拳銃実弾500発密輸か ベトナム人逮捕 密輸の実弾数で過去最多
拳銃実弾500発密輸か ベトナム人逮捕 密輸の実弾数で過去最多 | NHK | 事件
配信より
拳銃の実弾500発をベトナムから密輸したとして、静岡県に住むベトナム人の会社員が銃刀法違反の疑いで逮捕されました。
警視庁によりますと、一度に密輸された実弾の数としては過去最多だということです。
逮捕されたのは静岡市駿河区に住むベトナム人で会社員のダン ダック カイン容疑者(26)です。
警視庁によりますと8月、22口径の拳銃の実弾500発を国際郵便で成田空港に密輸した疑いが持たれています。
実弾は加圧式ポンプの中に隠されていて、ベトナムの郵便局から自宅のアパートの部屋宛てに発送させていたということです。
調べに対し会社員は「拳銃や実弾を紹介するベトナムの動画配信サービスを見て、購入しようと思った。拳銃や実弾が好きだった」と容疑を認めているということです。
警視庁によりますと、一度に密輸された実弾の数としては、平成7年に銃刀法が改正されて以降、最多だということです。
警視庁が詳しいいきさつを捜査しています。
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上川陽子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』、配信より
上川 陽子
かみかわ ようこ |
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外務大臣の就任に際して公表された肖像 |
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生年月日 | 1953年3月1日(70歳) |
出生地 | 日本 静岡県静岡市 |
出身校 | 東京大学教養学部卒業 ハーバード大学ケネディ・スクール修了 |
前職 | 三菱総合研究所研究員 グローバリンク総合研究所代表取締役 |
所属政党 | (無所属→) (自由民主党→) (無所属(21世紀クラブ)→) 自由民主党(岸田派) |
称号 | 政治行政学修士(ハーバード大学) 教養学士(東京大学) |
公式サイト | 自由民主党 衆議院議員 かみかわ陽子オフィシャルサイト |
第152代 外務大臣 |
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内閣 | 第2次岸田第2次改造内閣 |
在任期間 | 2023年9月13日 - 現職 |
第94-95・98-99・103代 法務大臣 |
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内閣 | 第2次安倍改造内閣 第3次安倍内閣 第3次安倍第3次改造内閣 第4次安倍内閣 菅義偉内閣 |
在任期間 | 2014年10月21日 - 2015年10月7日
2017年8月3日 - 2018年10月2日 2020年9月16日 - 2021年10月4日 |
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内閣 | 福田康夫内閣 |
在任期間 | 2007年9月26日[1] - 2008年8月2日[1] |
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内閣 | 第1次安倍改造内閣 福田康夫内閣 |
在任期間 | 2007年8月27日 - 2008年8月2日 |
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選挙区 | (静岡1区→) (比例東海ブロック→) 静岡1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 2000年6月26日 - 2009年7月21日 2012年12月18日[2] - 現職 |
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上川 陽子(かみかわ ようこ、1953年〈昭和28年〉3月1日[3] - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、外務大臣(第152代)。
法務大臣(第94・95・98・99・103代)、公文書管理担当大臣(福田康夫内閣)、内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、総務副大臣(第2次安倍内閣)、総務大臣政務官(第3次小泉改造内閣)、衆議院厚生労働委員長、自由民主党一億総活躍推進本部長、同女性活躍推進本部長、同女性局長、同幹事長代理などを歴任した[3][1]。
来歴[編集]
静岡県静岡市生まれ。静岡雙葉中学校・高等学校卒業後、東京大学文科三類に入学し、東京大学教養学部教養学科(国際関係論専攻)卒業。カトリック教徒[4]。
1977年4月三菱総合研究所に入所し、研究員を務める。1988年、アメリカ合衆国のハーバード大学ケネディ・スクールで政治行政学修士号を取得した[5] [6]。その後はアメリカ合衆国議会のマックス・ボーカス上院議員(民主党)の政策スタッフを務める。同年12月、株式会社グローバリンク総合研究所代表取締役に就任[3]。
1996年、第41回衆議院議員総選挙に静岡1区から無所属で出馬したが、得票数5位で落選。
