長崎原爆投下80年 平和祈念像の原型前で追悼 東京 武蔵野 | trainbridge1のブログ

    長崎原爆投下80年 平和祈念像の原型前で追悼 東京 武蔵野

    NHK 首都圏のニュース   配信より

     

    長崎原爆投下80年 平和祈念像の原型前で追悼 東京 武蔵野|NHK 首都圏のニュース   配信より

     

    長崎に原爆が投下されて80年となる9日、長崎市の平和祈念像の原型がある東京・武蔵野市でも集会が開かれ、都内に住む被爆者などが犠牲者を悼みました。

    長崎市の平和公園のシンボル、平和祈念像は、昭和20年代後半、長崎県出身の彫刻家、北村西望が武蔵野市の井の頭自然文化園にあったアトリエで制作したもので、園内には今も原寸大の原型が展示されています。

    毎年、長崎原爆の日にあわせてこの原型の前で北村と親交があった人などが中心となって追悼の集会を開いていて、ことしも都内に住む被爆者や被爆2世などおよそ100人が出席しました。

    会では、原爆がさく裂した午前11時2分に合わせて出席者たちが黙とうをささげました。

    続いて、北村と親交があり、集会を主催する団体で代表を務める藤田公一さんが、北村が残し、いまも平和祈念像の裏に刻まれている「右手は原爆を示し、左手は平和を、顔は戦争犠牲者の冥福を祈る」ということばを朗読しました。

    会場の参加者たちは静かに北村のことばに耳を傾け平和に思いをはせていました。

     

    私のコメント :  令和7年8月9日、長崎に原爆が投下された8月9日、長崎市の平和祈念像の原型がある東京・武蔵野市でも集会が開かれ、都内に住む被爆者などが犠牲者を悼みました。長崎市の平和公園のシンボル、平和祈念像は、昭和20年代後半、長崎県出身の彫刻家、北村西望が武蔵野市の井の頭自然文化園にあったアトリエで制作したもので、園内には今も原寸大の原型が展示されています。

     

     

     

     

     

     

     

     

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    「広島市立舟入高女の碑について 」

     

    今までの私のボランティア活動歴についての話しをします。

    山口市小郡文化資料館に、故河内山賢祐の作品と遺品が展示してあります。遺作、遺品の管理について、私の祖父が、河内山賢祐と近い親類であったこともあり、遺族の立場を代表する意味でも芸術文化財ボランティアの立場でも、旧小郡町時代よりその作品等について、散逸しないように細かく注文をつけ私は、今日まで至っています。私が、当時、小学校の修学旅行に広島に行くという折に、その当時存命であった私の祖父と祖母が、「広島の平和記念公園に、河内山の叔父さんの原爆慰霊碑の彫刻があるから、見てきなさい。」と言われたことを覚えています。しかし、私の小学校修学旅行は、集団行動で、勝手に個人行動で広島の平和記念公園を見て回ることが、出来ずに、その時は、どこにその碑があるのか、わからずじまいでした。33年の歳月が、流れ、ようやく河内山賢祐と湯川秀樹との二人の構想による「広島市立舟入高女の原爆慰霊碑」が、広島市中区の区役所を訪問し、その場所を教えてもらい中区の中を流れている川沿いに確認することができました。風雪に耐え、乙女のレリーフは胸を強く打つ作品でした。広島市立舟入高女の碑の原版は、山口市小郡文化資料館に残されています。大叔父の河内山賢祐と湯川秀樹博士は、どのような考えで、このすばらしい作品を残そうとしたのかは、今となっては、二人とも故人となっているので、聞くよしもありません。先人の平和に対する想いを若い世代に語り継ぐことが必要です。司法のボランティアを議論することすら 機会もなく、又、司法現場の弁護士や判事さんにおかれても、様々なボランティア活動について理解と参加等の配慮をお願いしたいと感じることがあります。今後とも皆様にご協力をお願い申し上げます。

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    山県有朋像

    やまがたありともぞう

    中央公園に建つ日本近代軍制の確立者 山県有朋の騎馬像

     

    中央公園に建つこの騎馬像は、彫刻家・北村西望により製作されました。

     

    長崎市の平和公園にある「長崎平和祈念像」は北村西望の最も有名な作品です。

    山県有朋は、萩市川島の下級武士の家に生まれました。

     

    松下村塾に入門し、高杉晋作率いる奇兵隊の軍監(副将)となり頭角をあらわし、戊辰戦争などで活躍しました。

     

    維新後は、明治政府の軍備面に精力を注ぎ、徴兵制を施行させるなど近代陸軍の基礎作りに尽力。

     

    のちに陸軍大将となり、日清・日露戦争を推進しました。

     

    明治22年(1889) 、明治31年(1898)に内閣を組閣しました。

     

    山県有朋誕生地には、「元帥公爵山縣有朋誕生地」と刻まれた石碑が建てられています。

    基本情報

    電話番号 0838-25-3139 (萩市観光課)
    住所 萩市江向552番地2(萩市中央公園内)
    営業時間 見学自由
    休日 見学自由
    駐車台数 中央公園駐車場を利用(普通車/1回310円、大型車/1回1,050円)
    アクセス 萩循環まぁーるバス(西回り)「萩美術館 浦上記念館・萩城城下町入口」バス停より徒歩約1分