ガイアの夜明け こんな町なら住んでみたい!

2022.06.17 22:00 TV TOKYO Corporation 配信より

https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/gaia/vod/post_253151

コロナをきっかけに、都会から地方への“移住”を希望している人が増えているという。

そんな中、我が街に1人でも多く移住してもらおうと、各地でユニークな取り組みが進んでいる。

栃木県佐野市は、ご当地名物「佐野ラーメン」を武器に、手厚い支援をするというのだが、果たしてどんな取り組みなのか。

さらに島根県の海士町は、全国の自治体で初めての取り組みを始めたところ、移住希望者が増えたという。

そしてこの春も、大学を卒業したばかりの20代の女性が島へ・・・。

どんな新生活が待っているのだろうか。

町も人も幸せにする、新たな移住のカタチを取材する。

◎ご当地グルメ“佐野ラーメン”が移住者も街も元気にする!?
栃木県佐野市。そのご当地グルメといえば、「佐野ラーメン」。

コシのある麺と、澄んだ醤油スープが絶品と、全国にファンがいる名物だ。

市内で約150店舗が軒を連ねる中、今年3月にオープンした「佐よし」。

店主の佐藤義之さん(40才)は元和食の料理人で、東京からの移住者だ。

コロナ禍で都内の飲食業界に不安を感じ佐野市への移住を決意した。

店はすぐに評判の行列店に。そして、妻と子供4人と東京時代では比べ物にならない広い家に住み、家族の時間も大事にできているという。

そんな佐藤さんの“幸せな移住”を支えたのが、佐野市の「佐野らーめん予備校」というプロジェクト。

移住希望者に、ラーメンの作り方から店の経営までのノウハウを伝授し、独立開業を支援するというもの。

今後の人口減少に危機感を抱く佐野市が全面的にバックアップしている。

移住希望者の仕事をつくることで、定住してもらおうという戦略だ。

ラーメン作りだけではない。移住に向けた住居の斡旋などの支援が受けられるのも特徴。

費用は、「基礎研修」「本格修行」「開店サポート」まで含めて14万9800円。

佐野市に移住した時点で市から奨励金として10万円が戻ってくる仕組み。

2020年にスタートしたこのプロジェクトでの移住者は、すでに8世帯18名。

3店舗が独立開業を果たした。

5月。

「佐野らーめん予備校」の第6期生の入校式が行われた。

参加したのは東京都内在住の羽鳥公之さん(57歳)。

大手外食企業を早期退職し、第二の人生を佐野ラーメンに賭ける。

果たして、どんな新生活が待っているのだろうか・・・。


◎離島に移住希望者が殺到!?“ジョブチェンジ”に秘密アリ!
日本海に浮かぶ隠岐諸島のひとつ島根県海士町、人口2300人の小さな離島だ。島にはコンビニも娯楽施設も病院もない。

そんな不便な島なのにいま全国の若者たちの移住希望者が増えているという。

子育て世代への手厚い支援もその一つだが、実は移住者への“仕事”に特徴がある。

海士町の産業は、島の特産の岩ガキ養殖や定置網漁などの漁業、隠岐牛を育てる畜産業、森林の管理伐採をする林業、その他ホテルなどの観光業がある。

それらの現場に移住者を派遣する「海士町複業協同組合」を設立したのだ。

移住してきた人は、1年かけて様々な業種で働き、ジョブチェンジするのがルール。

そこで自分にあった仕事を見つけた上で、定住してもらおうというのだ。

これは国も推奨する移住モデル。

海士町が全国に先駆けて2020年に導入した。

現在、この制度を利用して移住を果たした若者は6名。

月給は手取で20万円ほどだが島で生活するには十分だという。

そして今年の4月。

ひとりの女性が海士町に向かうフェリーの上にいた。

空閑みなみさん(22歳)、福岡の大学を卒業したばかりの社会人1年生だ。

島に移住して働くことを決めたという。

どんな仕事にチャレンジするのか。

そして、都会では考えられない生活が待っていた。
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隠岐で和歌講座開講 歌人・後鳥羽上皇に思いはせ
青空のもと、ゆかりの地を巡る、隠岐経済新聞 配信より

https://oki.keizai.biz/headline/335/

隠岐・海士町の隠岐神社で3月11日、「始めよう和歌講座〜歌会始応募をめざして〜」が開講された。主催は海士町中央公民館。

隠岐神社・社務所内での講義

 全6回を予定する同講座。和歌に親しむとともに詠み方を学び、年始の宮中歌会始への応募を目指す。

初回となる今回は、歌人としても名高い後鳥羽上皇について学ぼうと、隠岐神社宮司の村尾周さんの案内で隠岐神社周辺にある上皇ゆかりの地を巡った。

 隠岐への配流から崩御までの19年間に「遠島御百首」「遠島歌合」など多くの和歌を残した後鳥羽上皇。

住まいの跡と伝わる「行在所跡」や上皇をしのんで訪れた皇族らが手植えした松、当時から水が絶えないという「勝田池」、今も遺灰の一部が残る「御火葬塚」のほか、設けられた歌碑などを見学した。

 和歌の講師は元国語教師の笹鹿岳志さんが担当。

「日頃思うこと、感動したことを『五・七・五・七・七の三十一文字(みそひともじ)』に収めることができたときの快感は、和歌を詠む面白さの一つ」と伝えるとともに、

上皇が詠んだ和歌「我こそは 新島守よ おきの海の あらきなみかぜ 心してふけ」を例に取り、

「『波風を御した』とも『弱気になったので、波風が収まってほしいと願った』とも解釈できる。『その人がどう感じるか』で異なる味わいがある」

と和歌の奥深さにも触れた。

次回の開催日は4月15日。開催時間は13時30分〜15時。参加無料。申し込み、

問い合わせは海士町中央公民館・村尾由美子さん(TEL 08514-2-1221)まで。