日本女子大学・篠原聡子学長 創立120周年を経て、新時代にはばたく女性を応援
2022/5/2 10:00(最終更新 5/2 10:00) 毎日新聞 配信より
女子の私学高等教育の草分けとして、これまで社会の各分野に多くの人材を送り出してきた日本女子大学。グローバリゼーションや情報化の波にコロナ禍が重なり、従来の男性優位の価値観が根本から変わろうとしている今、女性の果たす役割はますます重要になってくることは確実だ。昨年、創立120周年を迎え、キャンパス再整備や新学部の開設など、ダイナミックな改革に踏み出した同大学の篠原聡子学長に今後の展望や、目指す人材像を聞いた。【客員編集委員・中根正義】
――1901(明治34)年に成瀬仁蔵により日本女子大学校として創立された日本女子大学は昨年、創立120周年を迎えました。今後、どのような人材育成を目指していきたいとお考えですか。
本学は旧制の女子専門学校としてスタートし、戦後、大学に昇格しました。その過程で、さまざまな面でスクラップ・アンド・ビルドを繰り返しながら発展してきました。今、世界の枠組みが大きく変わろうとしている時に、どんな人材を育成していくか。19世紀後半の第1次グローバリゼーションの頃のような拡大・拡張・発展とは違う価値観が求められている今こそ、女性がリーダーシップを取って新しい価値観を創り出していかなければならないと感じています。
目白キャンパスに大学の4学部を統合、新学部も開設
――近年、入試改革、キャンパス再整備、学部再編を一気に進められていますね。
キャンパスの統合については10年前から計画していました。本学は家政、文、人間社会、理の4学部15学科、大学院5研究科を擁する文理融合の教育環境をもつ総合大学ですが、人間社会学部及び人間社会研究科だけは西生田キャンパス(川崎市多摩区西生田1)に置かれていました。これを2021年4月に目白キャンパス(東京都文京区目白台2)に統合したことで、全学共通の基盤教育の充実を図ることにしました。文部科学省の「数理・データサイエンス・AI教育プログラム(リテラシーレベル)」に認定された情報全般について学ぶ科目群のほか、キャリア教育認定プログラム、社会連携教育認定プログラムなど、複数分野の教員が参画することで基盤教育の内容を厚くすることが可能になりました。「社会連携教育センター」では、企業からの寄付講座を設けて単位化もしています。こうして多様な専門性を持った教員や学生が企業とも連携しつつ、それぞれの専門性を発揮しながら交流できる場ができたのです。
それを空間的に実現しているのが百二十年館にある「JWUラーニング・コモンズかえで」です。そこでは学生たちがさまざまなプロジェクトに取り組んでいます。本学は「学生滞在型キャンパス」をコンセプトに、ラーニング・コモンズも図書館や研究室のなかに置いたり、ほかの建物などにも交流スペースを設けたりしています。百二十年館や図書館などの設計は、本学の卒業生で、世界的な建築家として知られている妹島和世先生にお願いしています。妹島先生は、本学大学院の客員教授を務めていただいています。
――目白キャンパスは百二十年館のような世界最先端の建物がある一方、創立者の成瀬仁蔵が暮らしていた1901(明治34)年築の木造の成瀬記念館分館などさまざまな建物がありますね。
成瀬記念館分館や成瀬記念講堂(1906年築)は明治期の建物です。また、大正期に建てられた樟渓館に加え、昭和、平成、令和とそれぞれの時代に建てられた建物があり、非常に多様性に富んだキャンパスと言えるでしょう。キャンパスのグランドデザインも妹島先生にお願いしており、それぞれの建物を、うまくつないでくださったと思っています。
――学部・学科の再編についてお聞かせください。
2023年に設置構想中の国際文化学部(仮称)は、現在の人間社会学部文化学科を基盤として、学部として独立させるものです。これからの時代、女性が社会で生きていくためには世界的な視野を持つことが重要だという認識から、より国際的な要素を加味した教育カリキュラムとします。1年次に「スタディ・アブロード・プログラム(SAP)」という海外短期研修を行った後、国内・国外で「実践プログラム」という脱キャンパス型の実習科目により、現場で体験を積みながら、自分なりに課題を見いだし、解決していく力を養い、自ら発信することを目指していきます。最後に自分が学修してきたことをプレゼンテーション、すわち「発信」する際は英語で行います。
特別招聘(しょうへい)教員として、作家・写真家の都築響一、漫画家・随筆家のヤマザキマリ、翻訳家・エッセイストのマライ・メントラインの3氏に講義をしていただくことが決まりました。
――海外だけでなく、国内の大学などとも連携しながら、国際公務員や国際NGO、NPOなどの職員につながるプログラムを設けていくことも考えられますね。
