
グラントワに展示した「鴨島」の模型をチェックする益田翔陽高の生徒たち
万葉歌人柿本人麻呂の最期の地との説があり、津波で島根県益田市沖の海中に没したと伝わる「鴨島(かもしま)」の模型を、同市の益田翔陽高の生徒たちが制作した。
今年が人麻呂の没後1300年に当たることから、伝説の島を立体で再現し、市民に歌聖への関心を持ってもらう試み。
同市乙吉町の市立雪舟の郷(さと)記念館で10月9日まで展示されている。
【画像】津波で沈んだ伝説の島、益田翔陽高生が模型で再現
作ったのは電子機械科3年の三浦健吾さん(18)中村源輝さん(17)三浦翔也さん(17)三浦瑠維さん(18)の4人。4月から課外学習として取り組んだ。地元の人麻呂顕彰会が制作を依頼したのがきっかけで、模型は8月に県芸術文化センター・グラントワで開かれた没後1300年の記念式典でも展示された。
横110センチ、縦85センチの樹脂製。江戸時代の地理書に描かれた絵図をモデルに、3Dプリンターなどを駆使して作った。約50のパーツを組み上げて着色。木や岩などの装飾を施している。金型製造業のアケボノ(同市)がプリンターを貸すなど協力した。
鴨島が人麻呂が亡くなった地と伝わるのは、死の目前に詠んだとされる和歌に「鴨山」とあるため。この鴨山が1026年に津波で沈んだという鴨島とみられている。4人は制作に際し、地元の人から聞き取りも実施。鴨島があったとされる海域で水流の様子が違うという漁師の証言も知った。
リーダーの三浦健吾さんは「鴨島の存在を全く知らなかったが、本当にあったのではと思うようになった」。中村さんは「石や木などの装飾にも力を入れた。こだわりを感じてほしい」としている。
中国新聞社
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