石川県知事選 話し合いも2人出馬譲らず 分裂回避に向けた協議継続へ

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石川県知事選 話し合いも2人出馬譲らず 分裂回避に向けた協議継続へ(テレビ金沢) - Yahoo!ニュース

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来年春の石川県知事選挙に向け、党内の2人が出馬表明している自民党。分裂選挙の可能性が高まるなか、9日朝、国会議員団が分裂回避に向け話し合いの場を持った。

 

9日朝、石川県知事選挙の分裂回避に向け都内に集まった自民党の国会議員団。

 

渦中の前衆議院議員の馳浩氏と参議院議員の山田修路氏も表明後、初めて顔をあわせた。

 

2人は、改めて出馬の決意を示して互いに譲らず、協議は継続となった。

 

1時間に及んだ協議では山田氏が馳氏に対して、「国会議員団で統一候補を選定していたにも関わらず、相談なく出馬を決めた」と指摘し、馳氏が謝罪する場面があったという。

 

協議後、馳氏は「お互いに理解し合うために、言いたいこともある、今日のところはまだ入り口に入ったという感じ」と話し、分裂回避に向けた辞退については「現時点で申しあげられる段階にない」とした。

 

一方の山田氏は「分裂回避について2者択一なのか別に方法があると思うのでが決めつけて議論するのは適当ではない。私については現時点で立候補をとりやめるつもりはない」と話し、「自民党の方々の気持ちも十分理解をしているし、その努力をしていきたい」と述べた。

 

議員団として2人で話し合うことを要請したが、一本化調整のゆくえは不透明だ。

 

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【石川】除染にコロナ 実践的訓練 志賀原発 万が一に備え

2021年11月24日 05時00分 (11月24日 09時55分更新) 北陸中日新聞 配信より

【石川】除染にコロナ 実践的訓練 志賀原発 万が一に備え:北陸中日新聞Web (chunichi.co.jp) 配信より
https://www.chunichi.co.jp/article/371156

震度6強の地震で、北陸電力志賀原発2号機(石川県志賀町)の外部電源が喪失し、放射性物質が漏れたと想定した原子力防災訓練が二十三日、石川、富山両県内であった。国や自衛隊、海保など関係約二百四十機関の約千四百人が有事の行動や連携を確認。二年ぶりに地域住民も参加した。

バスの汚染検査をする作業員ら=23日午前、石川県輪島市三井町で

240機関から1400人

 石川県では要支援者らが一時的に退避する志賀町総合武道館で新型コロナウイルスの感染対策との両立を確認。入り口で保健師ら二人が検温や問診を行い、発熱がある住民、新型コロナの濃厚接触者、健康な住民の三パターンに分け、それぞれ別の部屋に誘導した。

 輪島市の能登空港では能登町や珠洲市方面へ避難する車両や住民の汚染検査、簡易除染訓練を実施。住民を乗せたバスの汚染が確認されると、車体やタイヤなどを除染したほか、乗客の全身を念入りに調べた。ウエットティッシュで汚染箇所を拭き除染もした。

 視察した谷本正憲知事は「住民が参加し、臨場感のある訓練になった。汚染の有無に感染の有無という横軸が入ってくる。それをどううまく組み合わせて安全に避難できるかがこれからのテーマの一つ。うまく機能したか検証し、積み重ねていく」と話した。

 天候不良のため志賀町の福浦港と富来漁港で予定していた船による避難訓練、珠洲市の飯田港に海自が支援物資を届ける訓練はそれぞれ中止した。

 富山県内では唯一、三十キロ圏内にある氷見市の住民約百人を中心に関係五十一機関の計約五百人が参加。放射性物質の汚染を調べるスクリーニングと簡易除染の手順を確認した。氷見運動公園での避難退域時検査では石川県からの避難も想定し、車両検査体制を前回の倍の四台分に増やして対応した。

屋内退避施設に到着し検温を受ける住民=23日午前、石川県志賀町総合武道館で

住民2年ぶり参加「いい経験に」

 昨年はコロナ禍で関係者のみで実施された原子力防災訓練。今回は二年ぶりに地域住民が参加した。「いい経験になった」「訓練は必要」など、その意義を強調する声があがった一方、感染対策や除染のあり方など今後への課題を指摘する意見も聞かれた。

 「日ごろから備えておかないと、いざというときに対応できない。訓練は必要だと思う」。志賀原発から五キロ圏内に住む藤田勇進さん(64)が口元を引き締めた。発熱などの症状がある避難者役として、同じ地区の住民四人と志賀町総合武道館へ。プライバシー保護のためのテントに身を寄せた。「緊急時の動きが分かり、安心できた」

 武道館では健康状況に応じ、避難住民の動線を分ける訓練も実施。ただ強風でルートを隔てる間仕切りが倒れ、職員が対応に追われる場面も。町担当者は「訓練自体は円滑にできたが、パーティションは改善しないといけない」と語った。

 輪島市の能登空港で汚染検査や除染作業に携わった放射線技師の灘村崇裕さん(34)は毎年参加。「少しずつやり方や手法も変わっており、いい勉強になる」と評価した上で「靴にも放射性物質がついてるかもしれないのでシューズカバーを付けたり、手荷物の検査もしたりした方がいい」と提言した。

 昨年と異なり、住民約三百人が参加して、より現実に近く臨場感のある形で行われた訓練。初めて参加した七尾市中島町の会社員高田則晃さん(64)は言う。「七尾でも比較的原発に近い場所に住んでいるので、いい経験になった。家族にも伝えたい」 (稲垣達成、森本尚平)

