県警の元最高幹部 勾留取り消し請求 鹿児島簡裁が却下

鹿児島放送配信より

 

県警の元最高幹部 勾留取り消し請求 鹿児島簡裁が却下(KKB鹿児島放送) - Yahoo!ニュース

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鹿児島放送

 

県警の前の生活安全部長の男が求めていた勾留の取り消しについて、鹿児島簡易裁判所は請求を却下しました。  

 

県警の前の生活安全部長、本田尚志容疑者(60)は、警察情報を外部の第三者に漏らしたとして

 

国家公務員法違反の疑いで逮捕・送検されています。  

 

5日鹿児島簡裁で開かれた勾留理由の開示請求手続きで本田容疑者は、メディアの記者に資料を送ったと認めました。  

 

「県警職員が行った犯罪行為を野川明輝本部長が隠ぺいしようとしたことがあり、

 

いち警察官としてどうしても許せなかった。県民の安全より自己保身を図る組織に絶望した」などと主張しました。  

 

代理人弁護士は、「本田容疑者が行った行為は内部通報のようなもので、守秘義務違反には当たらない」などとし、

 

本田容疑者の釈放を求めていました。代理人弁護士によりますと、

 

裁判所は5日付でこの請求を却下したということです。弁護側は不服として準抗告しました。  

 

勾留満期は12日で、さらに10日間の延長か釈放かが判断されます。

 

最終更新:KKB鹿児島放送

 
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「実現すればパーフェクト婚以上」佳子さまのお相手候補、島津一門のスゴすぎる系譜…たった1つの「懸念材料」とは?

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「実現すればパーフェクト婚以上」佳子さまのお相手候補、島津一門のスゴすぎる系譜…たった1つの「懸念材料」とは?(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース

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ギリシャを訪問されていた佳子さま Photo:Anadolu/gettyimages

 

● 源頼朝の子孫と いわれる島津家  ギリシャを訪問されていた

 

秋篠宮皇嗣家の佳子さまだが、週刊誌やインターネットメディアにおいて、

 

有力な結婚相手候補が浮上したと話題になっている。  

 

お相手候補は一般人なのでAさんということになっているが、

 

島津一門で玉里家と通称される旧公爵家の御曹司であることが報じられている。  

 

詳しくは後述するが、最後の薩摩藩主・島津忠義は、久光の実子だが、

 

伯父の斉彬の養子となって家督を継いだ。しかし、明治天皇は維新後、

 

久光を懐柔するために別の公爵家を立てることを認め、2つ目の島津公爵家とした。玉里は久光の隠居所の名前だ。

  

今回の記事では、佳子さまの結婚を巡る周囲の状況と、話題になっている島津家のすごさと

 

皇室とのつながりなどの閨閥(けいばつ)、そして、

 

学習院や霞会館という旧華族の集まりについて解説をしたいと思う。  

 

島津家は源頼朝の子孫といわれる。鎌倉市には源頼朝の墓所があるが、

 

21世紀になって鎌倉市に寄付されるまでは、島津家の所有だった。

 

また、頼朝の祭祀(さいし)は鶴岡八幡宮が行っているが、

 

遺族代表のかたちで参加するのは、島津宗家のご当主だ。  

 

ただし、もともと島津家の初代である忠久は、秦氏の流れをくむ惟宗朝臣を名乗る、

 

漢族帰化人系の中級のお公家さんだった。  

 

母は惟宗広言と通じて忠久を産み、後に安達盛長に嫁した。

 

忠久は、祖母の比企尼が源頼朝の乳母だった縁で鎌倉に下り、

 

薩摩・大隅・日向三国の守護とされた。

 

その時に、近衛家の島津荘(宮崎県都城)を管理したことから島津姓を名乗った。  

 

忠久は主に鎌倉に住み、比企の乱に巻き込まれたり、越前の守護になったりしたが、

 

子孫が元寇の後は九州に住むことを命じられて土着した。

 

そして、室町時代あたりから、源頼朝落胤説を流し、清和源氏だと称した。  

 

