慶應義塾長が語る「国公立大学の学費150万円」の真意
中央公論配信より
慶應義塾長が語る「国公立大学の学費150万円」の真意(中央公論) - Yahoo!ニュース
配信より

少子化時代の大学改革とは
――文部科学省中央教育審議会(中教審)の「高等教育の在り方に関する特別部会」(3月27日)での「国公立大学の学納金は年間150万円程度に設定する」とのご提案は、議論を呼び起こしました。あらためてその真意をお聞かせください。 回り道になるかもしれませんが、少し大きな話から始めさせてください。日本の18歳人口は16年後の2040年には推計で82万人と、現在より約25%も減少します。上位層も中間層も減るわけですから、このままでは日本の国力がみるみる落ちていくのは統計的にも明らかです。減少分を外国人留学生で補うにしても、国の形を変えるほどの勢いで入れなければ、25%減の穴は埋まらない。今後の人材育成では全体を底上げして、少子化が進んでも社会の水準を向上させられるように、高等教育の質を高め、初等・中等教育を含めて教育全体を一気に変えなくてはいけない局面に来ています。そのことをまずは認識すべきだと思います。 今、日本の高等教育の進学率は非常に高い。4年制大学への進学率は57%です。私が大学生だった40年前には男子の進学率が36%、女子が12%、全体で25%程度でしたから、隔世の感があります。専門学校等も加えると80%以上が高等教育を受けているわけで、人口が減っても進学率は上がっている。だから全国に800近くもの大学があるのです。ですが、今後はこれ以上、進学率を上げることはできないでしょう。 かつては大学こそが高等教育の場でしたが、今、世界的には高等教育といえば大学院を指します。ヨーロッパでは、おおむね学部に3年間、大学院に2年間通う、つまり5年間学んで修士号を取得するのがスタンダードです。一方、日本の大学院への進学率は依然として低いままです。4年間の学部教育をこれまでと同じようにやっているのでは、もはや世界に太刀打ちできません。 さらに日本の場合、3年生のときから就職活動が始まってしまう。わずか2年しか勉強せずに卒業するようなものです。もともと2年制でカリキュラムが完結している短期大学とは異なり、4年間学ぶはずの大学で2年しか勉強しないのでは何も身につきません。それを許している大学にも問題がありますが、それでなんとかなると思っている人たちに、このままだと大変なことになると気づいてほしいのです。 では、どのような改革が必要なのか。①大学教育の質の向上と、②大学数の適正規模化、そして③アクセス保障。私の参加する中教審の特別部会では、この3点が議論されています。アクセス保障については後述しますが、機会均等、つまり家計や個人の経済状況にかかわらず大学教育を受けられるようにするということです。 高等教育をリードしようという大学は、修士号や博士号の取得をスタンダードにすべきでしょう。ヨーロッパ型の5年一貫教育ですね。理系では今も博士課程まで進む学生が多いのに、文系は2年生が終わった段階で就職活動を始めていては、実力に差が開きすぎてしまいます。そこで、高等教育をさらに高度なものにしていくのです。そのプロセスで、これからの時代の高等教育にふさわしい徹底的なカリキュラム改革がなされるでしょう。実際、東京大学は2027年秋に学部4年、修士1年で文理融合型の5年制新課程を開設する予定だと聞きますが、これは各大学が取り組むべきことです。
高水準の教育にはお金がかかる