その後、自由民主党に入党したが、2000年6月の第42回衆議院議員総選挙には再び無所属で静岡1区から出馬し、自民党元職の戸塚進也、民主党元職の牧野聖修(比例復活)、公明党前職の大口善徳を破り初当選した。自民党公認候補がいながら静岡1区での出馬を強行したため自民党を除名され、同じ保守系無所属で当選した衆議院議員9名で院内会派「21世紀クラブ」を結成。同年11月の加藤の乱では、森内閣不信任決議案に反対票を投じる。
2003年の第43回衆議院議員総選挙で牧野に敗れたが、重複立候補していた比例東海ブロックで復活し、再選。2004年10月、自民党女性局長に就任[3]。
2005年の第44回衆議院議員総選挙で3選。11月、第3次小泉改造内閣で総務大臣政務官(行政改革の推進、公務員制度の改革の担当[8])に任命された[3]。2007年、第1次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣(少子化対策、男女共同参画)に任命され、当選3回で初入閣した。続く福田康夫内閣でも再任され、新たに公文書管理担当の国務大臣にも命ぜられた。
2009年の第45回衆議院議員総選挙で牧野に敗れ、比例復活もならず落選した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙で国政に復帰(4選)。
2013年9月、第2次安倍内閣で閣僚経験者ながら総務副大臣に任命された[9]。2014年9月、第2次安倍改造内閣発足により総務副大臣を退任し、衆議院厚生労働委員長及び新設された自由民主党女性活躍推進本部長に起用される[3][10]。2014年10月、公職選挙法違反の疑いで辞任した松島みどりの後任の法務大臣に任命され、7年ぶりに2度目の入閣[3][11]。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で5選。選挙後に発足した第3次安倍内閣においても法務大臣に再任された[3]。
2015年6月、闇サイト殺人事件(2007年発生)で死刑が確定し、名古屋拘置所に収監されていた死刑囚1名の死刑執行を命令した[12]。同年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣の発足に伴い、法務大臣を退任。その後、自民党憲法改正推進本部事務局長に就任した[13]。
2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣で、再び法務大臣に任命された[3][14]。同年10月の第48回衆議院議員総選挙で6選。同年12月19日、市川一家4人殺害事件(1992年発生)で死刑が確定した犯行当時19歳の少年死刑囚を含め、死刑囚2名(いずれも東京拘置所収監・複数回目の再審請求中)の死刑執行を命令した[15]。少年死刑囚の死刑執行は、1997年に死刑が執行された永山則夫元死刑囚(永山則夫連続射殺事件、1969年発生)以来20年ぶりだった[15]。
2018年1月、国際仲裁センターの日本誘致をめぐって、これに消極的な当時法務省刑事局長であった林眞琴と対立し、林を法務事務次官に就任させる人事を承諾しなかったとされる[16][17]。同年7月、オウム真理教事件(1989年 - 1995年発生)で死刑が確定したオウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名:松本智津夫)ら死刑囚13名の死刑執行を命令した。オウム事件に関しては、坂本堤の妻の名前に因んだ「都子基金」の講演にも出席している[18]。オウム幹部の一斉処刑により、上川の命令により刑が執行された死刑囚は16名(安倍第3次改造時の1名を含む)となり「法務省が死刑執行を公表するようになった1998年11月以降に就任した法相」では鳩山邦夫(13名)を抜き最多の執行数となった[19][20]。 同年7月3日には麻原・遠藤誠一・土谷正実・井上嘉浩・新実智光・中川智正・早川紀代秀の死刑囚計7名の死刑執行を命じ[21]、7月6日に死刑が執行された[21][22][23]。麻原・遠藤・土谷の3名は東京拘置所、井上・新実両名は大阪拘置所、中川は広島拘置所、早川は福岡拘置所にそれぞれ収監されており、土谷以外の全員が再審請求中だった[24][25]。 また、残る岡崎一明・横山真人・林泰男・広瀬健一・豊田亨・端本悟の死刑囚計6名に関しても同年7月24日に死刑執行を命令し[26]、26日午前に執行された[26][27][28]。岡崎・横山両名は名古屋拘置所・林は宮城刑務所仙台拘置支所(死刑執行は隣接する宮城刑務所で行われた)、広瀬・豊田・端本の3名は東京拘置所に収監されており、横山・林・広瀬・豊田の4名は第1次再審請求中だった一方で岡崎・端本は再審請求をしていなかった[25]。
同年10月、自民党一億総活躍推進本部長[3]。
2019年5月27日、自民党静岡県連会長に就任[29]。
2020年9月16日、菅義偉内閣で、3度目の法務大臣に就任[30]。
2021年10月11日、自民党人生100年時代戦略本部長。
同年10月31日の第49回衆議院議員総選挙で、立憲民主党公認の遠藤行洋、国民民主党公認の高橋美穂、日本維新の会公認の青山雅幸を破り7選。野党票は3者に分散し、他候補の比例復活はいずれもかなわなかった[31]。同年11月9日、自民党幹事長代理[32]。自民党党改革実行本部座長[33]。
2023年9月13日発足の第2次岸田第2次改造内閣で外務大臣に就任[34]。
以下、省略。