「大学の選別は不可避」 日本女子大学長が考える女子大の存在意義
毎日新聞2025/10/9 06:01(最終更新 10/9 06:01)有料記事3267文字
限界大学:「大学の選別は不可避」 日本女子大学長が考える女子大の存在意義 | 毎日新聞 配信より
多様性に対する考え方が広がり、男女の垣根も低くなった。
そんな現代に、女子大の存在意義はどこにあるのだろうか。
建築家でもある日本女子大の篠原聡子学長に聞いた。
【聞き手・斎藤文太郎】
――女子大を巡る現状をどう見ていますか。
◆「女子大」とひとくくりで評価されるが、各大学の個性は異なる。
リベラルアーツ(教養)志向の学校も、職業教育を重視する学校も、
理工系学部に強みを持つ総合大学もある。
女子大に対する風当たりの強さは感じているが、
日本女子大は学生の満足度が高く、「伸び伸びと学べる」
「自分の専門分野に専念することができる」と評されている。
世間の評価と、そうした学生の評価のずれは一体何だろうと考えている。
「女性であることから自由になれる」
――女子大には「良妻賢母を育てる場所」というイメージがあるのではないでしょうか。
◆確かに少なくとも戦前は、いかに「支える存在」として女性を教育するかというのが
多くの女子大のミッションだったと思う。しかし、どの時点で変わったかは難しいが、
女子大は徐々に「女性であることから自由になれる空間」になった。
私は建築の仕事を長くしてきた。
この業界は男性ばかりで、初めての現場だったつくば科学博(1985年)では
職人から「お姉ちゃんは紙と鉛筆で飯を食えるからいいよね」と言われた。
しかし、だからといって、女性だから何かをしなければならないとか、
女性だからこういう振る舞いが必要だ、ということは考えなかった。
それは女子大で学んだ経験があったからだ。
――女子大の存在意義は何でしょう。
…
私のコメント : 令和7年10月9日、多様性に対する考え方が広がり、男女の垣根も低くなった。現代に、女子大の存在意義はどこにあるのだろうか。その学事内容に対し、日本女子大の篠原聡子学長が、毎日新聞に述べられている。
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「香淳皇后実録」公開 宮中で“電波探知機の部品作り” お妃教育や戦時中の素顔も 17年かけ完成 宮内庁
JNN配信より
「香淳皇后実録」公開 宮中で“電波探知機の部品作り” お妃教育や戦時中の素顔も 17年かけ完成 宮内庁(TBS NEWS DIG Powered by JNN) - Yahoo!ニュース 配信より
TBS NEWS DIG Powered by JNN
昭和天皇の后・香淳皇后の生涯を後世に伝える「香淳皇后実録」がきょう(9日)公開されました。
17年の作業を経て完成し、新事実も明らかになっています。
「香淳皇后実録」はきょう(9日)公開され、宮内庁のホームページで午前9時半から全文を閲覧できます。
「実録」がウェブ上に公開されるのは初めてです。
■香淳皇后について 香淳皇后は、上皇さまの母で、天皇陛下の祖母にあたります。
1903年、久邇宮家の長女として生まれ、当時皇太子だった昭和天皇と結婚。
戦争を経験したのち、新憲法下で「象徴」となった
昭和天皇の后として激動の時代を歩み、2000年に97歳で生涯を終えました。
■新事実も公開 「実録」には、戦時下の香淳皇后の様子も詳細に記されていて、中には新たに公表された事実もあります。
たとえば、1944年11月から1945年6月まで、香淳皇后が
レーダーを探知する兵器などに使われる部品(グリッド)をたびたび製作していたことが記述されています。
当時は、全国各地で「勤労動員」により兵器の部品(グリッド)を作っていたことから
宮廷に仕える女官たちも同様に製作にあたっていて、
香淳皇后が皇居内の防空施設「御文庫」などでその作業を手伝っていたとみられています。
宮内庁によりますと、製作時期などの詳細まで含めると初公表の記述もあるということで、
こうした動静から、
「戦時中に全国的に広がっていた労務が宮中にまでおよんでいたこと」
がうかがえるということです。 また、
▼戦争の傷病者に対し、たびたび病院で慰問をしたり義眼・義肢や包帯を贈ったこと、
▼陸軍から取り寄せた兵士のための食事を昭和天皇とともに食べて現場の痛みに思いを馳せたこと、
▼1944年、集団学童疎開の際、子どもたちにビスケット41万枚以上を贈ったことなどを改めて記載。
このほか、香淳皇后が結婚前、皇室入りに向けてピアノやフランス語、
和歌などの“お妃教育”を受けた詳細なども記されています。
■本の概要 全13冊(凡例含む)計3828ページ。皇室の方々には製本された状態で贈られました。
表紙は、香淳皇后のお印(シンボルマーク)「桃」にちなんで桃色です。
資料収集は、側近の日記や関係者への聞き取り、
当時の新聞記事などをもとに行われたということです。
「実録」が完成したのは、2014年の「昭和天皇実録」以来11年ぶり。
宮内庁書陵部が2008年から製作を開始し、
17年にわたる資料収集・編さんなどを経て、きょう(9日)の公開に至りました。
TBSテレビ
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