2024年度に設置構想中の建築デザイン学部(仮称)は家政学部住居学科を学部として独立させるものです。これまで教育の柱としてきた人の生活や人を取り巻く環境を重視するという視点は引き続き核としながら、より広い視点で建築というものを捉えていくために学部化すべきだと考えました。
新たな視点として、林業大学校で森林を深く研究している人たちと交流することなども考えています。持続可能な社会における建築を考えるには、原材料を育てる・つくる・使うという過程のなかで建築デザインを捉え直す必要があるのではないかと考えています。その場合、海外に頼るのでなく、地産地消という観点も必要で、その意味でも国内の教育機関との連携は意義のあるのではないでしょうか。
新しい時代の女性リーダーを育て、留学生受け入れにも注力
――第4次産業革命とも言われ、社会が大きく変わろうとする中で、女子大の役割や、今後の展望について、どのように考えておられますか。
女子大というジェンダーフリーの環境で4年間なり、6年間を過ごす、すなわち女性だから、男性だからという忖度(そんたく)はまったく必要ないという環境で学び、キャンパスライフを送るということはとても有意義だということを、本学で育っていった学生を見て強く感じました。この点は、これからも強く意識していきたいと思っています。
他大学と連携したプロジェクトを見ていると、男子学生がリーダーシップを取るプロジェクトはトップダウン型になりがちなのが、女子リーダーだと皆の意見を採り入れて物事が進むフラットな組織となることが多いように感じます。これは現実の社会でも言えることなので、女性リーダーの資質をもっと伸ばしていけたらと思います。
――開発途上国からの留学生が日本で高等教育を学ぶ、特に女子大で学ぶ意義は大きいと思います。このことはこれからの女子大にとって大きな責務なのではないでしょうか。
本学の留学生数はまだまだ多くはありませんが、現在の留学生の約9割は中国から来ています。先ごろ、ベトナムのフエ大学外国語大学と協定を結びましたが、今後は中国に限らず、アジア各国の大学と連携しながら、アジアから留学生を積極的に受け入れていきたいと考えています。
創立者の成瀬仁蔵がアメリカに留学し、現地の女子大を目の当たりにして女子教育の重要性を認識したように、ひと足先に近代化した日本が、アジアの国々の女子高等教育に貢献することは責務だと思います。そのために学生寮の整備を図ったり、協定校を増やしたりするなどして、順次留学制度の充実化を図っていきたいと考えています。
また、18歳人口が減少するなか、生涯教育の場としての機能を充実させることも重要です。卒業後のキャリアアップにつながるように、もう一度自由に学び直せるような制度もさらに整備していきたいと思っています。
――日本女子大学は幼稚園から大学院までを持つ総合学園ですが、その強みをこれからどのように生かしていこうとお考えですか。
幼稚園から大学院までが一貫してあることは、学生にとっても非常に良い環境だと思っています。例えば児童学科の学生が附属豊明幼稚園に研修に行ったり、住居学科の学生が附属豊明小学校の校舎を見学したり、さらには同窓会である一般社団法人日本女子大学教育文化振興桜楓会の人々と交流したりと、世代を超えたさまざまな交流が生まれています。総合学園としての強みを生かし、各機関がより連携し、より良い教育を提供できるようにしていきたいと考えています。
■略歴
篠原聡子(しのはら・さとこ)
1958(昭和33)年、千葉県生まれ。81(昭和56)年、日本女子大学家政学部住居学科卒業。同大学院家政学研究科修了後、香山アトリエを経て、86(昭和61)年に株式会社空間研究所を設立。97(平成9)年から日本女子大学家政学部住居学科で教鞭(きょうべん)を執り、2020(令和2)年5月、学長に就任。専門は建築設計・住居計画
キャンパス
〒112-8681 東京都文京区目白台2-8-1
学生数(学部)
6307人(2021年5月1日現在)
学部
家政学部、文学部、人間社会学部、理学部
私のコメント : 令和4年7月20日、日本女子大学 篠原聡子学長は、1981(昭和56)年、日本女子大学家政学部住居学科卒業。同大学院家政学研究科修了後、香山アトリエを経て、1986(昭和61)年に株式会社空間研究所を設立。1997(平成9)年から日本女子大学家政学部住居学科で教鞭を執り、2020(令和2)年5月、学長に就任されています。
学校、保育園・幼稚園 施設 における コロナ感染予防のための 各施設内 改善対策、コロナウイルス感染症対策についても、今後も、更に、日本女子大学 篠原聡子学長のもとへ、その期待が、利害関係者からは、寄せられています。