一度は行きたい、イタリアンの名店 福岡編
Mika.A
山の幸と海の幸に恵まれる、好立地にある福岡県。グルメの町として知られ、福岡県ならではの魅力に富む個性豊かなレストランが存在しています。今回は、一度は訪れたい、福岡にあるイタリアンの名店を5軒ご紹介します。
目 次
- 1. 天神の隠れ家レストランで味わう絶品パスタは必食
- 2. 自由な発想で織りなされるイタリアンに感じる四季の感性
- 3. 地産地消にこだわり九州を目一杯感じるイタリアン
- 4. 女性からの人気が厚い、和のエッセンスを感じるイタリアン
- 5. ミラノ風のお洒落な空間で味わう“ヘルシーイタリアン”
1. 天神の隠れ家レストランで味わう絶品パスタは必食
bekki(福岡県/赤坂駅)
福岡県・天神駅から徒歩15分、賑やかな繁華街から少し離れた住宅街に位置する「bekki(ベッキ)」。看板のないビル1階にあるエントランスから通路を抜けると、緑に囲まれた隠れ家レストランが現れます。カウンター11席の店内からも眺めることのできるお庭では、ハーブを育てていて、お料理にも利用されているそう。
腕を振るうのは、熊本県にある「IL CASINO(イル・カジーノ)」で星を獲得していた実力派シェフ・別城健太郎氏。おまかせコースでは地元九州の魚介類や野菜を中心に、厳選した牛肉などこだわりの食材を使用したお料理の数々を振る舞います。なかでもメインのお肉はレアな焼き加減が絶妙と好評。歯切れの良い食感が特徴の「手打ちパスタ」も、ぜひとも味わいたい逸品です。
イノベーティブ
bekki
地下鉄空港線 赤坂駅 4番出口から徒歩10分
15,000円〜19,999円
2. 自由な発想で織りなされるイタリアンに感じる四季の感性
なかがわ 本店(福岡県/渡辺通駅)
渡辺通駅より徒歩1分、ビルの地下1階にある「なかがわ 本店」。店内はガラス張りのオープンキッチンが特徴的な、白と木目を基調とした和モダンで落ち着きのある雰囲気。テーブル席に加え、個室も2部屋用意があるためその日の気分やシーンに合わせて選べます。
イタリア・東京・福岡のレストランで研鑽を積んだオーナーシェフ・中川英樹氏が作るのは、イタリアンをベースに、シェフの自由な発想を加えたお料理の数々。九州の食材にこだわり、生産者の想いや季節、その瞬間に一番美味しいと思える一皿を提供します。スペシャリテの25種のサラダは、旬の野菜が勢ぞろいした彩豊かな逸品。目でも舌でも楽しんで。
イタリア料理
なかがわ 本店
地下鉄七隈線 渡辺通駅 1番出口 徒歩1分
10,000円〜11,999円
3. 地産地消にこだわり九州を目一杯感じるイタリアン
リストランテKubotsu(福岡県/西鉄福岡(天神)駅)
天神駅から徒歩2分、緑あふれる警固公園を望む商業ビルの4階に位置する「リストランテKubotsu」。木のぬくもりを感じるメインダイニングの大きな窓からは陽光が注ぎ、穏やかな雰囲気の空間が広がります。 “九州ならではの伝統や文化、匠の技をもっと身近に感じていただきたい”という思いから、卓上には伝統工芸の唐津焼や博多織を配しており、空間のアクセントとして彩を添えています。
メニューには、どこの生産者から仕入れたかが明記されているほど仕入れにこだわりあり!料理長・窪津朋生氏がこれまで九州各地の生産者を訪ね築き上げてきた信頼関係のもと、厳選した旬の食材を仕入れます。地産地消にこだわるメニューはどれも九州の味が詰まったものばかり。特に季節を感じる野菜たっぷりの前菜や、あか牛炭火焼は絶妙な火入れ加減に唸らずにはいられないでしょう。
イタリア料理
リストランテKubotsu
西鉄天神大牟田線 西鉄福岡(天神)駅 徒歩2分
,000円〜19,999円
4. 女性からの人気が厚い、和のエッセンスを感じるイタリアン
メルモーゾ ダ ドロカワ(福岡県/西鉄平尾駅)
平尾駅から徒歩5分の場所にある、木をふんだんに使用した内装と、落ち着いた雰囲気が特徴の「メルモーゾ ダ ドロカワ」。カウンターの席でもテーブルが広々とした造りになっているので、肩ひじ張らずにゆったりと過ごせるのが嬉しいポイント。店内には女性のゲストも多く、女性人気の高さがうかがえます。
新鮮な魚介が中心のお料理は、和とイタリアンの要素が調和した、素材を活かした逸品揃い。ボリューム感があるのにお手頃で嬉しいと口コミで話題のコースは、ランチなら2,750円から楽しめます。魚介類を使ったお料理はもちろん、前菜盛り合わせは彩鮮やかなサラダに加え、シャルキュトリーなどがたっぷり!ふわふわの自家製フォカッチャはおかわりしたくなる美味しさです。
