藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」

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藤原定家直筆の「古今和歌集」注釈書を発見 専門家「国宝に値」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

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冷泉家に伝わる古今伝授箱から見つかった藤原定家直筆の「顕注密勘」=京都市上京区で2024年4月16日、加古信志撮影

 

鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が自筆した「古今和歌集」

 

の注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の原本が見つかった。

 

子孫の冷泉家(京都市上京区)で保管する木箱を約130年ぶりに開けたところ、収められていた。

 

同書の写本の中には国重要文化財に指定されているものもあり、

 

原本について専門家は「国宝に値する」と評価している。

 

  【写真】古今伝授箱から見つかった定家直筆の「顕注密勘」  

 

定家らの古典籍を研究・保存する冷泉家時雨亭文庫が発表した。  

 

顕注密勘は、最初の勅選和歌集・古今和歌集について和歌の先人による注釈に、定家が自説を書き加えた注釈書。

 

上・中・下の3巻からなる。木箱にあった3巻のうち中・下巻が、筆跡や紙の製法などから原本と判断された。

 

上巻の原本は火災で焼失したと伝わっており、同時に見つかったものは写本だった。  

 

中巻は123枚、下巻は112枚でいずれも縦18センチ、横16・5センチ。

 

記述の訂正や紙を足して書き加えるなど、写本ではわからなかった定家の推敲(すいこう)の跡も確認された。

 

定家の思考が直接的にうかがえる貴重な史料と位置付けられる。  

 

木箱は冷泉家の蔵で保管され、存在は知られていたが、明治以降、開けられたことはなかった。

 

原本が収められていたことで、和歌の奥義を伝承する「古今(こきん)伝授箱」であることが判明。

 

歴代当主が一生に一度だけ開け、秘伝を継承してきたとされる。  

 

定家に詳しい久保田淳・東京大名誉教授(和歌文学)は

「紙を貼り付けて書き足すなど、顕注密勘が成立するまでのありようが如実にわかる点で、

これまでの写本とは段違いに価値がある。国宝級のご本だ」

と説明する。

 

【大東祐紀】

 

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私のコメント :   令和6年4月18日、鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が自筆した「古今和歌集」の注釈書「顕注密勘」の原本が見つかった。

 

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〇 愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)
慈円/講談社

〇 定家本土佐日記
藤原定家/Independently published

〇 新古今和歌集〈2〉―伝亀山院・青蓮院道円親王筆 (1976年) (愛媛大学古典叢刊〈26〉)  中小路 駿逸/青葉図書

〇 古今和歌集 (岩波文庫 黄 12-1)
佐伯 梅友/岩波書店

〇 冷泉家・蔵番ものがたり 「和歌の家」千年をひもとく (NHKブックス)
冷泉 為人/NHK出版

〇 泡沫(みなわ)の歌 :森鷗外と星新一をつなぐひと (ホシヅル文庫 2)
小金井 喜美子,星 マリナ/新潮社

〇 響映する日本文学史
島内裕子/左右社*

〇 近代恋愛詩歌選 =恋する詩集=
森鴎外,国木田 独歩,島崎 藤村,飛鳥 俊/Asuka Creator

〇 室生犀星作品集: 50作品収録
室生犀星/復興支援文庫

〇 『永井荷風作品集・82作品⇒1冊』
永井 荷風/永井荷風作品集・出版委員会

〇 明治文壇の人々
馬場 孤蝶/三田文学出版部

〇 いろは歌に暗号 (祥伝社文庫 く 11-6)
鯨 統一郎/祥伝社

〇 「いろは歌」の暗号
村上 通典/文藝春秋

〇 労働市場 (1980年) (日経文庫 経済学入門シリーズ)
西川 俊作/日本経済新聞社

〇 武蔵野
国木田 独歩/

〇 福沢諭吉の横顔 (Keio UP選書)
西川 俊作/慶應義塾大学出版会

〇 沈黙の塔
森 鴎外/

〇 水沫集: 国会図書館復刻版
森鴎外/電子復刻出版

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愚管抄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』配信より

 

(中略)

 

『愚管抄』(ぐかんしょう)は、鎌倉時代初期の史論書。作者は天台宗僧侶の慈円。全7巻。承久の乱の直前、朝廷幕府の緊張が高まった時期の承久2年(1220年)頃成立したが、乱後に修訂が加えられている。北畠親房の『神皇正統記』と双璧を為す、中世日本で最も重要な歴史書と評される。愚管とは私見の謙譲語。

概略[編集]

初代・神武天皇から第84代・順徳天皇までの歴史を、貴族の時代から武士の時代への転換と捉え、末法思想と「道理」の理念とに基づいて、仮名文で述べたもの。慈円は朝廷側の一員であるが、源頼朝の政治を道理にかなっていると評価している。また、慈円自身の父である藤原忠通が父(慈円にとっては祖父)藤原忠実と不仲であった事を暗に批判したり、同母兄弟である九条家流を持ち上げて異母兄弟である近衛家流を非難するなど、摂関家の一員として慈円本人の複雑な事情を垣間見る事の出来る記事も存在する。

構成[編集]

『愚管抄』の内容は性格の異なる三部分から成り立っており、巻1から巻2までは神武以来の天皇年代記、巻3から巻6までは道理の推移を中心とする歴史述叙、そして巻7は道理についての総括となっている。鈴木正道によると当初巻3から書き始められ、最後に天皇年代記が書き継がれたとする。巻7に至り、一切の法は道理であり、其の道理に基づいて世の直し方の方法を論述している。

版本[編集]

参考文献[編集]