2025.04.16 (最終更新:2025.04.16)
ドイツ次期政権が国債発行による軍拡を決定 防衛産業はサステナブルか 熊谷徹のヨーロッパSDGリポート【29】
ドイツ次期政権が国債発行による軍拡を決定 防衛産業はサステナブルか 熊谷徹のヨーロッパSDGリポート【29】:朝日新聞SDGs ACTION! 配信より

在独ジャーナリスト/熊谷徹
熊谷徹 ( くまがい ・とおる )
1959年東京都生まれ。1982年、早稲田大学政治経済学部卒業後、NHKに入局。ワシントン支局勤務中にベルリンの壁崩壊、米ソ首脳会談などを取材。1990年からドイツ・ミュンヘンを拠点にジャーナリストとして活動。著書に『ドイツの憂鬱』『新生ドイツの挑戦』『ドイツ病に学べ』『なぜメルケルは「転向」したのか』『ドイツ中興の祖 ゲアハルト・シュレーダー』『ドイツ人はなぜ、年収アップと環境対策を両立できるのか』『次に来る日本のエネルギー危機』など。
ドイツのメルツ次期首相は憲法を改正して財政政策を大転換し、国債発行による軍備拡張を決定した。
地政学的環境の悪化とともに、防衛産業に対する経済界の見方が大きく変わり、
一部の金融機関では、防衛産業への融資規制を緩める動きも始まった。
目次
2月23日の連邦議会選挙から10日後、フリードリヒ・メルツ次期首相は、驚くべき発表をおこなった。
地政学的環境の悪化に伴い、緊縮財政で知られたドイツの財政政策を転換し、
多額の国債発行によって軍備拡張と国内のインフラ増強を目指すというのだ。
軍備拡張とインフラ増強のために憲法改正
メルツ氏と、連立相手である社会民主党(SPD)のラルス・クリングバイル共同党首は3月5日、「両党は、防衛支出や、国内のインフラ整備のための投資費用を増やすために、憲法に明記された財政規則を緩和する」と発表した。ドイツのメディアは、「今後政府が国債市場で調達する資金の額は1兆ユーロ(160兆円・1ユーロ=160円換算)にのぼる」と指摘している。
これまで赤字国債の発行を極力避けてきたドイツが、今後は赤字国債を大量に発行して、資金を調達する。百八十度の方向転換である。
ドイツの憲法(基本法)には、債務ブレーキという規定がある。2009年以来、連邦政府は国内総生産(GDP)の0.35%を超える財政赤字を禁じられていた。州政府は財政赤字を一切禁じられていた。
ドイツが2019年までの6年間にわたり、G7で唯一財政黒字を記録したのは、債務ブレーキのためである。2024年上半期の時点で、ドイツの公的債務残高のGDPに対する比率が63.4%とイタリア(137.7%)やフランス(110.8%)よりもはるかに低くなっていたのも、債務ブレーキが原因だ。
メルツ氏は選挙前には、債務ブレーキの修正を拒否していた。これに対しSPDは債務ブレーキの緩和を求めていた。メルツ氏は「選挙後に連邦政府の財政状態を点検した結果、これまで明らかにされていた以上に資金が不足していることがわかった。さらに米国のトランプ政権が、ウクライナに対する軍事支援を一時停止したことに見られるように、将来欧州の防衛への関与を減らす可能性がある。このため一刻の猶予も許されない」として、財政政策についての姿勢を変えて、債務ブレーキの修正に踏み切った。
ドイツは、ロシアの脅威に備えるために、今後防衛支出を大幅に増やす。キリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)とSPDは、そのために「防衛支出の内GDPの1%(約440億ユーロ:約7兆4000億円)を超える部分を、無制限に国債でまかなう」と発表した。この部分には、債務ブレーキは適用されない。GDPの1%までは、通常の連邦予算でまかなう。
