩主の池田家が皇太子の宿泊施設として建築した。

 

ルネサンス様式を基調とした意匠の木造2階建てで、49(昭和24)年以降は

 

鳥取県立科学博物館として使われた時期もあった。  

 

73年に市が所有し、同年に国の重要文化財に指定されたことを受け、

 

市は74~76年に「昭和の大修理」を実施。

 

雨漏りなどで腐朽した木材を取りかえ、地震で崩壊していた煙突も復旧した。  

 

それから50年。建物全体で雨漏りや外壁などの腐朽が進み、内部で落下物も確認されるようになった。

 

そこで市は、国との協議を経て2020年に修理計画を策定。23年末から休館し、

 

29年度中の公開再開をめざして保存修理工事を進めている。  

 

令和の大修理では、屋根の小屋組みを解体し、建物全体の腐朽部分を修繕。

 

外壁の塗装もすべて塗り直し、内装・外観ともに建築当時の姿をよみがえらせる。  

 

市教委の担当者は「想定以上に腐朽している所も見つかった。

 

昭和の大修理を経て現代に託された仁風閣を保存修理し、次の世代につないでいきたい」と話している。

 

(富田祥広)

朝日新聞社

 

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浜田市は新人3つ巴 大田市は現職と新人の一騎打ち 両市長選挙が告示 島根県浜田市・大田市

日本海テレビ配信より

 

浜田市は新人3つ巴 大田市は現職と新人の一騎打ち 両市長選挙が告示 島根県浜田市・大田市(日本海テレビ) - Yahoo!ニュース 配信より

 

日本海テレビ

 

任期満了に伴う浜田市と大田市の市長選挙が12日に告示されました。 

 

浜田市長選挙に立候補したのは、

 

いずれも無所属の新人で、元浜田市議の三浦大紀さん(45)元浜田市議の西川真午さん(59)、ケアマネージャーの有田康夫さん(63)の3人です。 

 

現職の久保田市長は今期限りでの勇退を表明していて、3つ巴の選挙戦に突入しました。 

 

また、大田市長選挙に立候補したのは

 

無所属の新人で元社会福祉法人理事中村学さん(61)、無所属の現職で3期目を目指す楫野弘和さん(70)の2人でこちらは現職と新人の一騎打ちとなっています。 

 

両市長選挙はいずれも10月19日に投開票されます。

 

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 任期満了に伴う島根県津和野町長選と町議補選(補欠定数2)が14日、告示される。

 

町長選には、5選を目指す無所属現職の下森博之氏(60)と

 

無所属新人でNPO法人代表理事の矢上亜津子氏(41)が立候補を表明しており、

 

一騎打ちとなる公算が大きい。

 

町議補選には、新人1人、元職1人の計2人が立候補を予定し、無投票になる可能性がある。

 

選挙になった場合は19日に投開票される。

 

私のコメント :  令和7年10月13日、任期満了に伴う島根県津和野町長選と町議補選(補欠定数2)が令和7年10月14日、告示される。