佐竹知事最後の新年度訓示「新しい県政を県民とともに進めて」
佐竹知事最後の新年度訓示「新しい県政を県民とともに進めて」|NHK 秋田県のニュース 配信より
今月19日の任期満了をもって退任する佐竹知事が、新年度初日の県職員への訓示を行い、「知事が新しくなるという大きな変わり目になることを意識して、新しい県政を県民とともに進めてほしい」と述べました。
佐竹知事は、今月6日投開票の県知事選挙には立候補せず、19日の任期満了をもって退任となります。
佐竹知事は、1日、およそ300人の職員を前に、最後となる新年度の訓示を行いました。
この中で、佐竹知事は「ことしも発生が懸念される豪雨災害への備えや、コメの産地として政府の備蓄米の放出などを踏まえた対応のほか、新たに整備を進めている県立体育館を活用した地域経済の活性化など、重要事項については、次の知事とともに、すぐに動いてほしい」と訓示しました。
そして、「県政の課題については、私の力不足の部分もあった。知事が新しくなるという大きな変わり目になることを意識して、新しい県政を県民とともに進めてほしい」と述べました。
このあとの記者会見では、「知事が変わっても、職員が一致団結して、本県の振興を進めてらもらいたいと訓示に臨んだ。知事をやめたあとも、県民として県政の発展に貢献していきたい」と話していました。
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秋田県公文書館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』配信より
![]() Akita Prefectural Achieves |
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![]() 秋田県公文書館・秋田県立図書館 |
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施設情報 | |
専門分野 | 古文書、公文書 |
事業主体 | 秋田県 |
開館 | 1993年 |
所在地 | 〒010-0952 秋田県秋田市山王新町14-31 |
ISIL | JP-3000020 |
公式サイト | http://www.pref.akita.lg.jp/kobunsyo/ |
プロジェクト:GLAM - プロジェクト:図書館 | |
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秋田県公文書館(あきたけんこうぶんしょかん)は、秋田県の公文書を収集・保管し、一般に公開することを目的とする機関及びその施設。公文書館法に基づく公文書館[1]。平成5年(1993年)設立[2]。秋田県立図書館との併設であり、現図書館とともに開館した。
概要
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平成5年(1993年)11月2日、東北で最初の公文書館として開館[2]。公文書館制度普及のため精力的な活動を行っており、全国の文書館の中でも、先進的な館の1つとして有名[3]。
秋田県公文書館の役割は、歴史資料として重要な秋田県の公文書・古文書等を保管するとともに、一般の閲覧に供すること[2]により、県民の調査・研究、政策の立案などに役立てることである[1]。
所蔵史料
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その所蔵史料は、公文書と古文書に大別できる[1]。
秋田県公文書館は、これら史料による調査・研究も行っているほか、一般からのレファレンス・古文書相談も受け付けている[4]。
公文書
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明治4年(1871年)の廃藩置県から現代までに作成された秋田県の公文書を対象とする。秋田県の各機関で作成された公文書は、保存期間が終了するまで当該機関で保管されるが、保存期間が満了した公文書は直ちに廃棄されるのではなく、秋田県公文書館に引き継がれる。秋田県公文書館では、この公文書を整理し、後世歴史資料として重要になるかを評価・選別して、廃棄または保存の判断を行う。その後、公開することに支障がないかどうかを検討したうえで、閲覧に供するという仕組みである。これにより現代の公文書も将来に伝えられる[1]。
古文書
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秋田藩政に関する史料を中心に、秋田県内の地方文書(じかたもんじょ)などあわせておよそ6万点の古文書史料を所蔵している。かつて秋田県立図書館・秋田県立博物館・秋田県庁地下書庫でそれぞれ保存されていた史料が中心[1]。
デジタルアーカイブ
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秋田県公文書館では、クラウド型デジタルアーカイブサービスを利用し、インターネットでデジタルアーカイブを提供している。
所在地
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開館時間
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- 平日: 9:00 - 19:00[6]
- 土曜日、日曜日、国民の祝日に関する法律に規定されている休日 : 9:00 - 18:00[6]
休館日
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交通
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脚註