ドイツは2022年のロシアのウクライナ侵攻後、1000億ユーロの連邦軍特別予算を計上し、2024年に防衛支出がGDPに占める比率が2.1%となった。北大西洋条約機構(NATO)は、防衛支出のGDP比率を少なくとも2%にすることを求めていた。
だが第二次トランプ政権は、防衛支出のGDP比率を5%に引き上げるようNATO加盟国に要求している。NATOのマーク・ルッテ事務総長も今年1月に欧州議会の公聴会で、「ロシアとの戦争に備えるには、2%では少なすぎる。3%以上に引き上げなくてはならない」と語っている。メルツ次期首相は「債務ブレーキの制約を維持した場合、防衛支出を大幅に増やすことは不可能だ」として、憲法改正に踏み切った。
さらに送電線、水素輸送パイプライン、蓄電設備などのエネルギー関連インフラ、鉄道、道路、病院の新設、整備、デジタル化加速などのために、2025年から2034年までの10年間にわたり5000億ユーロ(80兆円)のインフラ特別予算を計上する。その財源となる国債にも、債務ブレーキは適用されない。5000億ユーロの内、1000億ユーロは、経済の脱炭素化のために使われる。特別予算は防空壕(ごう)の建設など、有事のためのインフラ作りにもあてられる。
産業界は債務ブレーキ修正を歓迎
メルツ氏は債務ブレーキ修正のための憲法改正案を、3月18日に連邦議会で、3月21日に連邦参議院で可決させた。
経済界はこの決定を歓迎した。ドイツ産業連盟(BDI)のタニヤ・ゲンナー専務理事は3月5日、「CDU・CSUとSPDは、ドイツでの投資不足、インフラの劣化、成長率の鈍化を食い止め、防衛能力を高めることの重要性を正しく理解した」という声明を発表し、メルツ氏の決定を歓迎した。
防衛産業の業界団体であるドイツ防衛産業連合会(BDSV)は、3月18日、「欧州の地政学的環境の変化によって、防衛力の強化が重要性を増している今日、CDU・CSUとSPDが債務ブレーキを修正したことは、正しい決定だ」とするコメントを発表した。
現在ドイツの産業界は深刻な景気後退に悩んでいるが、防衛産業だけは活況を呈している。メルツ氏が軍拡とインフラ増強のために債務ブレーキを修正する方針を発表すると、ラインメタル、レンク、ヘンゾルドなどドイツの兵器メーカーの株価は一時7~8%上昇した。
同国最大の砲弾、兵器メーカー、ラインメタルの株価は、2025年4月9日の時点で1株当たり約1316ユーロ(約21万円)だった。ロシアのウクライナ侵攻直前の2022年2月18日の96.94ユーロに比べて約14倍に増えたことになる。
ドイツ政府とEUは、欧州の防衛産業の育成・強化を目指している。トランプ政権が今年に入ってプーチン政権との関係改善を目指すなど、過去になかった態度を見せていることから、欧州は米国への依存度を減らすために、兵器や砲弾の域内調達の比率を増やそうとしている。
EUが128兆円の防衛費用調達を目指す
3月4日、欧州委員会のウルズラ・フォンデアライエン委員長は、「欧州再軍備計画(ReArm Europe)」を発表した。同氏の演説のトーンは、悲観的だった。同氏は「我々は、きわめて危険な時代に生きている。欧州は現実的な脅威に直面しており、事態が悪化した場合の結果は、欧州にとって破壊的な結果を生む。我々は今こそ責任を自覚して、防衛支出を大幅に増やさなくてはならない」と語った。
EUは、加盟国が2030年までに軍備を拡張できるように、合計8000億ユーロ(128兆円)の資金を調達できるための枠組みを整える。この内6500億ユーロは加盟国がそれぞれ国債を発行するなどして調達しなくてはならない。
そこでEUは、加盟国が軍拡のために借金することを容易にするために、安定成長協定という財政規律を緩和した。EU加盟国は安定成長協定により、財政赤字をGDPの3%以下、公的債務残高を60%以下に抑えることを義務付けられていた。だがEUは今回、防衛支出を安定成長協定の対象から外した。フォンデアライエン氏は、「もしもEU加盟国が防衛支出をGDPの平均1.5%ずつ増やせば、4年間で6500億ユーロ(104兆円)の資金を防衛に回すことができる」と説明した。