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私のコメント : 令和3年11月27日、北陸電力が 唯一保有されている 原子力発電所 石川県 能登原子力発電所 新設配備の際の建設 保安計画に関して 慶應義塾大学 私の在学中には、私の恩師 西川俊作教授、黒田昌裕教授 等 における 北陸電力に対する 計量経済学 分野 の一連の お手伝いも行っている。

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志賀原子力発電所

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( 中 略 )

志賀原子力発電所(しかげんしりょくはつでんしょ)は、石川県羽咋郡志賀町にある北陸電力の原子力発電所。

目次
1施設概要
2歴史
3沿革
4発電設備
5プルサーマル計画
6福島第一原子力発電所事故後の対応
7臨界事故
8活断層
9過去の主な対応など
10脚注
11参考文献
12関連項目
13外部リンク

施設概要[編集]
北陸電力が唯一保有する原子力発電所で、能登半島中部の西側、志賀町の赤住(あかすみ)地区に位置している。発電所の山側には、発電所で使用する工業用水用のロックフィルダム「大坪川ダム」が設置されている(北陸電力が管理)。

志賀原子力発電所には施設周辺の環境を配慮する形で、海底トンネル方式の放水路・取水路、一文字方式の防波堤(潮流への影響を少なくするため)が採用されている[1][2]。この取り組みが評価され、1995年に原子力発電所としては初めてグッドデザイン賞を受賞している[3]。

歴史[編集]
北陸電力は、1965年の長期計画の中で、将来の電源構想として原子力発電を盛り込み[4]、原子力発電所の用地選定を進めた。その中で、能登半島の4か所を候補地として選び、発電所建設の地盤・地質に適した志賀町の赤住地区と富来町の福浦(ふくら)地区を選定した。

赤住地区は当初から発電所建設を受け入れる方針であったため、1967年に調査用地の買収が行われた。反面、福浦地区は建設に反対し、北陸電力は福浦地区での建設を断念。1970年に赤住地区のみで建設計画を進めることになる。だが、建設に同意した赤住地区でも反対意見があり、建設計画は長期間停滞する。

1980年代後半になると、地質調査が行われてからは発電所建設の流れが進み、1988年に発電所が着工。1993年に原子力発電所を保有しない沖縄電力を除く電力会社9社では後発の原子力発電所が開設された。

沿革[編集]
1967年11月13日 - 能登原子力発電所の建設計画を発表。
1977年6月7日 - 国の要対策重要電源の指定を受ける。
1980年12月18日 - 志賀町議会で建設促進を決議。
1984年11月27日 - 地質調査に着手。
1986年6月16日 - 環境影響調査書提出。
1986年9月3日 - 通商産業省による第1次公開ヒアリング開催が開催される。
1987年1月24日 - 能登原子力発電所の電源開発基本計画組入れを告示。
1987年1月26日 - 通商産業省に原子炉設置許可申請を提出。
1988年2月24日 - 原子力安全委員会による第2次公開ヒアリングが開催される。
1988年8月22日 - 原子炉設置許可。
1988年11月2日 - 工事計画認可。
1988年12月1日 - 着工、同日能登原子力発電所の名称を志賀原子力発電所に変更。
1991年8月7日 - (1号機)原子炉圧力容器が据付される。
1993年5月24日 - (2号機)建設および環境調査申入れ。
1993年7月30日 - (1号機)営業運転開始。
1995年11月27日 - (2号機)環境影響調査書・環境影響評価準備書を提出。
1996年11月21日 - (2号機)通商産業省による第1次公開ヒアリングが開催される。
1997年3月27日 - (2号機)電源開発調整審議会が志賀原子力発電所2号機計画を承認。
1997年4月10日 - (2号機)電源開発基本計画組入れを告示。
1997年5月20日 - (2号機)原子炉設置変更許可申請書を提出。
1998年10月16日 - (2号機)原子力安全委員会による第2次公開ヒアリングが開催される。
1999年8月27日 - (2号機)工事計画認可、同日着工。
2006年3月15日 - (2号機)営業運転開始。
発電設備[編集]
原子炉形式 主契約者 定格電気出力 定格熱出力 運転開始日 設備利用率
(2009年度) 現況
1号機 沸騰水型軽水炉(BWR) 日立GE 54万kW 159.3万kW 1993年7月30日 98.5% 定期点検中
2号機 改良型沸騰水型軽水炉(ABWR) 135.8万kW[5] 392.6万kW 2006年3月15日 90.6%
1号機および2号機とも、想定される地震の強さは600ガル、津波の高さは5m[6]。

プルサーマル計画[編集]
志賀原子力発電所の1号機では、プルサーマルの導入を計画しており、2010年6月28日に石川県に対し、実施申し入れを行っている[7]。

2011年現在、2015年度を目途に1号機でのプルサーマル導入を目指しているが、北陸電力会長の永原功は「震災もあったし、九州や北海道でもやらせ問題もあったので、当面は無理」と発言し、志賀原子力発電所での導入の凍結を示唆した[8]。

この発言に対し、北陸電力はプルサーマル計画を凍結していないと公表。ウラン資源の有効利用やエネルギーの安定供給などの観点から「ウラン燃料のリサイクルは必要」としている[9]

福島第一原子力発電所事故後の対応[編集]

以下、省略しています。