「図書館の運営」だけではない?IT企業のプロマネや医療現場の改善にも役立つ「図書館情報学」の奥深い世界
慶應義塾大学・池谷のぞみ教授インタビュー
長谷川幸光: ダイヤモンド社編集委員/クリエイティブディレクター
「図書館の運営」だけではない?IT企業のプロマネや医療現場の改善にも役立つ「図書館情報学」の奥深い世界 | ネクストリーダーの道標 | ダイヤモンド・オンライン 配信より
Photo:Ryan McVay /gettyimages
日々膨大な情報に触れるビジネスパーソンにとって、「情報を整理し、活用する力」は不可欠なスキルです。そこで注目したいのが「図書館情報学」。
一見、自分たちとは縁遠く感じるかもしれない学問ですが、膨大なデータの活用から組織のあり方まで、実はその守備範囲は驚くほど広いのです。身近な「図書館」の運営だけでなく、IT企業のプロジェクトマネジメント、さらには救急医療の現場改善と、現代社会の課題を解決する鍵を握っています。
今回、慶應義塾大学の池谷のぞみ教授(図書館・情報学専攻)に、図書館情報学の奥深い世界と、ビジネスにも応用可能な知見についてお話を伺いました。
(文・編集/ダイヤモンド社 編集委員 長谷川幸光、協力/藤田かほ)
図書館情報学の専門家が
注目する「5つの図書館」
――昨今の図書館には、個性的な取り組みをしているところが増えている印象です。先生が注目している図書館をいくつか教えてください。
たくさんありますが、5つご紹介しましょう。1つめは、埼玉県の県立久喜図書館です。
この図書館は、健康や医療に関する情報サービスに非常に力を入れています。癌(がん)に関するフェイク情報があふれる昨今、信頼できる情報の探し方をまとめたリサーチガイドを作成したり、患者グループと連携して講演会や展示を行ったりと、質の高い情報を届けるために地道な活動を続けています。
本の提供だけでなく、人々と、地域の医療機関や患者グループをつなぐ、ハブとしての役割を果たしている好例です。
2つめは、長野県の市立小諸図書館です。
こぢんまりした図書館ですが、最大の特徴は、設立の構想段階から、市民が主体的に関わってつくられたことです。市民が「こういう図書館がほしい」と声を発し、図書館で活動しているうちに、市の人たちと一緒につくることになり、驚くことに、結果的にその方々が組織をつくって指定管理者として運営しているんです。
池谷のぞみ(いけや・のぞみ)
慶應義塾大学教授(図書館・情報学専攻)。専門はエスノメソドロジー、情報行動、知識の社会学、サービスデザイン。さまざまな営みについて、営みに関わる人々の視点から理解することにこだわる「エスノメソドロジー」という学際的なアプローチをとって研究。人々が想起もしくは共有する知識を行為から切り離さずに理解することで、組織や集団における知識の共有や創造、継承などの問題を考察することに関心を持ち、図書館や病院、企業などでフィールドワークを実施してきた。組織学習やコミュニケーション、サービス・デザイン、テクノロジーのデザインなどの考察にも応用。
図書館といえば、シーンとした静かな空間の印象ですが、ここでは基本的におしゃべりOKで、週末にはコンサートを開催したりと、住民同士の交流の場としてうまく機能しています。
また、本の並べ方も独特で、日本十進分類法(※)を基本としつつも、「教育・子育て」「技術・暮らし・手芸」といった、利用者の興味を引くような見出しを工夫し、本との偶然の出会いが楽しめる設計となっています。
※図書館の本は、分野によって分け、0から9の数字を振った、「0総記」「1哲学」「2歴史」「3社会科学」「4自然科学」「5技術」「6産業」「7芸術」「8言語」「9文学」の順で並べていることが多い
――たしかに、「静かな空間が苦手」という人は意外と多いですし、書店でも本の並べ方がユニークですと訪れるだけで楽しいですね。
そうですね。静かな部屋もあるので、そのあたりのメリハリもよく考えられています。
――図書館の本の並べ方は、日本十進分類法に沿わないといけないという決まりがあるわけではないのですね。
決まりはないのですが、図書館員が本を管理することを考えると、分類法にのっとったほうが管理はしやすいですよね。本を探すときとか、本を戻すときとか。でも、利用者からすると、そうとも限らない。潜在的に「図書館の都合で並べられても」と感じていたかもしれない。ですので、そこを工夫するというのも大切ですよね。
3つ目は、鳥取県立図書館です。「課題解決支援」を明確に打ち出しているのが特徴です。
