「山口県内の企業のインド進出を!」インド駐日特命全権大使が知事表敬
5/9(木) 19:49 KRY山口放送 配信より
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KRY山口放送
世界一の人口を背景に経済成長著しいインド。
その駐日特命全権大使が村岡知事を表敬し、県内企業のインド進出を目指すビジネスセミナーをこの秋にも開催したいと提案しました。
シビ・ジョージ駐日インド特命全権大使は就任翌年の去年から全国の県知事を表敬しています。
シビ全権大使は安倍元総理とインドのモディ首相が交わした特別戦略的グローバル・パートナーシップが10年目を迎えたことに触れ、次のように話しました。
「東京だけが日本ではない。地域との交流も深めたい」
「2024年のうちに山口県と協力したビジネスセミナーを開催したい」
インドには現在、ユニクロなど1500の日系企業が進出しているものの今後、1万5000まで増やしたいとしてシビ全権大使は9月か10月を目標にITやデジタル、食品加工などの分野で中小企業を対象にしたビジネスセミナーを県内で開催したいと提案しました。
また、東京のインド大使館でもビジネス関係者を集めた「山口県デー」を開催したいと矢継ぎ早に村岡知事へ提案。
知事も「積極的に検討したい」と応えました
(シビ全権大使)
「初めて山口県を訪問しました。非常に美しいという印象で非常に良い思い出ができそうです」
シビ全権大使は若者の交流を強めていきたいとして、山口大学などにも表敬しました。
最終更新:5/9(木) 19:49 KRY山口放送
私のコメント : 令和6年5月9日、シビ・ジョージ駐日インド特命全権大使は就任翌年の去年から全国の県知事を表敬しています。
シビ・ジョージ駐日インド駐日特命全権大使が村岡知事を表敬し、インドには現在、ユニクロなど1500の日系企業が進出しているものの今後、1万5000まで増やしたいとしてシビ全権大使は9月か10月を目標にITやデジタル、食品加工などの分野で中小企業を対象にしたビジネスセミナーを県内で開催したいと提案しました。
シビ・ジョージ駐日インド大使は交流を強めていきたいとして、山口大学などにも表敬しました。
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ドイツは2度降伏した、第二次大戦の知られざる真実
戦勝記念日がロシアとほかの国々で違う理由は?
2020.06.11
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1945年5月8日、ドイツの無条件降伏が発効したことを祝う米軍兵士たち。ソ連を率いていたスターリンはこの翌日に2回目の降伏調印式を行わせた。
(PHOTOGRAPH BY HULTON-DEUTSCH COLLECTION, CORBIS/GETTY)
1945年5月7日、ドイツはフランスのランスで連合国に対して無条件降伏し、第三帝国は終焉のときを迎えた。
それとも、終焉のときは5月9日のベルリンだったのか?
それはどちらも事実だ。対立するイデオロギー、ソ連と他の連合国との軋轢、そして第一次世界大戦後に残った禍根によって、ドイツは実際に2回降伏した。
ヒトラーの死と最初の降伏
1944年から45年にかけて、連合国の勝利がますます確実になり、米国、ソ連、フランス、英国はドイツ降伏の条件について検討を重ねていた。
しかし、1945年4月30日にアドルフ・ヒトラーがベルリンの地下壕で自殺して独裁に終止符が打たれた時点でも、降伏文書への調印を軍事的、政治的にどう進めるかは、まだ決まっていなかった。
(参考記事:「ヒトラーが最後の日々を過ごした地下壕 ドイツ・ベルリン」)
ヒトラーは、自らの死後の後継者として、海軍元帥で熱烈なナチ党員だったカール・デーニッツを指名していた。
しかし、デーニッツは新生ドイツの統治ではなく、解体を司る運命にあった。
彼は国防軍最高司令部の作戦部長だったアルフレート・ヨードルをすぐさま代理人に指名し、全軍降伏について連合国軍のドワイト・D・アイゼンハワー司令官と交渉する任務にあたらせた。
ドイツ国防軍最高司令部の作戦部長アルフレート・ヨードルは、1945年5月7日に無条件降伏および停戦文書に署名した。(PHOTOGRAPH BY UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE, UNIVERSAL IMAGES GROUP/GETTY)
デーニッツは、侵攻してくるソ連軍からできる限り多くのドイツ人や軍隊を逃がすため、この交渉を使って時間を稼ごうとしていた。
さらに、あわよくばソ連に対して不信を抱く米国、英国、フランスをけしかけてソ連と敵対させ、ソ連との戦争を続行したいという思惑もあった。
しかし、アイゼンハワーはその策略を見通しており、交渉なしで降伏文書に署名するようヨードルに迫った。
5月7日、ヨードルは無条件降伏および停戦文書に署名。
その文書は中央ヨーロッパ時間の5月8日午後11時01分に発効することになった。
しかし、ランスでドイツが全軍無条件降伏したと聞いて激怒したのが、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンだった。
戦争で多くの軍人や民間人が犠牲になったのはソ連であり、ドイツの降伏を受け入れるべきなのは、ランスで署名を見届けたソ連の将官たちではなく、ソ連軍の最高司令官であるべきだと主張した。
スターリンは署名の場所にも反対し、降伏の場所は第三帝国の首都であるベルリンであるべきだと述べた。
しかし、他の連合国を納得させる決め手になったのは、ヨードルはドイツの最高司令官ではないというスターリンの3つ目の主張だった。
すべての当事者は、第一次世界大戦を終わらせた休戦協定への署名が第二次世界大戦の原因になったことを覚えていたのだ。
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