立教開宗700年のころの真宗教団(1/2ページ)

龍谷大教授 中西直樹氏

2023年5月22日 09時29分

 

立教開宗700年のころの真宗教団 中西直樹氏(2/2ページ):中外日報 (chugainippoh.co.jp)

 

なかにし・なおき氏=龍谷大文学部教授・本願寺史料研究所委託研究員。1961年生まれ。龍谷大大学院修士課程修了、筑紫女学園大准教授等を経て、2013年から現職。著書に『新仏教とは何であったか―近代仏教改革のゆくえ』『近代本願寺論の展開』『近代本願寺絵図と観光地京都』など多数。

 

3月以降、東西本願寺をはじめ真宗各派本山で、親鸞生誕850年・立教開宗800年慶讃法要が執行されている。立教開宗法要が執行されたのは、1923年の立教開宗700年法要が最初である。100年前、なぜ真宗教団各派は、立教開宗法要を修することになったのであろうか――。その背景と、当時の真宗教団の状況と課題について、歴史をひも解いてみたい。

 

大正の親鸞ブーム

18年に第1次世界大戦が終わり、景気は次第に悪化しつつあったが、いまだ好景気の余韻の残る翌年に和辻哲郎の『古寺巡礼』が刊行され、奈良・京都の社寺をめぐる観光旅行が大きなブームを迎えた。また大正期は、倉田百三の『出家とその弟子』(16年発表)をはじめ、親鸞を題材とする戯曲・小説などが多数発表され、一種の「親鸞ブーム」と呼ぶべき現象がおきていた。

 

各種旅行案内書も数多く発行されるようになり、奈良・京都は修学旅行先としても定着しつつあった。22年11月には、鉄道省が『お寺まゐり』という書籍を刊行した。その冒頭には、近畿圏の仏寺を紹介し、旅行者の参考とするために刊行したという趣旨が記され、さらに、本願寺派前法主の大谷光瑞の協力を得たことが記載されている。

 

この書籍は、翌年の法要を前に、本願寺参詣者と鉄道利用客を増やすため、鉄道省と大谷光瑞との間で企画・立案されたと考えられる。法要が始まると、毎日地方から5万人の団体参詣者が京都駅を訪れたという。

 

法要では、「参詣」よりも「観光」を目的とする参集者が増えたと考えられる。また、時代の変化に対応して、法要の内容・形式も大きく変更された。

 

その第一には、この法要に際して真宗各派の連合組織である真宗各派協和会が組織され、その協調体制のもとで実施された点を挙げることができる。各派の法要は、大谷派が4月9~15日、興正派が11~17日、木辺派が14~18日、佛光寺派が15~18日、本願寺派が15~21日まで修したが、各派連合主催による新たな行事も数多く実施された。

 

そもそも真宗各派の連合組織は、1900年10月に妙心寺で各宗管長会議が開催された際、誠照寺派管長の二條秀源の提案を受けて、同年12月に大日本真宗各派同盟倶楽部として発足したのが最初であると考えられる。しかし当時は、仏教公認教運動や宗教法案への対応をめぐって大谷派と本願寺派が激しく対立しており、本願寺派と木辺派とが参加を見送った。このため、翌01年4月、真宗8派による大日本真宗同盟倶楽部が建仁寺で発会式を挙げたが、自然消滅していったようである。

 

その後、21年10月、立教開宗を迎えるのを前に真宗各派の重役会が開かれて真宗各派協和会が発足した。15年には、仏教各宗派よる大日本仏教連合会も発足しており、真宗各宗派内にも協調の機運が生じつつあったのである。

 

協和会では、協議の結果、法要に際して、真宗宗歌の制定、児童絵本『親鸞絵ばなし』の作成、京都市公会堂での連合講演会の開催、団体参拝への対応、各派協同の法要ポスターの作成と配布などを決定した。

 

このうち、京都市公会堂での連合講演会は、4月中旬に4日間にわたって開催され、境野黄洋・梅原真隆・村上専精・高楠順次郎・藤岡勝二・羽溪了諦・山辺習学らが講演した。また15日午前には各派連合旗行列が実施され、京都4本山関係地の小学生・各派日曜学校生徒ら2千人が真宗各派協和会のマークを染めた小旗を持って、東本願寺から興正寺・西本願寺、佛光寺までを行進した。同日夜には、大谷大学・龍谷大学・大谷中学・平安中学の学生数千人による提灯行列が行われた。

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第二に活動写真が盛んに活用されるようになったのも、この法要の時からであった。この法要を契機として活動写真巡回班が組織され、地方での布教・宣伝活動が行われるようになった。本山に参詣しなくとも、映像を通じて地方でさまざまな情報を得ることができるようになったのは大きな変化であった。

