中山美穂さんお別れの会、ファン1万人が参列 妹の忍さん「いつまでも覚えていて」

中山美穂さんお別れの会、ファン1万人が参列 妹の忍さん「いつまでも覚えていて」 - 産経ニュース 配信より

 

取材に応じる中山忍さん=東京都千代田区(蔵賢斗撮影)

 

取材に応じる中山忍さん=東京都千代田区(蔵賢斗撮影)
 

 

俳優や歌手として活躍し、昨年12月6日に54歳で死去した中山美穂さんのお別れの会が22日、東京都千代田区の東京国際フォーラムで開かれた。親交のあった関係者約800人が参列し、一般献花にもファン約1万人が列を作った。

 

ステージに見立てられた祭壇の中央には中山さんがほほ笑む遺影が置かれ、それを取り囲むように、生前好きだったダリアの花が3月1日で55歳という意味を込めて55本、バラやアジサイなど5000本以上の季節の花々で彩られた。

愛用品など私生活偲ばせる空間

会場にはコンサートやテレビ番組などで着た衣装13着が飾られ、中には亡くなった当日に着る予定だった衣装もあった。生前の写真やアルバムジャケット、愛用のラジカセや人形やギター3本なども展示され、中山さんの私生活を偲ばせる空間が用意された。

 

中山美穂さんのお別れの会の会場に飾られた衣装 =東京都千代田区(撮影・蔵賢斗)

 

中山美穂さんのお別れの会の会場に飾られた衣装 =東京都千代田区(撮影・蔵賢斗)

妹で喪主の俳優、中山忍さん(52)が開会前に取材に応じ、「情けない話なんですけれども、今の方が泣いてしまうんですね。なので、こうしてお集まりいただいて、なんとも言えない気持ちです。これが夢だったらよかったのにな、心から思います」と声を詰まらせた。

 

美穂さんとの別れについて「姉本人が一番驚いていると思う」と前置きしつつ、お別れ会の開催を関係者に感謝。また、美穂さんは今年デビュー40周年で、「コンサートツアーをやらせていただく予定でしたし、ファンの方にも直接、40年応援してくださって、ありがとうございますと言いたかったと思います。こういう形で集まっていただくことは決して望んではいなかったと思いますが、姉をしのんで来てくださることはとても喜んでいると思います」とファンに感謝した。

 

中山美穂さんのお別れの会の会場に飾られた写真パネルやギター =東京都千代田区(撮影・蔵賢斗)

 

中山美穂さんのお別れの会の会場に飾られた写真パネルやギター =東京都千代田区(撮影・蔵賢斗)

そして最後に、「姉のことが大好きだった妹のたってのお願い」として、ある女性から聞いた話を披露した。

「亡くなられた方はとっても穏やかで温かなところにいるから、美穂さんもきっと、穏やかな気持ちでそこにいますから、心配しなくていいですよって。ただ、皆さんが姉のことを思い出してくださる度に、姉のそばにふわっふわってお花が咲くそうなんですね。なので、姉の歌や映画やドラマがたくさん残されていますので、歌を聴いていただき、作品を見ていただいて、姉のそばにたくさんの花を咲かせてあげてほしいなって。どうかいつまでも姉のことを覚えていてください。そうお願いしたいです」

小泉さんが美穂さんの「トリセツ」披露

お別れの会では美穂さんと長年の親友だった俳優で歌手の小泉今日子さん(59)が「お別れの言葉」として、美穂さんが16歳のときの出会いを披露。「強い意志の宿った瞳を見た瞬間に、この子とは仲良くなりそうだと思った」と語った。

 

また、天国で出会った人たちのために、「美穂の取り扱い」として、「①ものすごく楽しそうにはしゃいでいるときは、大きな問題を抱えている可能性があります。寄り添って目を離さないでください。②機嫌が悪そうに見えるときは、おいしい食べ物やお酒を与えると簡単にご機嫌になります。③自分の気持ちを言葉にするのが苦手です。それゆえ、限界まで我慢してしまうことがあります。そんな時は抱きしめてあげてください。④根が優しいのですぐに人を信用してしまい、だまされたり利用されたりすることがあります。守ってあげてください。⑤根が素直なのでよく泣きます。ぽろぽろ大粒の涙を流します。その目、ハンカチのご用意を。以上、中山美穂のトリセツでした」と結んだ。

 

中山美穂さんのお別れの会に並ぶ一般参列者 =東京都千代田区(撮影・蔵賢斗)

 

中山美穂さんのお別れの会に並ぶ一般参列者 =東京都千代田区(撮影・蔵賢斗)

美穂さんの家族葬が終わった際に忍さんは、「私にとって姉は『大好きなお姉ちゃん』であるとともに『みなさんの中山美穂』であり、『永遠のシャイニングスター』です」とコメントしていた。この日、関係者やファンとのお別れの会を終え、中山美穂さんは「永遠のシャイニングスター」になった。