24歳のキャリア官僚雅子さまが語った仕事と結婚 皇室入る5年前に

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24歳のキャリア官僚雅子さまが語った仕事と結婚 皇室入る5年前に(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

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朝日新聞デジタル

外務省に入省した年に朝日新聞の取材に応じた皇后さま。当時24歳で、将来を嘱望されたキャリア官僚だった=1987年12月23日、東京・霞が関の外務省

 

 皇后雅子さまが9日に60歳を迎えた。男女雇用機会均等法の施行元年に外交官試験に合格したキャリアで、

 

皇太子妃候補と騒がれる前の24歳のとき、霞が関の若手女性官僚として、朝日新聞の取材に応じていた。

 

仕事や結婚など、当時語った思いとは――。

 

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1987年12月25日付の朝日新聞朝刊第3社会面に

 

「花の同期がネットワーク 『霞が関』87年入省の女性たち」との見出しの記事が掲載された。  

 

東京・霞が関の官庁街に、女性だけの同期会「花(87)の同期会」が結成されたと伝える記事だ。  

 

87年入省の同期会のメンバーとして、写真つきで紹介した2人のうち1人が、いまの皇后である小和田雅子さんだった。  

 

小和田さんの記事の見出しは「仕事を持つのは当然 結婚と両立させたい」  

 

記事では、外交官の父を持ち、幼いころから外国暮らしが長いことを伝え、

 

仕事を持って生きるということに迷いはないと伝えている。  

 

本人の言葉として

 

「ハーバードでは、女性でも仕事をもつのが当たり前でしたから」

 

「ただ、いよいよ外務省から内定をもらった時、これで自分は結婚できないかもしれない、とも……。両立させたいですね」

 

と紹介している。  

 

経済協力開発機構(OECD)の環境委員会を担当し、

 

仕事内容は会議に備えた資料の準備や会議での日本政府の見解を調整する役目だとし、

 

「夜2時に帰宅したら、母にきょうは早いわね、と言われちゃいました」と話していた。  

 

記事の末尾はこう締めくくっている。  

 

ただ一つ、感じることは――。「日本では、女性というだけで珍しがられたり、外見のことを言われたりするのが、ちょっぴり残念です」      

 

◇  

 

皇太子妃に内定したのは、この記事が掲載された約5年後。当時皇太子だった天皇陛下からプロポーズを受け、外交官の仕事を辞めるかどうか悩んだ皇后さま。

 

「一生、全力でお守りします」という陛下の言葉に心を動かされ、29歳の時に結婚した。  

 

皇室に入り、30年あまり。長期療養を経て、いま、皇后として陛下とともに歩み続けている。(多田晃子)

 

朝日新聞社

 

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私のコメント :  令和5年12月9日、皇后雅子さまが9日に60歳を迎えた。男女雇用機会均等法の施行元年に外交官試験に合格したキャリアで、皇太子妃候補と騒がれる前の24歳のとき、霞が関の若手女性官僚として、朝日新聞の取材に応じていた。
 
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