長崎市の外国人捕虜収容所跡地で犠牲者を追悼、父が捕虜だった参列者「この碑は和解の象徴」…記念碑に献花

読売新聞配信より

 

長崎市の外国人捕虜収容所跡地で犠牲者を追悼、父が捕虜だった参列者「この碑は和解の象徴」…記念碑に献花(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース

 

読売新聞オンライン

追悼記念碑に献花する元捕虜の遺族ら(13日、長崎市で)=坂口祐治撮影

 

太平洋戦争中、旧日本軍が外国人兵士を収容した長崎市香焼町の

 

「福岡俘虜収容所第2分所」跡地で13日、犠牲者を追悼する式典が行われた。

 

参列者は亡くなった捕虜の名前が刻まれた記念碑に花をささげ、冥福を祈った。

 

  【写真】被爆後の福岡俘虜収容所第14分所付近(米軍撮影、長崎原爆資料館所蔵)

 

同分所は1942年に設置された。オランダ、米、英、オーストラリアの捕虜を最大で約1500人収容。

 

終戦までに73人が亡くなったとされ、被爆者団体などが2015年に記念碑を建てた。

 

戦後80年となる今回の式典には、オランダの元捕虜の家族や駐日大使、

 

日本側の関係者ら約100人が参列。

 

父が捕虜だった参列者(77)は

 

「私たちの祖先はこの場所で敵だったが、この碑は和解の象徴。単に過去を記憶するだけではなく、前を向くことが必要だ」

 

と語った。

 

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最終更新:読売新聞オンライン

 

私のコメント :  令和7年9月14日、太平洋戦争中、旧日本軍が外国人兵士を収容した長崎市香焼町の「福岡俘虜収容所第2分所」跡地で9月13日、犠牲者を追悼する式典が行われた。