 

21年、牧野省三ら活動写真界の有力者の発起と、日本活動写真株式会社の賛助により「宗教教育写真協会」が設立された。同協会は、活動写真は低俗な娯楽との評価を一新したいとの考えから営利を目的とせず、宗教信念の鼓吹に資するような宗教映画を手がけたいとの願いを抱いていた。同協会からの協力要請を受けた本願寺派は、これに応じ、その作品第1号として蓮如一代記が作成された。

 

国内外を巡回上映

その後も映画作品は作成され、立教開宗に際して本願寺派は、活動写真部6班を編成して各地を巡回公開した。映画種目は「稲田の草庵」「本光坊の巡教」「光りに浴して」「女学校の運動会」「英皇太子の御来山」「宗祖降誕会」などであった。4月から9月までの第1期巡回では、日本全国・満州・朝鮮548カ所をまわり、100万人以上が参集した。10月から12月までの第2期巡回でも約38万人が集まり、その後、映画布教班が常設された。

 

大谷派でも21年に本山の年中行事や諸機関・設備の撮影を開始し、立教開宗法要期間中には映画班が組織され、連夜にわたり七条工作場で「信の力」「大和の清九郎」などを映写した。また11日には、本願寺派の活動写真部の協力を得て、京都市公会堂で宣伝映画大会を開催し、19日晩には西本願寺門前に出向いて本願寺派の映画宣伝に参加した。

 

そして、第三に挙げるべきは、日曜学校教師大会・社会事業大会・布教使大会などの各種関係事業団体の大会が法要に併せて開催されるようになった点である。法要は、さまざまな活動を展開する真宗者の交流と情報交換の場ともなっていったのである。

 

なかでも特筆すべきは女性の主体的参加があった点であろう。第1次世界大戦の勃発後、欧米の産業界は、出征した男性に代わって女性の労働力によって担われるようになった。この結果、女性の社会的地位が向上し、女性解放運動も活発化した。戦後、欧米各国で次々と女性の参政権が認められるようになり、日本にも欧米の状況が紹介され、女性の権利獲得を目指した運動が活発化した。

 

本願寺派でも婦人会運動が高まりを見せ、同派では、20年に京都女子高等専門学校(現京都女子大学)が開校し、大日本仏教慈善会財団が社会事業研究所女子部を設置するなど、女性の社会参画を促す施策が展開されつつあった。法要では、本山門前広場に婦人会天幕が特設され、女性布教者「女教士」による布教活動が展開された。

 

大谷派の連合婦人会組織「婦人法話会」でも、法要を記念して本部別館が新築され、多様な記念行事が行われた。

 

お祭り騒ぎ批判も

こうした新たな取り組みがあった反面、多額の負債をつくっては大規模な法要と懇志によって、償還していく宗派のありようには世論の厳しい視線が注がれていた。

 

すでに14年には本願寺派の大谷光瑞が巨額負債の責任をとって法主を退き、大谷派の巨額負債も表面化していた。法要の前年の22年3月に創立された全国水平社は、両本願寺に募財拒否を通告している。『大阪朝日新聞』は、次から次へと大規模法要を企画・執行して金銭を集める本山役員は、まるで興行人のようだと揶揄した。

 

教団財政だけでなく、伝統的な真宗信仰の在り方も大きな転換期を迎えつつあった。龍谷大教授であった野々村直太郎は、その著『浄土教批判』のなかで、立教開宗のお祭り騒ぎに熱狂する様を批判し、「往生思想を歓迎するの時代はモハヤ恐らく永久に去つたのである」と評した。

 

このように当時の真宗教団は、教団運営の面でも、伝統教学の面でも大きな転換期を迎えようとしていた。それから100年、これら課題解決に向けた努力は重ねられてきたであろうか――。立教開宗800年を機に、この点も考えてみる必要があると考える。

 

私のコメント :  令和5年5月27日、真宗興正派 次期門主となる 華園真慶 嗣法の就任式が 令和5年4月19日、本山興正寺(京都市下京区)で行われている。

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「一人でも多くの方々と共にお念仏の道を歩んでいきたい」と決意を述べる真慶嗣法
 

真宗興正派の次期門主となる華園真慶嗣法(29)の就任式が4月19日、本山興正寺(京都市下京区)で行われた。

 

式は宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃法要の中日に併せ挙行。

 

2017年の嗣法就任から6年を経て、正式に宗内外に披露された。

 

宗内の僧侶や門徒ら約300人が参列し、就任を祝った。

 

(詳細は2023年5月19日号をご覧ください。中外日報購読申し込み

 

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