司馬遼太郎と安野光雅はファン同士 でも「街道をゆく」は合わなかった?

2021/02/13 17:00

 

筆者:村井重俊

 

司馬遼太郎と安野光雅はファン同士 でも「街道をゆく」は合わなかった?(1/2)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット) (asahi.com)

配信より

安野光雅さんのスケッチ旅行は楽しい。話しかけても怒らない。つい友達気分になってしまう。写真は2005年秋、79歳の安野さん(「週刊司馬遼太郎」『国盗り物語』の取材で訪れた岐阜市の長良川河畔で) (撮影/写真部・小林修)

 

 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のパートナー、安野光雅さんが昨年末、急逝した。3月13日(土)に発売される週刊朝日ムック「司馬遼太郎の戦国 明智光秀の時代」では、安野さんの作品も多数掲載。「週刊朝日」編集委員で、司馬番の村井重俊記者が、安野さんの愛すべきウィットの世界をご紹介します。

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 安野さんが「街道をゆく」の装画を担当するようになったのは1991年秋の「本郷界隈」からだった。以後、「オホーツク街道」「ニューヨーク散歩」「台湾紀行」「北のまほろば」「三浦半島記」「濃尾参州記」まで、司馬さんとの旅は続くことになる。

司馬さんはもともと安野さんの絵のファンだったから、安野さんとコンビを組むことを喜んでいた。

「ヨーロッパの町並みを歩いているとだんだん心が落ち着き、これって何だろうと思い返し、ああ安野光雅の絵の世界だと思ったことがある。なんだか安野さんの絵の中を歩いているような気持ちになった。そういう秩序感は他の人の絵ではなかなか味わえないね」

 しかし、こうもいっていた。

「ただ、『街道をゆく』はなあ、あまりパッとしないというか、人の行かない場所に行きがちだから、安野さんの世界とはちょっと違う。なんだか申し訳ないね」

 一方、安野さんも最初は緊張していたようだ。「オホーツク街道」の取材は91年秋と92年正月にあり、安野さんは正月の旅から参加している。ホテルの朝食のとき、安野さんがポツリといったことがあった。

「『街道をゆく』はおもしろいけど、僕の絵に合うかなあ」

 顔は不安そうだが、バイキングで取ってきた皿は満杯、ご飯も大盛りだった。そんな安野さんの話を司馬さんにすると、司馬さんは楽しそうに笑っていた。

 だんだんと安野さんの人柄が司馬さんにわかってくると、「街道をゆく」に安野さんが頻繁に登場するようになっていく。

<安野画伯は、写実家である。

 しかし、この人の絵はかすかに離れて、たとえば中世の修道士の遊魂が、尖塔(せんとう)の上から自分の故郷の町並を見おろしているような、なつかしさと澄んだ空気がある>

 と、司馬さんは「オホーツク街道」で褒めたあと、リンゴの話を書いている。司馬さんがあるときいった。

「安野さん、ただのリンゴよりも、絵に描いたリンゴのほうがなぜいいんでしょう」

 絵とは何か。根源的に問いかける哲学的な問題で、大作家と画伯のストレートな勝負の場面でもある。わくわくして答えを待っていた司馬さんだが、安野さんはあっさりいった。

「リンゴかあ。気づかなかったなあ。なぜだろう」

 きっと安野さんは答えを持っていたに違いないが、シャイで答えなかったのだと思う。

 安野さんはいっていた。

「『街道をゆく』って名言だらけで、付箋(ふせん)だらけになっちゃう。いろいろ聞きたいこともあるね」

 安野さん、天国で司馬さんにいろいろ質問してください。どうして絵のリンゴがいいのか、今度は照れずに話してあげてください。

週刊朝日  2021年2月19日号

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【プレビュー】「安野先生のふしぎな学校」美術館「えき」KYOTO で2月25日から 「自ら考えること」の楽しさを味わう

 

【プレビュー】「安野先生のふしぎな学校」美術館「えき」KYOTO で2月25日から 「自ら考えること」の楽しさを味わう – 美術展ナビ (artexhibition.jp)

