“CA出身”のJAL・鳥取三津子新社長、元同僚からの評判は…「あだ名は『乗っ取りさん』」
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“CA出身”のJAL・鳥取三津子新社長、元同僚からの評判は…「あだ名は『乗っ取りさん』」(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
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“CA出身”のJAL・鳥取三津子新社長、元同僚からの評判は…「あだ名は『乗っ取りさん』」
「安全とサービスの2つ、これが私のキャリアそのものでございます」
そう挨拶したのは、4月から日本航空(JAL)の社長になると発表された、鳥取三津子氏(59)だ。
◆ ◆ ◆
『英語を活かした仕事がしたい』85年に東亜国内航空に入社
経済部記者が解説する。 「大手航空会社の社長に女性が就任するのは史上初。
CA出身社長であることも同社初で、まさに“異例ずくめ”の人事となりました」
福岡県久留米市で育った鳥取氏は高校卒業後、長崎県の活水女子短大に進学。
「地味でおとなしいタイプ。『英語を活かした仕事がしたい』とミッション系の活水に進んだそうです」
(高校の同級生)
85年に東亜国内航空(JASの前身)に入社。当時を知る元CAが語る。
「親しみを込めてみんな『みっちゃん』と呼んでいた。
国際線が就航したばかりの89年頃、
ハワイの人気店の『エッグスンシングス』にパンケーキを食べに出かけたりも。
人の気づかない仕事もサッとしてくれる、信頼できる後輩です」
管理職として“人員削減策”に辣腕を振るう
その後、新人CAを訓練する“教官”も務めた。
「それは怖い存在でした。
でも、鳥取教官は頭ごなしに叱るのではなく、落ち着いたトーンで諭すように話すタイプでした」
(指導を受けた旧JASの元CA)
JAS時代を知る関係者からは、「鳥取さんを悪く言う人はいない」との声が聞こえてくる。
ただ、02年のJASとJALとの統合後、彼女を知った関係者からは恨み節も。 「
人事的に旧JASの人を昇進させる配慮があったので、彼女はすぐマネージャーになった。
でも経験も少ないのに長距離路線のCAの評価をする立場になり、トンチンカンなことを言うとCAからの評判はイマイチ」(元JALのCA)
そんな鳥取氏が管理職として辣腕を振るったのが、“人員削減策”だった。
「19年、国内線仕様のボーイング機の導入時に、
通常は飛行機の非常口と同じ数の乗務員を配置するところ、
その数を減らし、上層部からの評価は高まった」
(現役CA)
20年には執行役員・客室本部長に昇進。コロナ禍で航空需要が激減すると
CAを厚労省や一般企業に出向させ、陣中見舞いを重ねるなど最前線でケアを行った。ところが……。
「需要回復時に人員配置計画がうまくいっておらず、有給休暇を取れないCAが続出したので、
CAを統括していた彼女が矢面に立つことになった」(同前)
AL出身者の間では『乗っ取りさん』と呼ばれ…
鳥取氏はプライベートの話をあまりしないが、JALのベテラン社員はある1件を覚えている。
「独身の彼女がミーティングの席で『私が結婚したという噂が流れている』
『そんなウソを流すのは信じられない』と話し始めた。みんなポカンとしていました」
そして今年1月、突然の社長就任発表となった。
「正直に言って、JAS出身のCAが社長なのは納得できない。
私たちJAL出身者の間では、彼女は鳥取さんならぬ『乗っ取りさん』と呼ばれています」
(同前)
旧JASと旧JALの溝は、いまだ埋まっていないようなのである。
友人には『もうやるしかない』と覚悟を決めていた
JALに質問状を送付したところ、回答があった。
「(乗務員配置策は)ボーイングが定める基準を満たす数を設定しました。
(人員不足の件は)本人の承諾を得たうえで、有給休暇の時季を変更いただいたことはございます。
(プライベートについては)回答は差し控えさせていただきます」
前出の高校の友人は、社長就任で、昨年、
専務執行役員になった際に聞いた彼女の言葉を思い出したという。
「『たまたま波に乗っただけ』
『荷が重いけど、もうやるしかない』と覚悟を決めた様子でした」
新たな波は、前途多難?
「週刊文春」編集部/週刊文春 2024年2月1日号
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