【訃報】溝口善兵衛氏死去 前島根県知事、78歳
【訃報】溝口善兵衛氏死去 前島根県知事、78歳 | 山陰中央新報デジタル (sanin-chuo.co.jp)
配信より
溝口善兵衛氏=2014年11月19日撮影
前島根県知事の溝口善兵衛(みぞぐち・ぜんべえ)氏が死去したことが23日、分かった。
78歳。
益田市出身で東京都在住。
県などによると、20日午前11時20分、老衰のため都内で亡くなった。
葬儀は27日に都内で、近親者のみで執り行う。
溝口氏は益田高、東京大経済学部を卒業後、1968年に大蔵省(現・財務省)に入省。
国際局長や財務官などを歴任した。
国際金融情報センター理事長を経て、2007年4月の知事選で自民、公明両党の推薦を受けて初当選し、
11年、15年も両党の推薦を受けて当選した。
3期目の17年に食道がんが見つかり、19年4月に退任した。退任後は都内で暮らしていた。
円高阻止のため大規模な円売り、ドル買い介入を行って「ミスター・ドル」の異名をとった
財務省財務官時代などに培った人脈を生かし、
就任直後の石見銀山遺跡(大田市)の世界遺産登録や国からの予算獲得などに尽力。
県財政の収支改善に向け、事務事業の見直しや予算執行の節減など財政健全化を進めた。
観光振興にも力を入れ、10年度から4年間、出雲大社(出雲市)の大遷宮に合わせ、
大型観光キャンペーン「神々の国しまねプロジェクト」を展開し、神話博しまねを開催した。
1期目の11年に起きた東京電力福島第1原発事故を受け、全国に先駆けて広域避難計画を策定。
中国電力島根原発(松江市鹿島町片句)1号機の廃炉、2、3号機の国への審査申請を容認した。
2期目の14年は県人口が70万人を割り、人口減少対策が最重要課題となる中、
3期目の15年に各種施策を盛り込んだ「県版総合戦略」を策定。
3歳未満の第1、2子の保育料軽減や中山間地域・離島対策などに取り組んだ。
(中山竜一、曽田元気)
丸山達也知事の話 突然の訃報(ふほう)に接し、ただただ驚いている。3期12年の長きにわたり、島根県の発展のために尽力された。多大な尽力と功績に、深甚なる敬意と感謝の意を表するとともに、謹んで哀悼の意を表する
中島謙二県議会議長の話 ご逝去の報に接し、驚きを禁じ得ない。長年にわたり、県政の発展のために尽くされた功績に対し、深甚なる感謝と敬意を表するとともに、心より哀悼の意を表する。
私のコメント : 令和6年8月24日、前島根県知事の溝口善兵衛氏が78歳で、死去したことが8月23日、分かりました。ご逝去の報に接し、驚きを禁じ得ない。国際金融情報センター 理事長 就任 当時 の ご功績に対しても、その敬意を表するとともに、心より哀悼の意を表します。
令和6年8月21日、パリオリンピック、フェンシング競技、昭和50年(1975年)から昭和54年(1979年) まで、西ドイツ・フェンシング連盟(DFB)のスポークスマンを務めたドイツの弁護士、元フェンシング選手 トーマス・バッハ氏、並び、私が、慶應義塾大学 在学中 当時に 慶應義塾女子高等学校 フェンシング部 部員 等 も 経験されていた その 慶應義塾大学 塾生との 間における 当時における、その親交の話題、防府市 三田尻女子高等学校 フェンシング顧問 高校教師 に従事していた 当時 山口県フェンシング協会との 私との話題、及び、オリンピック フェンシング競技をもとに、ドイツ・オリンピック・スポーツ連盟(DOSB)と一連の対応もあり 大阪市 ドイツ総領事館 文化部 飛鳥井様と私は、対談をした。