一族は南九州各地に広く分散し群雄割拠だったが、戦国時代の島津忠良が戦国大名としての地位を確立した。

 

父親は伊作島津家という中規模の領主だったが、

 

その死後に美人だった母の常盤が相州島津家という有力者と再婚し、息子の忠良をその後継者とした。  

 

忠良は有能で薩南きっての有力者となり、やがて宗家の後継者に子の貴久を送り込んだ。

 

これが、大友宗麟と戦い、豊臣秀吉に服属した島津義久・義弘などの島津四兄弟の父である。

 

ザビエルが鹿児島にやって来たのも貴久の時代だ。  

 

こういう経緯なので、秦氏という立場では、伝承によれば秦の始皇帝の子孫であり、

 

源頼朝の隠し子ということでは、その子孫になる。

 

後者は怪しげだが、江戸後期の名君・島津重豪が、鎌倉に墓を建て、

 

友人の水戸斉昭に頼んで『大日本史』にも書いてもらった。  

 

あまり意味がなさそうにみえるが、幕末には2回にわたって将軍の御台所を送り込み、

 

それをてこに御三家並みの格を獲得し、それが維新の原動力になった。  

 

ついでにいうと、長州の毛利家は源頼朝を助けた公家出身の大江広元の素性がはっきりした子孫だ。

 

● 殿様が優秀で身体も壮健 子だくさんの系譜だった島津家  

 

近世の島津家については、『「篤姫」と島津・徳川の五百年』(講談社文庫)で詳しく書いたが、

 

「島津に暗君なし」といわれるように、殿様が優秀で身体も壮健、

 

子だくさんの系譜だったので、大名から娘を奥方に、男子を養子にと申し込みが殺到した。  

 

幕末の名君で西郷隆盛を育てた島津斉彬の子は早世した者が多く、男系の子孫は残らなかった。  

 

斉彬の跡を継いだのは弟の久光ではなく、その長男の忠義が斉彬の養子となって島津宗家となり、最後の藩主でもあった。

 

久光は当主とはならなかったが、国父と呼ばれていた。

 

朝鮮王国での高宗に対する大院君みたいな立場だが、

 

文久2年の政変まで江戸にも京都にも現れたことがなかったのは、

 

殿様でもその世子でもあったことがないからだ。  

 

久光は維新後に家臣の西郷と大久保に裏切られ、政府では意見が通らず、

 

廃藩置県までされて鹿児島にこもった。そこで明治天皇も自ら鹿児島に下向してご機嫌をとったくらいだが、

 

その一環として、久光には玉里島津家と呼ばれる別家を立てさせ公爵とし、

 

七男の忠済に継がせた。

 

公爵二家というのはほかに徳川家があるが、これは徳川慶喜に田安家たちが継いだ宗家のほかに、別家を立てたものだ。  

 

しかも、それだけでなく、旧華族には島津姓が13家あった。日向佐土原藩主の島津家は独立大名だった分家だが、

 

忠義の七男・久範が継ぎ、その子の久永が昭和天皇の皇女・貴子さんを夫人に迎えている。  

 

そのほかは男爵だが、徳川御三家に似たかたちで男系が断絶しないように設けた加治木、

 

垂水、今和泉、重富の四家がある。このうち、今和泉家は天璋院篤姫の実家だが、久光の五男忠欽の次男隼彦が継いだ。  

 

重富家は久光が婿入りして継承していたが、宗家に戻ったので四男の珍彦が継いだ。

 

珍彦の夫人は斉彬の娘なので、この系統にのみ斉彬の血統は引き継がれている。  

 

それ以外では、宮之城家、日置家、都城家は一族の家老家であるが、

 

宮之城家は久光の次男である久治(図書)が婿養子になって継いだ。  

 

さらに、久光の五男の忠欽、忠義の五男の忠備、六男の忠弘もそれぞれ独立した男爵家を創設させてもらっている。

 

● 佳子さまのお相手候補の祖母は かつて上皇さまのお妃候補の筆頭  

 

宗家は忠義の後、忠重、忠秀、修久(のぶひさ)と継承されているが、

 

