真珠湾攻撃指揮した山本五十六の命日「平和守りたい」生地新潟で法要
白石和之
真珠湾攻撃指揮した山本五十六の命日「平和守りたい」生地新潟で法要 [新潟県] [戦後80年 被爆80年]:朝日新聞
配信より
旧日本海軍連合艦隊司令長官だった山本五十六の命日にあたる18日、
出身地の新潟県長岡市にある山本記念公園で「元帥法要」があった。
五十六の孫の山本源太郎さん(63)ら100人近い関係者らが参列し手を合わせた。
今年は終戦から80年。ウクライナや中東で戦争が続いている。
法要後、源太郎さんは
「五十六はいまの状況を冷や冷やして見ているんじゃないか。90年、100年と平和を大切に守っていきたいと誓った」
と話した。
1943年、パプアニューギニア・ブーゲンビル島上空で米軍機に撃墜されて死亡。
現場に残っていた搭乗機の左翼の一部は89年に里帰りして
公園近くにある山本五十六記念館で展示されている。
記念館で25日まで、左翼が里帰りするまでの経緯などを紹介した特別企画展示が開かれている。
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天皇皇后両陛下と愛子さま 長崎の養護ホームで被爆者と懇談
天皇皇后両陛下と愛子さま 長崎の養護ホームで被爆者と懇談|NHK 長崎県のニュース 配信より
長崎県を訪れている天皇皇后両陛下と長女の愛子さまは、被爆したお年寄りたちが暮らす長崎市内の養護ホームを訪れ、入所者と懇談されました。
12日から長崎県を訪れている天皇ご一家は、13日午前10時半ごろに、長崎市内の「恵の丘長崎原爆ホーム」を訪問されました。
この施設には高齢の被爆者300人余りが暮らしていて、ご一家は入所者8人と懇談されました。
ご一家はひざを曲げて目の高さを合わせ、一人ひとりと、被爆当時の状況などについて丁寧にことばを交わされました。
天皇陛下は「大変でいらっしゃいましたね」「いかがお過ごしですか」などといたわりのことばをかけられていました。
皇后さまは「おうちは近くでいらっしゃったのですか」などと声をかけられていました。
愛子さまは「ふだんはどのようにしてお過ごしですか」などとホームでの生活について尋ねられていました。
18歳の時に被爆した春野ハルさん(98)は懇談のあと、「原爆で家が丸つぶれになったけれど、ひどいけがをせずに済んだことや、周りが大変だったことなどをお話ししました。それに対し、『大変でしたね。戦争は絶対ダメですね』と言っていただきました。戦争がないようにということで長崎にいらっしゃったんだと思いました」と話していました。
5歳の時に被爆した草野タカ子さん(85)は、「お忙しいなか、遠い山の上まで来ていただき、ことばで言い表すことができませんが、『ありがとうございます』という気持ちしかないです。きのうも長崎原爆資料館に訪問される様子をテレビで見ましたが、本当にうれしく、ありがたいと思いました」と話していました。
愛子さまはこのあと東京に戻られ、両陛下は午後、長崎県美術館で、障害がある作家の作品およそ400点を集めた展示会をご覧になり、知的障害がある作家たちとことばを交わされました。
このうち五島市に住む原塚祥吾さんは鉛筆で描いた架空の町の鳥観図を展示していて、両陛下は多くの線を重ねて細やかに表現された町並みをじっくりとご覧になっていました。
また、熊本市の渡邊義紘さんが一筆書きの要領ではさみで紙を切り抜いて恐竜を表現すると、天皇陛下は「よくつながっていますね」とか「手先が本当に器用ですね」などと、声をかけられていました。
渡邊さんが恐竜の切り絵を天皇陛下に、ご一家の干支(えと)にちなんだ落ち葉の作品を皇后さまにプレゼントすると、両陛下は「ありがとうございます」と笑顔で受け取られていました。
両陛下は14日、佐世保市で「国民文化祭」と「全国障害者芸術・文化祭」の開会式に臨まれます。