さらにEUは、加盟国政府が防衛産業を育成したり、兵器の調達量を増やしたりできるように1500億ユーロ(24兆円)規模の、低利の融資枠を新設する。返済期間は45年と長い。フォンデアライエン氏は、その際にEU加盟国が戦車や戦闘機などの共同開発・調達をおこない、融資を効率的に使うように求めている。これまではEU加盟国が、ばらばらに独自の兵器を開発、調達することが多く、効率が悪かったからだ。
この他フォンデアライエン氏は、民間投資を誘発して軍備拡張に回すことも提案している。EUが「2030年までに軍備拡張を達成する」という目標を打ち出した理由は、諜報(ちょうほう)機関や軍の関係者が「ロシアは現在急ピッチで軍拡を進めており、2030年ごろにはNATOとの戦争を遂行する能力を持つ」と見ているからだ。
防衛産業とサステナビリティ
さて防衛産業に対する民間投資や融資については、「兵器や砲弾を作る産業はSDGsの原則と矛盾しないのか?」という問いが浮上する。戦争に使われる兵器や砲弾は、敵兵を殺傷したり敵国の経済インフラを破壊したりすることにも使われるからだ。
これまで金融機関や機関投資家は、兵器や砲弾だけを製造するメーカーなどへの融資・投資には消極的だった。だが欧州委員会は、防衛産業向けの投資や融資を増やすために、こうした原則も緩和する。
その例が、今年3月21日にEUの融資機関・欧州投資銀行(EIB)が発表した方針である。EIBにはEUの27の加盟国が出資している。EIBのナディア・カルビーノ総裁は、「EIBは2025年に防衛関連プロジェクトへの融資額を少なくとも前年の2倍に増やす。さらに、融資が禁止されている業種の数を極力減らす」と発表した。カルビーノ氏は、「EUの防衛体制を強化するという目標の達成に、我々も貢献する。そのために融資基準を緩和する」と述べた。
一部の民間銀行も、防衛産業への融資に前向き
EIBが2022年に発行した「融資禁止項目リスト」によると、環境汚染や生態系の破壊につながる事業、刑務所など人権侵害に使われる可能性がある施設への融資だけではなく、弾薬、武器を製造する企業や、軍隊・警察が使うインフラへの融資も禁止されていた。唯一EIBが融資できるのは、ドローンのように軍隊だけではなく、民間でも使われるデュアル・ユース(二重使用目的)の機材のメーカーだけだった。
だが欧州議会は今年2月29日に、EIBに対して防衛産業への融資基準の緩和を求める決議を採択した。また欧州理事会も、今年3月6日に発表した欧州防衛強化のためのプログラムの中で、EIBの融資禁止項目リストの改定を要請した。
EIBはまだ新しいリストを公表していないが、弾薬や武器の製造企業への融資が可能になるようにリストを変更するものと見られる。ただし、対人殺傷効果が高い集束爆弾(爆弾が投下されると、地表に到達する前に爆弾が開いて小型の爆発物が落下し、対人殺傷効果が高められた爆弾)や、対人地雷、化学兵器、生物兵器などのメーカーへの融資は禁止されるものと予想される。
商業銀行の間でも、防衛産業への融資を増やそうとする動きが見られる。ドイツの有力日刊紙フランクフルター・アルゲマイネ(FAZ)が主要銀行に対して実施し、今年3月22日付電子版に掲載したアンケートの結果によると、コメルツ銀行やバーデン・ヴュルテンベルク州立銀行は、防衛産業への融資額を増やす方針を明らかにした。コメルツ銀行は、その理由を「防衛産業はドイツの安全保障と、欧州の安定に貢献するという重要な役割を担っているから」と説明した。
ドイツ銀行協会も「我々民間銀行は、防衛産業への融資を増やす用意がある。CDU・CSUとSPDが債務ブレーキを修正して、防衛支出のための無制限の国債発行を可能にしたことは、銀行業界にとって融資の際に必要な計画安全性や透明性を改善するだろう」と語っている。
