香川アイスフェローズ3冠照準 アイスホッケー

2017/12/01 09:15、四国新聞社 配信より

 

香川アイスフェローズ3冠照準 アイスホッケー | スポーツニュース | 四国新聞社 (shikoku-np.co.jp)

配信より

国体四国予選に向け、練習に汗を流す香川アイスフェローズのメンバー=トレスタ白山アイスアリーナ

 

国体四国予選に向け、練習に汗を流す香川アイスフェローズのメンバー=トレスタ白山アイスアリーナ

「国体四国予選はいい内容の試合をしたい」と意気込む香川アイスフェローズの北側新監督
「国体四国予選はいい内容の試合をしたい」と意気込む香川アイスフェローズの北側新監督

 

 アイスホッケーのクラブチーム「香川アイスフェローズ」の監督に今年、元選手の北側雄哉氏(38)=四電エンジニアリング=が新たに就任した。

 

昨季まで監督を務めた北川真史氏(45)=大京穴吹建設=は総監督としてチームに残る。

 

香川は今季、4選手がチームを去り、新人が1人加入。

 

計17人の少数精鋭で挑み、2日に三木町のトレスタ白山アイスアリーナで行われる第73回国民体育大会冬季大会(来年1月27日開幕・神奈川)成年四国予選で、2017~18年シーズンを本格的にスタートさせる。

 

新体制で迎える初陣を前に、北側新監督にチームの戦力や意気込みなどを聞いた。

【香川アイスフェローズメンバー】
位置  名  前  年齢 出身校 身長 体重 所属
GK 鈴木 崇嗣 32 法大   178 79 四電エンジニアリング
   金丸  久 34 東洋大   171 76 リソーシズ
DF 稲葉  洋 32 釧路公立大 176 71 四国コカ・コーラボトリング
   晒谷 和樹 23 関大  180 81 四国電力
   虎  直人 23 白樺学園高 164 58 日大
   牛窪 憲太 24 日体大  166 70 小竹興業
   宇正 峻英 32 法大  171 73 新日本印刷
   稲葉  惇 28 専大  172 61 四国警備保障
FW 長谷川拓巳 25 立命大  182 95 一宮中教
   大日向洋平 34 法大  175 78 リソーシズ
   袖山 佑介 27 専大  175 62 新日本印刷
   晒谷 凌太 23 関大  181 85 四電エンジニアリング
   大高純三朗 29 釧路工高  171 88 リソーシズ
   黒岩 紘徳 29 札幌大  172 75 西高松脳外科内科クリニック
   人里 翔太 25 札幌大  168 73 トレスタ白山
  ◎畑中  理 32 明大  165 63 四電エンジニアリング
   前田 健一 28 専大  175 66 ALSOK香川
【代 表】安岡 章夫(65歳)
【総監督】北川 真史(45歳)
【監 督】北側 雄哉(38歳)
【コーチ】今  政則(38歳)
(◎は主将)

チームに合った戦術を 北側新監督に聞く
 ―監督就任の要請を受けて。
 「チームをこんな風にしたいというイメージが頭をよぎり、それを常に考える自分がいた。引き受けるべきだと感じた」

 ―氷上練習が始まって約2カ月がたった。

 「手探りの状況が続いているが、昨年まで現役で同い年の今コーチや北川総監督と協力しながら、選手の特徴を見極め、チームに合った戦術を思い描いている。2カ月でパスの連係に関してはだいぶ良くなった」

 ―勝利の鍵を握る選手は。

 「FWは大日向、人里、晒谷凌。得点力は十分ある。前田も調子を上げていて楽しみ。DFで言えば、新加入の虎がよく動けている。ベテランの宇正は周りがよく見えているので、若手を引っ張ってほしい」

 ―課題は。

 「攻撃ではシュート精度に尽きる。守りでは反則をできるだけ避け、数的不利な場面をつくらないようにしたい」

 ―目標を。

 「国体、Jアイス、日本連盟会長杯の3冠。大きな壁はいくつもあるが、全国の大舞台でこそ団結力を発揮できるシーズンにしたい」

略歴
 北側雄哉(きたがわ・ゆうや) 北海道苫小牧市出身。4歳でアイスホッケーを始める。水戸短大付属高(茨城・現水戸啓明高)、早大を経て2002年に香川アイスフェローズへ入団し、14年までプレー。主将としてチームをけん引した11年は、青森であった第66回国民体育大会冬季大会の成年準優勝に貢献した。高松市在住。38歳。