修久の母・野口昭子は近衛文麿の長女、妻の伊津子は西郷隆盛のひ孫であり、

 

忠義の娘の俔子は久邇宮邦彦王と結婚し、その娘が香淳皇后である。  

 

一方、玉里家では忠済の後、忠承、忠広と継承されている。忠承は、日本赤十字社社長として活躍し、

 

残留日本人の救出などに功績があった。

 

夫人の泰子は太政大臣・三条実美と福井藩主・松平春嶽の孫。

 

忠広の夫人は北白川肇子。かつて上皇さまのお妃(きさき)候補の筆頭といわれた女性である。  

 

肇子の長男は電気機械メーカー勤務で、さらにその長男が前述のAさんというメガバンク勤務の青年である。  

 

果たして、今回の週刊誌やネットメディアの報道に、どこまで信ぴょう性があるか分からないが、

 

いまのところAさん本人や周辺から積極的な否定の言葉はないし、実現すればパーフェクト婚以上と、世論も好意的だ。  

 

誰が仕掛けているか分からないが、Aさんとの結婚の効用としては、

 

秋篠宮皇嗣家に袖にされて何かと誹謗(ひぼう)中傷をしている人が多い学習院OB・OGとの関係改善に役立つだろう。

 

Aさんは学習院育ちで同窓会の役員まで務めているし、

 

親戚には、かつて娘が皇太子候補といわれた学習院元理事長もいるし、

 

祖父(天皇陛下と学友)も父親も学習院OBで、母親も天皇陛下と秋篠宮さまのあいだの学年の学習院OGだ。

 

旧華族の親睦団体である一般社団法人霞会館(旧華族当主が会員)の人たちも大歓迎だ。  

 

現在、皇族女子が結婚後も単独で皇族身分を維持できるようにする法改正の検討が進んでいる。

 

佳子さまがこの制度を利用されたいのか、そうでないのかは不明だ。だが、もし利用されて、夫は皇族にならず民間人のまま海外訪問などに一緒に出かけられても、公開されてる写真からしても、国民からの違和感がまったくなさそうだ。  

 

逆に、佳子さまが結婚後に民間人になられても、Aさん本人および実家が、佳子さまの元皇族としての品位を維持される上で、困難のなさそうな家庭環境と仕事であることも喜ばしい。  

 

ただ、懸念材料としては、佳子さまとAさんの2人が明治天皇と島津久光という共通の先祖を持つ、近親者であることだろうか。これまでも、皇太子妃選びのときは、宮内庁も非常に神経質に近親者は避けてきた。  

 

一方、女性皇族のお相手については、皇位継承者に影響が出るわけではなく、過去にもそれほど重視されてこなかったから、今回も問題にならないと思う。  

 

(評論家 八幡和郎)

 

八幡和郎

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【関連記事】

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下記における 文化庁長官 関与 国指定 重要文化財 山口県 萩市 その民家の所有者 変更に関する件に関する説明。

 

平成15年8月11日 (平成15年度(行情)答申第251号)に関しては、その後、文部科学省 文部科学大臣に就任された 当時 石川県から、選出 国会議員 馳浩大臣からの、国指定 重要文化財、文化行政 対応  等も端に発し、政府による コロナウイルス感染症対策、外務省 密約書 不在の問題、島根県 竹島問題、国内における 地震防災 対策問題 等にもそい、私のもとには、継続し 続けて ありますことを、下記の記載における各内容にそい、石川県の皆様にも、その説明 申し上げます。

 

立皇嗣の礼 「立皇嗣宣明の儀」行われて、山口県知事 村岡嗣政氏からも、その対応している内容

令和2年11月8日、立皇嗣の礼 「立皇嗣宣明の儀」行われて、山口県知事 村岡嗣政氏、山口県 総務部 学事文書課 情報公開・文書班、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室、山口県 観光スポーツ文化部 交通政策課 等からの一連における、現在へといたる、その対応を受けている内容にかかり、その説明文。