「図書館は、子ども、学習者、時間に余裕がある人が行くところ」というイメージを覆し、ビジネスの支援、起業の支援、農業の支援、法律情報の提供、就労サポート、関係機関への橋渡しなど、県民が抱えるさまざまな課題の解決につながるような情報提供を積極的に行っています。
(中略)
多様な学問が交差する
「知のインターセクション」
――こうした、図書館情報学を専門的に学ぶことのできる大学は、全国にどのくらいあるのでしょうか。
多くの大学では、図書館情報学の専門教員が在籍し、さまざまな学部の学生が履修できる「司書課程」として授業が設置されています。
しかし、この分野を授業だけでなく、「専門課程」としてより深い研究・教育を行っている大学はそれほど多くありません。例えば、筑波大学、東京大学、京都大学、中央大学、同志社大学、そして私たちの慶應義塾大学などです。特に、大学院レベルで専門的な研究に力を入れているところは、例えば関東では、筑波大学、東京大学、慶應義塾大学などに絞られてきます。
――慶應では、文学部の中に「図書館・情報学専攻」がありますね。
はい。一見すると、文学部とは関係ないように見えそうなので、不思議に思われるかもしれませんね。
――ほかの大学では違うのですか。
東京大学では教育学部の中にあります。筑波大学は、図書館情報大学という独立した大学が筑波大学と統合した経緯もあり、情報学群、つまりコンピューターサイエンスに近い領域の中にあります。そういう意味では、文学部の中にあるというのは非常にユニークだと思います。
しかし、考えてみてください。今、デジタルアーカイブという取り組みが各分野で進んでいます。歴史的な文書や美術品など、さまざまな文化史料を、いかにして知識として組織化し、誰もが利用できるように見せていくか。その対象となる史料のほとんどは、人文科学や社会科学、つまり文学部が扱う学問領域のものなんです。
人文系の「知の集積地」である文学部にいることで、個人や組織で生産された経験や情報といった知を、どう構造化し、未来に継承していくかという課題に、より深く取り組むことができる。文学部の中にいることのメリットは、今後ますます大きくなっていくと確信しています。
――18歳ぐらいの方が、図書館の重要性を感じて入学してくるというのは、何だか頼もしいですね。
もちろん、卒業生全員が図書館員になるわけではありませんが、中には、著名な大学の文学部を蹴ってまで、どうしてもこの分野を学びたいと強い意志を持って入学してくれる学生もいますよ。
――学部だけでなく、大学院もありますが、こちらは、図書館関係者だけでなくとも研究できるのでしょうか。
私たち慶應義塾大学の大学院には、大きく分けて2つのプログラムがあります。1つは、昼間に開講している修士課程「図書館・情報学専攻 図書館・情報学分野」です。
もう1つが、社会人向けのリカレント教育を目的とした「情報資源管理分野」のプログラムです。こちらは20年ほどの歴史があります。平日の夜間と土曜日に開講しており、図書館関係者だけでなく、そうした領域に強い関心を持っている方や、IT業界や出版業界など、広く情報関連の仕事に従事している方が、より専門的・現代的な知識を学ぶために在籍しています。
――なるほど、IT業界の方もいらっしゃるのですね。データサイエンスやコンピュータサイエンスの領域でも役立つということでしょうか。
そうですね。私たちの学問は、いわゆるデータサイエンスやコンピュータサイエンスとは少し違うものの、情報流通や情報管理、デジタルアーカイブといった領域に関心のある方、「情報を組織化すること」をあらためて体系的に学びたい方には、きっと多くの発見があるはずです。
――図書館情報学の最大の魅力は何でしょうか。
なかなか一言で言い表すのは難しいですが、あえて言えば、「多様な知の交差点(インターセクション)」であることだと思います。
図書館情報学には、それ自体が持つ中核的な理論や技術もありますが、魅力は当然、それだけではありません。多様な背景を持つ人々が、「知識」「情報」「図書館」「読書」といった共通の関心事を接点として交わる、学際的なフィールド。それがとてもおもしろいんですよ。
私のように社会学的な視点から組織の知識マネジメントに関心を持つ者もいれば、歴史学の視点から過去の情報流通を研究する者、情報科学の視点から検索技術を開発する者もいます。実際に、大学院にもさまざまな学部出身の学生が集まってきます。
情報が氾濫し、その価値が見えにくくなっている現代だからこそ、情報から人間と社会の関係を深く見つめ直すこの学問の重要性は、ますます高まっていくはずです。