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龍神に十二支、桃太郎も 神社の境内に集う像、お参りのテーマパーク

増田洋一

 

龍神に十二支、桃太郎も 神社の境内に集う像、お参りのテーマパーク:朝日新聞デジタル (asahi.com)

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龍神像。台座に模造金貨がうずたかく奉納されていた=2022年8月19日午後2時0分、高松市一宮町、増田洋一撮影

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 ここはテーマパークか。厄払いのため、高松市一宮町の田村神社を訪れて驚いた。広い境内に様々な像が並び、「お参りスポット」が密集している。香川らしく、うどん屋まである。

 

 南側の門を入って石畳の表参道を歩くと、本殿手前に大鳥居がある。この辺りまではオーソドックスな神社で、ユニークなのは右奥のゾーンだ。本殿右の宇都伎社(うつきしゃ)前には高さ数メートルの龍神(りゅうじん)の像があり、参拝者の目を引く。龍神はこの神社の神体だ。像の台座には、奉納者の名が書かれた模造金貨が積もっている。

 

 十二支や七福神の像も「複数セット」ある。参拝者が手でグルグル水平に回すことができる十二支像や、金ぱくを貼ることができるほてい尊も。犬や猿を従えた桃太郎像、合格祈願の牛の像、「ぐち聞きわらべ」など、多種多様だ。

 

 なぜ、こんなにぎやかな境内になったのだろう。その理由を知るため、神社の歴史をひもといた。

 

 「御鎮座千三百年記念誌」によると、社殿創建は和銅2(709)年。古くから讃岐国の一宮(讃岐の国で社格が一番高い神社)として、あがめられた。

 

 13年前から田村神社に勤めている権禰宜(ごんねぎ)の熊代伸哉さんによると、第2次大戦前は国が管理し、宮司は知事レベルの扱いを受けていたため、一般庶民は近寄りがたい雰囲気があった。そのため、国の管理でなくなった戦後も、あまり人が寄りつかなかったという。

 

 「讃岐国の一宮がこんなに寂れていてはいけない」と先代宮司の池田武夫さんは危機感を抱いた。そこで半世紀ほど前から、少しでも神社を身近に感じてもらおうと、参拝客が楽しめるものを少しずつ増やしていった。その効果あってか、参拝者はこの半世紀で数倍に増えたという。

 

 こうした境内づくりには賛否両論があると、熊代さんは明かす。「昔の面影が全然ない」「神社なのに、何でそんなに派手にするのか」「神聖な場所が汚されていく」といった批判が寄せられたそうだ。

 

 参拝者休憩所で毎週日曜午前に開店する「日曜うどん」も、先代宮司が「何かにぎやかなことができないか」と始めたという。1杯200円。ボランティアの氏子たちが運営している。

 

 そのうちの一人が、田村神社の総代会会長を務める福家勇幸(いさゆき)さん(75)だ。生まれてからずっと一宮町で暮らし、田村神社は生活の一部という。そんな福家さんに境内の変化を尋ねると、「参拝客が増えて、わしは喜んどる。地域は神社とともに発展する」。

 

 日曜うどんのだしは、奥殿の地下から湧いている井戸水で作る。奥殿には、厚い板で覆われた神座があり、床下にこの井戸(底なし淵)がある。「淵には龍が住み、のぞいた者は絶命する」とされる。

 

 言い伝えによると、江戸時代の1655年、神社から社殿改築工事の申請を受けた普請奉行(ふしんぶぎょう)の竹村斉庵(さいあん)は、神官に社の下の淵を見たいと言い出した。困った神官は「どんなたたりがあるか分からない」と断ったが、それでもぜひ見たいと言うので、淵を見せた。

 

 しばらくして水が巻き上がり、その中から龍が紅の舌を巻き、3間(約5・4メートル)ほど頭を出して斉庵をにらんだ。斉庵は心地が悪くなり、かごで家に帰り、家内にその詳細を言いながら死んでしまった――。

 

 さまざまなお参りスポットやうどん屋に加え、龍神伝説。田村神社は、まさにワンダーランドの名にふさわしい。(増田洋一)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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