みんなの投稿を見てみよう

令和2年11月8日、秋篠宮さまの「立皇嗣の礼」が8日、皇居・宮殿で催された。

令和2年11月6日、山口県下 新型コロナウイルスの感染状況については、山口市 総務部 総務課 末田一志課長、兼 赤田神社宮司、山口県神社庁 神主と 私との面談内容、その後における 山口県 山口市教育総務課 金子愛子 主査 からの対応、並び、山口市教育委員会、山口市教育長 藤本孝治氏による、公文書開示後における、一連の対応、私のもとへ、あり、関係している重要 書面をもとに、11月6日、山口県 長門市 総務課 行政係 安谷屋様から、連絡を受けている行政内容も踏まえ、山口市役所にて、山口市議会事務局 庶務係 津島正和主幹、山口市広報広聴課 市民相談担当 田中巧副主幹と私は、面談をおこない、今迄の経過説明を行った。

令和2年11月6日、山口県 山口市「令和2年11月6日、山口市教育総務課、山口市学校教育課おける 立皇嗣宣明の儀式、当日における祝意報表 通知における対応の内容について」にかかり、山口市 職員と私は、下記の経緯を踏まえて、その対談を行った。

立皇嗣の礼、山口市議会事務局、山口市教育総務課、学校、国旗掲揚、祝賀奉祝

立皇嗣宣明の儀、「行平御剣伝進の儀」、後鳥羽上皇、即位礼正殿の儀、豊後国行平御太刀。壺切御剣伝進の儀

〇後鳥羽院 (コレクション日本歌人選) 吉野 朋美/笠間書院


〇新古今集 後鳥羽院と定家の時代 (角川選書) 田渕 句美子/KADOKAWA


〇史伝 後鳥羽院〈新装版〉 徳衛, 目崎/吉川弘文館


〇日蓮 大野 達之助/吉川弘文館


〇素晴らしい国・日本―私の「ふるさと創生論」 竹下 登/講談社


〇石橋湛山評論集 (岩波文庫 青 168-1) 石橋 湛山/岩波書店


〇偉大な言論人―石橋湛山 (山日ライブラリ-) (山日ライブラリー) 浅川 保/山梨日日新聞社


〇日独交流150年の軌跡 日独交流史編集委員会/雄松堂書店


〇日蘭交渉史の研究 (思文閣史学叢書) 円, 金井/思文閣出版

令和2年11月5日、山口県 萩市において、「立皇嗣の礼」の対応があり、萩市役所 萩市 市民活動推進部市民活動推進課 松浦直子主任と私は、書面をもとに、面談する。萩市役所 萩市 総務課 行政係 山中係長と書面をもとに、面談する。萩市 観光政策部 文化財保護課 文化財保護係 阿字緒竣太氏と面談する。(七卿落ち 古来から祭祀との関係あり) 萩市 萩家庭裁判所 民事・家事調停委員と面談した。

その際、山口県 萩市 萩家庭裁判所 調停委員からの博識ある、助言も受けて、山口県 長門市に行く。山口県 長門市役所内において、山口県 長門市 企画総務部 総務課 行政係 藤嶋秀治係長と私は、長門市長、長門市教育委員会 教育長、長門市 市議会議長 宛への「立皇嗣の礼」にかかる、その公文書開示請求書をもとにして、その面談を行う。

山口県 長門市 企画総務部 総務課 行政係 藤嶋秀治係長のもとには、岸信介総理大臣、佐藤栄作総理大臣、竹下登総理大臣における 当時の宮中祭祀については、当家との関係にて、それがかかり、その祭祀内容については、竹島領土問題も含まれているため、簡略に その説明を入れ、前安倍晋三総理大臣が、当家に対応されている内容に関しては、今迄における 私のブログ配信している表記のとおりでもあり、その事柄に関しては、安倍晋太郎外務大臣が、大臣 就任 当時からの話題も提供し、長門市長、長門市教育委員会 教育長、長門市議会議長から 私のもとへ、その支援を受けたい旨の連絡を入れる。