イタリア料理
メルモーゾ ダ ドロカワ
西鉄天神大牟田線 西鉄平尾駅 徒歩5分
12,000円〜14,999円5. ミラノ風のお洒落な空間で味わう“ヘルシーイタリアン”
リストランテ カノビアーノ 福岡(福岡県/西鉄福岡(天神)駅)
西鉄福岡(天神)駅徒歩5分、外からバールの見えるミラノ風の佇まいが特徴の「リストランテ カノビアーノ福岡」。外観や内装、そしてインテリアまでミラノ風のデザインが施され、まるで本場イタリアのような空間でゲストをもてなします。お料理は、東京の人気レストラン「リストランテ カノビアーノ」のオーナーシェフ・植竹隆政氏が監修を務める自然派イタリアンを提供。
“食べれば食べる程身体の内から元気になる”をコンセプトに、にんにくや唐辛子、バター・クリームなどの動物性油脂を極力使わず、オリーブオイルや有機農法で栽培された野菜を中心に身体に優しいお料理でもてなします。お洒落な空間で味わう“ヘルシーイタリアン”に心も体も癒されるひとときを過ごせるでしょう。
イタリア料理
リストランテ カノビアーノ 福岡
西鉄天神大牟田線 西鉄福岡(天神)駅 徒歩5分
10,000円〜11,999円
グルメの街・福岡から、一度は訪れたいイタリアンの名店を5軒ご紹介しました。美味しいお料理もさることながら、その店ならではの個性が光るレストランばかり。洗練された空間で味わうシェフこだわりの一皿に、心躍るひとときをお過ごしください。
Mika.A
外食が何よりの楽しみな編集部メンバーです。
野菜へのこだわりは人一倍!好きが高じて
ベジタリアン・フルーツアドバイザーの資格を取得しました。
・好きなお店:さ行/ボッテガ/鮨かなやま/銀座レカン/シンシア
・好きなジャンル:鮨・肉・フレンチ(正統派クラシック派)
・最近行ったフレンチ:シンシア/レストラン西洋銀座/マダム・トキ/シェ・イノ
・好きな食材:野菜全般/鴨/トリュフ
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エドアルド・キヨッソーネ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』配信より
(中略)エドアルド・キヨッソーネ | |
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郵政省『郵便切手の歩み』より |
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原語名 | Edoardo Chiossone |
生誕 | 1833年1月21日 サルデーニャ王国 リグーリア州ジェノヴァ県アレンツァーノ |
死没 | 1898年4月11日(64歳) 日本 東京府東京市麹町区 |
国籍 | サルデーニャ王国 |
職業 | 芸術家 版画家 |
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エドアルド・キヨッソーネ(伊: Edoardo Chiossone、1833年1月21日 - 1898年4月11日)は、イタリアの版画家、画家。明治時代に来日したお雇い外国人として知られる。日本語では名がエドワルト、エトワルド、姓がキヨソネ、キヨソーネとも表記される。実孫は化学者の岡村誠三。[要出典]
生涯[編集]
キヨッソーネはイタリアのアレンツァーノ(ジェノヴァ県)で代々製版・印刷業を営んでいた家系に生まれる。14歳からリグーリア美術学校で銅版画の彫刻技術を学び、22歳で卒業、特別賞を受賞し教授となった。1867年開催のパリ万国博覧会に出品した銅版画は銀賞を受賞している。その後紙幣造りに興味を持ちイタリア王国国立銀行に就職し同国の紙幣を製造していたドイツのフランクフルトにあったドンドルフ・ナウマン社に1868年に出向した。当時ドンドルフ・ナウマン社は日本の明治政府が発注した政府紙幣(明治通宝)を製造しており、彼も製造に関わっていた。
キヨッソーネが来日したのは1875年(明治8年)のことであったが、当時彼はイギリスの印刷会社に勤めていた。招聘に応じたのは大隈重信が破格の条件(月額454円71銭8厘)を提示したこともあったが、当時写真製版技術の発達が進んでいたこともあり、銅版画の技術を生かせる活躍の場を求めたこともある。一方、樹立間もない明治政府にとって偽造されないような精巧な紙幣を製造するのは大きな課題であり、このままドンドルフ・ナウマン社に紙幣印刷を依頼するのは経費がかさむうえ安全性に問題があるとして、国産化を目指しその技術指導の出来る人材を求めたのである。