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[脚注の使い方]
- ^ a b c d e 美の国あきたホーム>組織別案内>総務部>公文書館>公文書館の概要>公文書館の役割
- ^ a b c 美の国あきたホーム>組織別案内>総務部>公文書館
- ^ 『広島県立文書館だより』 第9号、1997年 (PDF) 、pp.6-7
- ^ 美の国あきたホーム>組織別案内>総務部>公文書館>公文書館の概要>秋田県公文書館の利用にあたって
- ^ a b 美の国あきたホーム>組織別案内>総務部>公文書館>公文書館の概要>利用案内
- ^ a b c d e 秋田県公文書館管理規則
関連項目
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外部リンク
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カテゴリ:
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吉川経義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』配信より
凡例
吉川経義
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 天承2年/長承元年(1132年)
死没 建久4年5月28日(1193年6月28日)
改名 入江経義(初名)→吉川経義
別名 三郎(通称)[1]、吉河経義、吉香経義
戒名 安養本無(法名)
墓所 静岡県静岡市清水区吉川の吉川氏墳墓
官位 従四位下、左衛門尉
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝
氏族 入江氏→吉川氏
父母
父:入江景義[2]
妻 正室:佐竹昌義の娘
子 友兼[1][2]
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吉川 経義(きっかわ つねよし)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士、御家人。吉川氏の祖。
生涯
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寿永2年(1183年)に源頼朝から駿河国吉河荘(現在の静岡市清水区)を得た際に吉川氏(吉河・吉香)を名乗るようになる。この地に館を築き、吉川氏の本拠とした。
建久4年(1193年)5月28日に死去[1]。子の友兼が跡を継いだ。
昭和18年(1943年)に経義没後750年を記念して、子孫である子爵吉川元光によって合葬されたが、吉川氏のものと伝わる墳墓が現在も残っている。
脚注
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[脚注の使い方]
出典
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^ a b c 今井尭ほか編 1984, p. 333.
^ a b 洞院公定 1899.
参考文献
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今井尭ほか編『日本史総覧』 3(中世 2)、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年3月。ASIN B000J78OVQ。ISBN 4404012403。 NCID BN00172373。OCLC 11260668。全国書誌番号:84023599。
北広島町史
中国新聞社『歴史紀行 安芸吉川氏』新人物往来社、1988年6月。ISBN 4-404-01517-8。
岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』琵琶書房、1983年8月。ASIN B000J785PQ。 NCID BN01905560。全国書誌番号:84027305。
復刻 岡部忠夫編著『萩藩諸家系譜』(復刻版)マツノ書店、1999年1月。 NCID BA40243395。OCLC 416167998。全国書誌番号:99084570。
洞院公定 著「藤原南家」、今泉定介 編『尊卑分脈』 第3巻、吉川弘文館、東京〈故実叢書〉、1899年。 NCID BN12488942。全国書誌番号:40013115。NDLJP:771957/39
関連項目
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吉香公園 - 経義が祀られていた高秀社が統合された吉香神社の区域にある公園。
吉川氏当主(1183年 - 1193年)
吉川氏
経義
友兼
朝経
経光
安芸吉川氏
経高
経盛
経秋
経見
経信
之経
経基
国経
元経
興経
元春
元長
広家
広正
広嘉
広紀
広逵
経永
経倫
経忠
経賢
経礼
経章
経幹
経健
元光
分家・支流
吉川男爵家
重吉
重国
播磨吉川氏
経盛
経家
経景
経朝
石見吉川氏
経茂
経任
経兼
経世
経氏
経義
経康
経佑
経典
経安
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経実
正実
正両
正倫
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経久
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経実
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経時
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1132年生
1193年没