平成30年7月25日、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原 忍室次長へ、前任の山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 岡本 操室次長から、私に対応された内容に関する、その反論書、説明文を手渡して、50年前の明治維新100年祭 当時と、現在の明治維新150年祭に向けての違いについては、それを口頭で、説明したが、その内容は、当家における、その祭祀継承における諸問題 等も関係して、あるため、よって、山口県 観光スポーツ文化部 県史編さん室 三原 忍室次長 より、 私から、その意見書を提出したら良い旨の誘導するような発言も、山口県庁内にて、あった。その後、山口県 交通政策課 伊藤副課長と私が作成した書面をもとに、対談を行った。

山口県萩市 黒川 国重要文化財 民家 森田家 住宅内における 山口地方裁判所 判事 坂本倫城様 ( 岡山県出身 ) 弁護士、牧師活動の件 その後の経過、

山口地方裁判所、萩市 黒川 国重要文化財 森田家 住宅内 における 弁護士、牧師活動の件について、当時、民事法廷にて、岡山県出身の山口地方裁判所 判事 坂本倫城様に対し、異議を唱えました。しかし、当時 山口地方裁判所 判事 坂本倫城様 ( 岡山県出身 )は、「その内容について、何ら問題はない。」と私の主張についてを取り下げられ、その民事内容が、現在に至っています。

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文化庁長官 関与 国指定 重要文化財 民家の所有者 変更に関する件

以下 文化庁 及び 内閣府との記録に関しては、その後、私と 山口県 萩市農業委員会事務局 國光貴子事務局長との間における、山口県 萩市 山口地方裁判所 萩支部 民事調停 不成立の内容、その後における 伯母( 山口県 萩市在住 )、叔母( 山口県 萩市在住 ) と 山口家庭裁判所 家事調停 対応にて 発生をしているものです。叔父 ( 山口県・福岡県・千葉県 在住 ) と 私との関係にて、生じているものではないこと、このブログにて、説明します。

 

立皇嗣の礼 「立皇嗣宣明の儀」行われて、山口県知事 村岡嗣政氏からも、その対応している内容_b0398201_01192326.jpg
 

〇 お招ばれ料理―50人の食卓 (新潮文庫) 檀 晴子/新潮社

〇 檀流クッキング入門日記 (中公文庫) 檀晴子/中央公論新社

〇 ずらり 料理上手の台所 その2 (クウネルの本) お勝手探検隊/マガジンハウス

〇 亭主丈夫で留守もいい―ちょっと自然流暮らしノート 檀 晴子/海竜社

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問 庁 : 文化庁長官

諮問日:平成15年6月 3日 (平成15年(行情)諮問第326号)
答申日:平成15年8月11日 (平成15年度(行情)答申第251号)

事件名:重要文化財の所有者変更に関する文書の一部開示決定に関する件

答 申 書
第1 審査会の結論
重要文化財特定住宅の所有者変更について(文化庁原議書)及び文化財所有者氏名等変更届(以下「本件対象文書」という。)につき,その一部を不開示とした決定について,諮問庁が不開示とすることとしている部分については,不開示が妥当である。

第2 異議申立人の主張の要旨

1 異議申立ての趣旨
本件異議申立ての趣旨は,行政機関の保有する情報の公開に関する法律(以下「法」という。)3条の規定に基づく行政文書の開示請求に対し,平成14年11月15日付け諸庁財第124号により文化庁長官が行った一部開示決定について,これを取り消し,本件対象文書の開示を求めるというものである。

2 異議申立ての理由
異議申立人の主張する異議申立ての主たる理由は,異議申立書及び意見書の記載によると,おおむね以下のとおりである。当家では,重要文化財の特定住宅が,亡祖父の財産の寄与分,遺留分を含め,特定個人に相続はすんでいない。そのため,当家の宗教活動,奉仕活動が停止に近い状態になっている。文化庁の不開示とされた個人印により,国重要文化財の特定住宅を管理している当家の相続が中断したままである。今後の国重要文化財の管理運営に大きな問題が生じる。これまで文化庁から発送された担当者名が明記されていない文書や,いままでの文化庁職員の対応よって,異議申立人に,それに関わる必要のない多大の出費,時間の制約と精神的な苦痛を与えている。よって,不開示とされた個人印の印影の開示を求める。

