長崎 捕虜収容所の跡地で犠牲者を追悼
NHK 長崎県のニュース 配信より
長崎 捕虜収容所の跡地で犠牲者を追悼|NHK 長崎県のニュース 配信より
太平洋戦争中、長崎市にあった捕虜収容所で亡くなった人たちを追悼する式典が
収容所の跡地で行われ、捕虜だった人たちの遺族と地元の人たちが祈りをささげました。
太平洋戦争中、長崎市香焼町にあった福岡俘虜(ふりょ)収容所第2分所には、
日本軍の捕虜となったオランダやイギリスなどの兵士が収容され、
事故や病気によって73人が亡くなったとされています。
収容所の跡地では、捕虜が解放された9月に毎年、
追悼式が行われていて、解放から80年となった13日は、
捕虜だったオランダ人の遺族や長崎の被爆者、それに
地元の中学生などおよそ100人が参列して式典が行われました。
このなかで父親が捕虜だったアンドレ・スクラムさん(77)は10年前に
長崎の被爆者団体などの呼びかけによって慰霊碑が建てられたことに触れ、
「この碑は犠牲者を追悼するだけでなく、和解の象徴だ」と述べ、
戦後、日本との交流が続いていることに感謝の気持ちを示しました。
このあと参列した人たちが慰霊碑に花を手向け、犠牲者に祈りをささげていました。
慰霊碑の維持管理委員会の事務局長を務めている井原和洋さん(67)は、
「こうした交流をひとつずつ積み重ねていくことが大切だと改めて感じた。次の世代も交流を続けていってほしい」
と話していました。
私のコメント : 令和7年9月14日、長崎市にあった捕虜収容所で亡くなった人たちを追悼する式典が収容所の跡地で行われ、捕虜だった人たちの遺族と地元の人たちが祈りをささげました。捕虜となったオランダやイギリスなどの兵士が収容され、事故や病気によって73人が亡くなったとされています。
父親が捕虜だったアンドレ・スクラムさん(77)は10年前に長崎の被爆者団体などの呼びかけによって慰霊碑が建てられたことに触れ、「この碑は犠牲者を追悼するだけでなく、和解の象徴だ」と述べ、戦後、日本との交流が続いていることに感謝の気持ちを示しました。
慰霊碑の維持管理委員会の事務局長を務めている井原和洋さん(67)は、「こうした交流をひとつずつ積み重ねていくことが大切だと改めて感じた。次の世代も交流を続けていってほしい」と話していました。