兵器産業への融資に慎重な銀行も
だが一部の銀行は、防衛産業への融資に慎重な姿勢を崩さない。たとえばDZ銀行のスポークスパーソンは、「我々は融資禁止条項に留意しながら、安全保障に貢献する企業への融資の可能性を検討する。ただし兵器や砲弾を製造する産業は、我々が積極的に融資を行う業種ではない」と語る。
教会の社会福祉活動への融資などをおこなうドイツの「教会・社会福祉銀行(KD銀行)」は2024年10月に、「兵器などの軍事関連産業はサステナビリティとは無縁だ」という声明を発表し、これらの業種への融資や投資を原則として拒否する方針を明らかにした。
KD銀行のエッケハルト・ティースラーCEOは、「兵器は国土防衛や抑止だけに使われるとは限らない。人間に危害を与えるために使われる可能性がある。その意味で、兵器はESG重視の原則と矛盾する。さらに我々は、兵器産業への投資からの利益を蓄積したいとは思わない」と述べ、兵器産業への融資・投資に関与しないという姿勢を強調した。
KD銀行が公表している「投資・融資に関するサステナビリティ基準」によると、
兵器・武器などの軍需物資(Rüstungsgüter)は原子力や化石燃料、ポルノグラフィ、賭博、暴力を促進するビデオゲーム、遺伝子操作をおこなわれた農産物、危険な殺虫剤、人間の胎児を使った研究、アルコール、タバコ、動物実験などとともに、融資や投資を禁止・規制する業種と定義されている。
KD銀行は、兵器を次の3つの種類に分類している。
a) 使用が禁止されているか、非難されている兵器(例:核兵器、生物兵器、化学兵器、対人地雷、集束爆弾など)
b) 兵器(戦闘機、戦車、小火器、小銃など)
c) その他の軍需物資(レーダー設備、軍用トラックなど)
KD銀行は、この内
a)に属する兵器の製造や販売に関与する企業への融資・投資については、一切禁じている。
b)に属する製品については、年間売上額が1%以上の企業への融資・投資は禁じられる。
c)に属する製品の年間売上額が5%以上の企業への融資・投資も禁じられる。
ただしドイツの金融業界では兵器の扱いをめぐって、KD銀行ほど厳しい投資・融資基準を持つ銀行は少数派だ。
今日欧州では、安全保障そして自由貿易をめぐり、
欧州人たちが米国に対する信頼感を失うという、東西冷戦後初めての事態が進行中だ。
この状況を見ていると、ドイツ経済が生み出す粗付加価値の中に、
兵器や軍需物資が占める比率が今後上昇し、
金融サービス業界もその流れに従うことは不可避であるように思われる。
この流れに対し、ドイツ市民は唯々諾々と従うのか。それとも異議申し立てをおこなうのだろうか。
当分の間、結論は出そうにない。
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ウクライナの主権維持訴え 来日のメルケル元独首相「米国だけに負担かかる状況いけない」
ウクライナの主権維持訴え 来日のメルケル元独首相「米国だけに負担かかる状況いけない」 - 産経ニュース 配信より
ドイツのメルケル元首相が27日、東京都内で開かれたトークイベントに出席した。
ロシアの侵攻を受けるウクライナへの軍事支援を続け、
ウクライナの主権を維持することが重要だと強調した。
一方でロシアとの対話など、外交的努力も続けるべきだとも指摘した。
トランプ米政権などを念頭に、多国間主義が揺らいでいることに危機感を示した。
米国が欧州の北大西洋条約機構(NATO)加盟国
の防衛費負担が少な過ぎると問題視していることについて
「米国だけに多くの負担がかかる状況になってはいけない」と語った。
トークイベントは
「戦後80年、崩れる世界秩序 メルケル氏に聞く『自由』の行方」
と題し、日本経済新聞社が主催した。
(共同)