「裸はいけない」「女神像にしろ」平和祈念像作者を襲った誹謗中傷、アトリエに投石も それでも貫いた情熱
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「裸はいけない」「女神像にしろ」平和祈念像作者を襲った誹謗中傷、アトリエに投石も それでも貫いた情熱(withnews by 朝日新聞) - Yahoo!ニュース 配信より
誹謗中傷でアトリエに投石
井の頭自然文化園が配布している「北村西望と井の頭自然文化園の彫刻」という小冊子によると、当初持ち込まれたのは「記念碑」の制作でしたが、北村さんが「像でなければ説得力がない」と強く主張した結果、平和祈念像を作ることになったそうです。
制作する像の大きさは32尺(約9メートル70)。実寸大の原型像は大きすぎて北区のアトリエでは制作が不可能だったため、東京都に相談し、井の頭公園に隣接する井の頭自然文化園の土地を使うことを許可されました。 北村さんはそこに当時の木造建築では限界に近い高さのアトリエを建て、そこで実寸大の原型作りに取り掛かったのです。
北村さんは「たくましく、力感あふれる男性像」を得意としていました。 雨宮さんによると「細部までリアルにこだわって作るというよりも、デフォルメも効かせ、大胆に形を捉えて力強さを表現しました。平和祈念像はそうした作風がよく表れています」。
北村さんは1年半かけて何十回もひな型を試作し、最終的な像の構想を固めました。しかし、「女神像のほうが良かった」「裸はいけない」などと誹謗(ひぼう)中傷を受け、アトリエに石を投げつけられたことさえあったそうです。
しかし、北村さんは思いを貫き、「孫子の代までかけてでも完成させたい」とまでこだわり、像を完成させました。
完成した原型は104個のブロックに分割され、東京都板橋区に建てた工房に送られて鋳造されました。
「作者がこめた情熱」感じて
北村さんはなぜこの像の完成にこだわったのでしょうか。
雨宮さんは「平和祈念像は北村西望にとって最大の仕事だったはず。だからこそ自分の最も得意とする男性の肉体の像を作ろうと思ったのではないでしょうか」と推察します。
北村さんが実際に原型を作ったアトリエが現在も残されていると聞き、訪ねました。
アトリエは原型がある彫刻館A館の隣にあります。 当時、像の上部を作るために使っていた昇降機も残っていました。
10メートル以上ある天井のアトリエには冷房がなく、熱気がこもっていました。 一歩足を踏み入れた瞬間、汗が噴き出すほどでした。 汗だくになりながら一心不乱に像を作っていた北村さんの姿が目に浮かびました。
雨宮さんによると、戦後の北村さんの彫刻作りには大きな特徴があったそうです。
戦前の北村さんは、まず木材で芯を作ってその上に粘土像を作り、粘土像をもとに石膏(せっこう)像を作り、さらにその石膏像を使ってブロンズ像を鋳造する方法をとっていました。
石膏のパートは専門の職人が担っていましたが、戦時中に北村さんが東京から埼玉県に疎開。
職人を呼ぶことも難しくなったことから、粘土像を作る工程を省略し、木や竹でこしらえた芯に自分で石膏を塗りつける「石膏直付け法」という手法を編み出しました。
平和祈念像にもこの手法が使われています。 原型に近づいてみると、表面はなめらかではありません。雨宮さんによると、北村さんが固まった石膏をノミで彫ったあとや、あとから石膏を盛り足したあとがよく見えるといいます。
雨宮さんは「作った人の手を感じることができるはず。その熱意や息づかいまで感じ取ることができるかもしれません」と話します。
「原型を間近で見て、北村西望という芸術家がどんな思いでこの像を作ったのか、モニュメントとして見慣れた像が、人間が情熱をこめて作ったものなのだと実感してもらえたら」
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