配信より

 

「ふしぎなのり」『はじめてであうすうがくの絵本1』より 1982年 ©空想工房

 

安野光雅 追悼展 安野先生のふしぎな学校 安野光雅美術館コレクション
会場:美術館「えき」KYOTO (京都駅ビル内・ジェイアール京都伊勢丹7階)
会期:2022年2月25日(金)~3月27日(日)
開館時間:10:00~19:30(入館締切:閉館 30 分前)
観覧料:一般900円(700円)/高・大学生700円(500円)/小・中学生500円(300円)
※()内は前売料金。
詳しくは公式ホームページ

「安野光雅 追悼展 安野先生のふしぎな学校」が2月25日(金)から3月27日(日)まで、美術館「えき」KYOTO で開催されます。
安野光雅

 

 

あんのみつまさ(1926〜2020年)は、絵本をはじめ、風景画や装丁画など、多岐にわたって活躍した画家です。
小学校で美術教員を務める傍ら、本の装丁や挿絵などを手がけ、活躍の場を広げていきました。デビュー作の絵本『ふしぎなえ』(1968年)からはじまり、『ABCの本』『天動説の絵本』『もりのえほん』など、数多くの作品を発表。司馬遼太郎の紀行『街道をゆく』 の挿絵を担当したことでも知られています。
ユーモアあふれる絵本や、淡い色彩の風景画は、子供だけでなく大人をも魅了してきました。本展では、そんな安野流の楽しみ方が詰まった作品や関連資料を約110点紹介します。

「こくご」「さんすう」「終りの会」など 学校の授業科目に見立てた10章構成で作品を紹介

「旅人とクマ」『きつねがひろったイソップものがたり1』より 1987年 ©空想工房
「キツネとブドウ」『きつねがひろったイソップものがたり1』より 1987年 ©空想工房
「伯林 ベルリン」『西洋古都』より 1981年 ©空想工房

本展は、安野氏が画家として独立する前の教員時代に着目し、展示構成を工夫しています。
復員後、小学校の代用教員になりましたが、教科書が十分になかったため、教える内容や方法を自ら考え、工夫しました。安野先生の作品に見られる独特の世界観は、教員時代に試行錯誤した経験によって生み出されたといえるでしょう。
また、幅広い分野に造詣が深く、科学や数学、文学など、様々なジャンルの作品を制作しました。

作品に込められた願い「自分で考えることの大切さ」

「光の国/影の国」『かげぼうし』より 1976年 ©空想工房


「光の国/影の国」『かげぼうし』より 1976年 ©空想工房
掲載作品はすべて画像提供:津和野町立安野光雅美術館

 

島根県津和野町に生まれた安野氏は、幼い頃、里山の自然の中で空想をめぐらせながら遊びました。作品の原点には、幼少期の経験があると考えられています。

 

2020年12月24日に、94歳で亡くなるまで、安野氏は作品を通して「自分で考えることの大切さ」を伝え続けてきました。

 

本展の合言葉は「インタレスト!」。ぜひ、「安野先生のふしぎな学校」に入学した気分で、作品を味わってみてください。作品の中から、たくさんの“不思議”や“興味”を見つけていくうちに、「考えることの楽しさ」を実感できることでしょう。


(ライター・三間有紗)

 

*本展では『ふしぎなえ』『街道をゆく』の展示はありません。

 

 

「リンゴかあ。気づかなかったなあ。なぜだろう」

 

きっと安野さんは答えを持っていたに違いないが、シャイで答えなかったのだと思う。

安野さんはいっていた。

「『街道をゆく』って名言だらけで、付箋(ふせん)だらけになっちゃう。いろいろ聞きたいこともあるね」

 

安野さん、天国で司馬さんにいろいろ質問してください。どうして絵のリンゴがいいのか、今度は照れずに話してあげてください。

 

週刊朝日  2021年2月19日号

 

私のコメント :  令和5年1月2日、島根県 津和野町立安野光雅美術館は、津和野駅 近くにあります。