来日後、大蔵省紙幣局(現・国立印刷局)を指導。印紙や政府証券の彫刻をはじめとする日本の紙幣・切手印刷の基礎を築いたほか、新世代を担う若者たちの美術教育にも尽力した。奉職中の16年間に、キヨッソーネが版を彫った郵便切手、印紙、銀行券、証券、国債などは500点を超える。特に日本で製造された近代的紙幣の初期の彫刻は彼の手がけた作品である。また、1888年には宮内省の依頼で明治天皇の御真影を製作し、同省から破格の慰労金2500円を授与された。また元勲や皇族の肖像画も残した。面識がない人物を描いたことも少なくないが、例えば西郷隆盛の肖像については西郷本人と面識がないうえに、西郷の写真も残っていなかったため、西郷の朋輩であり縁者でもあった得能良介からアドバイスを受けて西郷従道と大山巌をモデルにイメージを作り上げたという。また当時の紙幣における藤原鎌足は松方正義を、和気清麻呂は木戸孝允を、武内宿禰は当時の印刷部長佐田清次を、神功皇后は印刷部女子職員をモデルに彼が描いたものであった。また日本の欧米諸国の技術水準で製造された最初の普通切手シリーズの小判切手は彼がデザインしたものであった。彼が描いた岩倉具視の肖像画はB号券及びC号券の500円紙幣の原画となった。(紙幣に使用されたのは両方ともキヨッソーネが描いたものを左右反転し、服を大礼服から蝶ネクタイの背広に変えたものである。)
印刷業における功績として、司馬江漢以来エッチング一辺倒だった日本に、腐食に頼らずビュランを使用する直彫りのエングレービングやメゾチントを紹介し、腐食によるものでもソフト・グラウンド・エッチングやアクアチント等の本格的な銅版技術を伝授した。また、日本でそれまで普及していなかった原版から精巧な複数の版をおこす「クラッチ法」や「電胎法」などをもたらした事で、安定した品質での大量印刷が可能になった。
雇用期間が終了した1891年(明治24年)の住所は麹町区平河町であった[1]。退職金3000円、元印刷局雇として大蔵大臣松方正義から終身年金年額1200円、また勲三等瑞宝章を政府から与えられ、さらに1893年には元大蔵省傭として大蔵大臣渡辺国武から終身恩給年額1000円を与えられた。これらの莫大な収入の殆どは、日本の美術品や工芸品を購入するのに当てたほか、寄付したという。
彼は最期まで日本に留まり、1898年に東京・麹町の自宅で逝去、青山霊園に葬られた。独身を通したため(内縁関係にあった日本人女性がいたといわれる)、遺言で遺産の3000円を残された召使が分配したという。
キヨッソーネが収集した美術品は、浮世絵版画3269点、銅器1529点、鍔1442点をはじめとして15000点余りに上る。キヨッソーネは系統立った収集のため、堀口九萬一に『浮世絵類考』をフランス語に翻訳してもらい、これを座右の書として研究していたという。彼の収集品は死後イタリアに送られ、岡倉由三郎によって系統立てられ、現在はジェノヴァ市立のキオッソーネ東洋美術館に収蔵されている。
作品[編集]
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キヨッソーネ作の最も有名な肖像画である明治天皇のコンテ画(明治21年1月)
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キヨッソーネの手がけた新小判切手
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キヨッソーネの手がけた一円紙幣(大黒札・旧一円券)
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キヨッソーネによる西郷隆盛像
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キヨッソーネによる大村益次郎像
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シーボルトの肖像画
切手[編集]
母国のイタリアでは1988年に和服姿の彼の肖像を描いた切手が発行されたほか、1994年11月18日には日本も彼の肖像(洋装)を描いた切手を発行したが、いずれも小判切手も描かれていた。
脚注[編集]
[脚注の使い方]
参考文献[編集]
以下の内容は、省略しています。