( 以 下 省 略 )

第6 答申に関与した委員 吉村德則,高木佳子,戸松秀典

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その後、以下の内容、関連し、記事として、配信されていますため、関係各位 皆様からも、この状況については、注視をしていただきたいと、お願い申し上げます。

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立正大学図書館 (品川図書館) 受贈本係 対応の件  平成28年(2016年)3月26日

立正大学図書館 (品川図書館) 受贈本係 水上様 
〒141-8602 東京都品川区大崎4-2-16

( 自宅 )  省 略 

件名: 今回、立正大学図書館へ私から寄贈する、『熊谷五右衛門』 昭和35年8月19日発行 限定600部復刻版の1冊 『熊谷五右衛門』を寄贈する 経緯の説明をいたします件
いつもお世話になっています。

私からfax連絡文については、平成28年3月18日に、立正大学図書館(品川図書館)受贈本係水上様へ、すでに連絡済みですが、その時、立正大学図書館(品川図書館)へ「 私からの寄贈本、『熊谷五右衛門』を寄贈する際に、立正大学の関係者に、面会したいと希望します。 」とのfax連絡文、送信もしていましたが、別紙 平成28年(2016年)3月25日、宇部市長久保田后子氏による私への対応の結果、現在における、その内容のとおり、私から、私の請求書の相手方 宇部市長久保田后子氏へ、その再請求書も郵送しているという経緯があり、私からの今回の寄贈時は、立正大学の関係者へ、私が、面会することが、かなわなくなりましたことを連絡申し上げます。

今回の寄贈に関しましては、立正大学 石橋湛山先生と私との文化交流もあり、また、これからの今後の対応が、山口県教育委員会教育長にもありますため、立正大学 皆様から 私からの請求書の 相手方 山口県宇部市長久保田后子氏への再請求書を郵送しているという経緯につきましては、私からの聴き取りと、また、今後のご助言の程も、私の方へ、よろしくお願いいたします。

添付 書類 (写し)
1.宇広要第138号 平成28年(2016年)3月25日 宇部市長 久保田后子氏より
2.山口県 宇部市長 久保田后子氏へ対し、その申立人 による再請求書 
3.平22教職第485号 平成23(2011年)年2月3日 山口県教育委員会教育長より  ( 教職員課人事企画班 担当 松田)
....................................
皇室の重要事項などについて

天皇陛下の相談役となる宮内庁参与に、前最高裁長官の竹崎博允(ひろのぶ)氏(70)が1日付で就任した。同庁によると、元最高裁判事は過去にもいたが長官経験者は初。平成18年から参与を務めた東大名誉教授の三谷太一郎氏(78)は願い出により3月31日付で退任した。宮内庁参与は現在5人。

 

 ・・・ 平成27年4月1日(水)、産経新聞 7時57分配信より

私のコメント: 今後、皇室の重要事項について、竹崎博允氏が、宮内庁内外における様々な専門知識を有する関係者からの情報も得て、はたしてかないといけない内容が、増えている。

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平成25年1月9日、株式会社 大林組 CSR室 広報部 広報第一課に、私から、その送信済の内容

株式会社 大林組 CSR室 広報部 広報第一課 御中 いつもお世話になります。

私の実家 萩市 森田家住宅が、国重要文化財 民家が指定されており、その国重要文化財 名義変更の際、私は、文化庁文化財建造物保護 担当の大林玲子様との連絡経緯が発生し、その後、当家における宗務内容について、大林玲子様に、私が、お世話になっているからです。

株式会社 大林組様に、私が、連絡いたしましたのは、文化庁における、以上の対応内容もあるからです。

また、更に、ご連絡を申し上げる理由には、国宝 出雲大社保存修理事業に際し、出雲大社保存修理 担当者より、私に、「出雲大社 工事前、出雲大社の素屋根の周りを囲む事業について、株式会社 大林組様が、その事業に作業従事された」との御教えもいただいているからです。

以上の内容につきまして、大林組より、私に、ご返事をいただきたいと存じます。よろしくお願い申し上げます。

( 平成25年1月9日、送信済)