今、教育全体を変革しようとすれば、AIの活用が前提となります。先日、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長が本学で特別講義を行い、日本には戦争犯罪を裁く法律がないというお話がありました。通常、法学部の学生は刑事法、国際法、憲法などを積み上げ式に学びますから、入学したばかりの1年生が国際刑事司法の最前線の問題を理解するには知識も経験も足りない。ですがChatGPTのような対話型AIを使えば、各国の戦争犯罪を裁く法律の実例を調べ、日本の法体系のなかにどのように位置づけて制定するべきなのか、答えを導くことができます。こうした「仮の実践」とでも呼ぶべき経験があれば、基礎的な事柄を学ぶモチベーションを高めることにもなります。 日本語がわからない留学生も、AIが同時翻訳をしてくれるので、すぐに授業を受けられるし、先生にその場で質問することもできます。 重要なのは、「仮の実践」と基礎から着実に固める従来型の学習を組み合わせることです。AIを使って人間の力を高める。今、大学は社会からそうした教育を求められていると考えています。 AIの活用という話をしましたが、質の高い教育を実現するためにはどうしてもお金がかかります。例えば大学の図書館では世界の雑誌・電子ジャーナルを数多く購買契約していますが、近年は物価以上に高騰していて、タイトルを減らさざるをえない。各教室にエアコン、一つひとつの机にパソコン・タブレット端末用の電源ソケットを整備するといった設備更新の費用も必要ですし、電気代も上がっています。論文の指導や少人数教育には人件費がかかります。 このように考えていくと、2040年を見据えて質の高い教育を施すには、学生1人当たり年間で最低でも300万円はかかるのです。そこで私が提起したのが、「国公立大学の学納金は年間150万円程度に設定する」というものでした。正直なところ、数字だけが独り歩きしたような感がありますが。 なお、東大の授業料値上げの議論がありますが、標準額の2割まで増額できる現在の制度に基づいたもので、これまで相当な年月をかけて準備してきたのだろうと思います。特別部会の議論や私の提言との関連性はありません。
給付型奨学金制度の拡充、機関補助から個人補助へ
――現在、国立大学の授業料の標準額は約54万円ですから、150万円は3倍近くになります。一方、ヨーロッパでは高等教育を無償化している国もありますが。 諸外国と比較するときに注意しなければならないのは、日本の大学の特徴的なあり方です。ヨーロッパの大学はほとんどが国立です。アメリカはハーバードやスタンフォード、MIT(マサチューセッツ工科大学)などの有名校は私立ですが、私立の学生は全体の30%程度で、70%は州立大学の学生です。 それに対して、日本では国立大学の学生が16%、公立大学が3~4%で、残る8割が私立大学に通っているのです。2割しかいない国公立大学の学生の学費だけを税金で賄うのでは、全体の底上げができるはずがありません。国公立・私立という設置形態にかかわらず、個人負担のおおよその均一化が必要なのです。 そこで重要なのは、まずは給付型奨学金制度の拡充などアクセス保障の確保ですが、より根本的には機関補助から個人補助への転換です。東京大学や慶應義塾大学といった機関ではなく、個人に直接補助する。現行制度でも非課税世帯には手厚い補助がありますが、申請手続きが大きな負担となっています。2040年を見据え、国はマイナンバーを利用したプッシュ型の助成制度を確立すべきだと思います。マイナンバー制度で国民の所得状況などが把握しやすくなりますから、高校3年生のいる家庭には収入に応じて、例えば「あなたの次男が大学に進学する場合は、毎年30万円を補助します」などと、国のほうから通知するのです。どの大学に行くかはもちろん自由です。どこに入っても30万円を補助してもらえる。 国立大学は国が設置しているのですから、公費の補助が不可欠です。個人負担150万円+国庫負担150万円で、教育に必要な300万円を賄います。それとは別に、研究費の補助も必要です。学生は世帯収入に応じた補助を受けて、個人負担分を賄う。これこそマイナンバー制度の正しい使い方です。国の役目とは、人々の自由を担保しながら脱税のような悪事が生じないようにし、困った人を助けることなのですから。 (『中央公論』2024年10月号より抜粋) 構成:髙松夕佳 伊藤公平(慶應義塾長) 〔いとうこうへい〕 1965年兵庫県生まれ。慶應義塾大学理工学部卒業、カリフォルニア大学バークレー校でPh.D.取得。専門は固体物理、量子コンピュータ、電子材料、ナノテクノロジー、半導体同位体工学。2021年より現職。
3/3ページ
【関連記事】