「進取」育む米沢商高生

山形新聞 配信より

 

渋沢栄一が揮毫した校訓「進取」  米沢市・米沢商業高

 

 米沢市の米沢商業高(佐藤敬一校長)の校訓「進取」は、「日本資本主義の父」ともいわれた実業家・渋沢栄一が大正時代に揮毫(きごう)した。その生涯を描くNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送され、3年後には1万円札の肖像になることが決まるなど脚光を浴びる中、同校関係者は校訓に込められ、渋沢が体現したチャレンジ精神の重要性を再認識する。

  

同校の創立100周年記念誌などによると、渋沢に依頼したのは1921(大正10)~23年に7代校長を務めた渋谷政秀。「至誠」「進取」を校訓に定め、同市出身で内務大臣などを務めた平田東助と、第一国立銀行など約500の企業の設立や経営に携わった渋沢に、それぞれ揮毫を頼んだ。渋沢の「進取」は力強い筆致で書かれ、「青淵」と雅号が添えられている。  

 

どのように渋沢までたどり着いたかは不明だが、記念誌には「再三にわたって上京し依頼した」とある。佐藤校長、伊藤広幸教頭は「日銀総裁を務めた結城豊太郎(南陽市出身)のつてか、平田東助経由か…」と謎解き。

 

「進取」について、渋谷は「進取は勇気である。正しき道はどこまでも自ら進んでやり通すという勇気のある行動だ」と説明しており、佐藤校長は「生徒に渋沢のような人になってほしいとの願いもあったのでは」と推測する。

 

 渋沢直筆の1枚は平田が揮毫した「至誠」と一緒に校長室に掲示されているが、複製3枚が体育館や教室にもあり、生徒は普段から目にしている。歴代校長も折に触れ、エピソードを紹介してきた。だが、長らく「なんかすごい人が書いた」という漠然とした印象で捉えられていた。

 

4月に同校のインスタグラムで発信したところ、卒業生から「驚いた」「誇らしい」の声が続々と寄せられた。新1万円札や大河ドラマを機に渋沢の功績が広く知られ、改めて重みを認識する人が増えたようだ。  

 

同校は4年後に米沢工業と統合することが決まっている。「入学時に『進取』『至誠』の意味を教わったが、書いたのが1万円札になる人と知り、入学したことを光栄に思った」と3年平山ことみさん(17)。

 

佐藤校長は「真心という意味の『至誠』は生徒たちの中に既にある。ただ、『進取』が示すチャレンジ精神はもっと持ってもらいたい。世界に目を向けて吸収した後で故郷に戻り、未来をつくって」とエールを送る。

 

最終更新:山形新聞

..........................................................

上杉県令ひ孫の邦憲さん130年ぶり東風平“再訪” 児童と交流「負けじ魂大切」

 

2016年7月7日 08:00 The Okinawa Times 配信より

 

【八重瀬】宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授の上杉邦憲さん(73)=東京=が6月29日に町を訪れ、東風平小学校で児童と交流、中央公民館で約430人に講演した。

 

町や同小とは曾祖父で明治期の第2代県令・上杉茂憲(1844~1919年)を通じてゆかりがあり、約130年ぶりの「再訪」を果たした。

 ..........................................................

米沢上杉家と沖縄の縁 県令と通訳のひ孫、120年の時超え対面

 

2016年6月30日 17:35 The Okinawa Times 配信より

 

 1881年から83年まで沖縄県令を務めた上杉茂憲さんのひ孫で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授の上杉邦憲さん(73)  旧米沢藩上杉家第17代当主  と、かつて上杉県令の通訳を担い、上杉家の支援を受けて東京に留学した高良次郎さんのひ孫・高良祐之さん(46)らが29日、那覇市内で懇談した。次郎さんが沖縄に戻って以降、交流が途絶えていたといい、約120年ぶりに両家が対面した。

 

 上杉県令は、県政改革や人材育成に力を入れたことが知られており、82年には沖縄自由民権運動の父・謝花昇さんら5人を第1回県費留学生として東京に留学させている。

 

 両家によると、次郎さんは16歳の時に上杉県令に出会った。上杉県令は次郎さんの「内地で遊学してみたい」との希望を聞き入れ、県令時代には手伝い兼通訳として住み込みで雇い、県令を終えた後は家族らと東京へ連れて行った。

 

 次郎さんは上杉家の私費留学生として大学に入学。卒業後は沖縄県に就職したが、詳しいことは分かっていない。

 

 邦憲さんが29日の沖縄政経懇話会21(会長・豊平良孝沖縄タイムス社社長)の講師として来県することになったことから、上杉記念館(米沢市)が仲立ちし、対面が実現した。

 

 懇談には祐之さん、妻・沢子さん(36)、今月17日に生まれた長男陸ちゃん、父親の阮二さん(78)も参加。お互いが持ち寄った資料を確認しながら、3代前のつながりを振り返った。

 

 祐之さんは「曽祖父は県令に連れられて大学まで行ったと親戚から聞いていたが、本当だった。会えてうれしい」と喜び、邦憲さんは「人材育成を大切にしていたことがよく分かる。130年前から続くドラマがつながった」と感激。お互いに「次は、やしゃご同士も会わせよう」と盛り上がった。

 

私のコメント :  平成26年8月23日、山口県・島根県 JR西日本 山口線全線 復旧、SL山口号 運転再開時のおりに、亀井亜紀子先生と私は、その共通認識のもとに、山口県山口市内のホテルにて、亀井亜紀子先生の秘書に同席をしてもらい、ともに、夕食をしながら、森英恵、佐藤栄作、石橋湛山、外務省、沖縄県、山形県における諸問題・課題、旧米沢藩 上杉家、並び、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の話題 等についても、当時、すでに、懇談をしている。

 
令和3年6月、新型コロナウイルスのインド型変異株が拡大している。東京都や神奈川県ではクラスター(感染者集団)も発生した。感染力の強さは英国型の1.5倍、従来株の2倍とされるが、それらより低い可能性を指摘する専門家もいる。
 
令和3年6月、富士山はいま、噴火しやすい状態になっていると、火山学の権威で京都大学名誉教授の鎌田浩毅氏は指摘する。政府が警戒する南海トラフ地震と連動する危険性もあるとされる。
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「歌会始の儀」天皇皇后両陛下と皇族方の歌
3/26(金) 12:45配信 日本テレビ系(NNN)配信より

「歌会始の儀」天皇皇后両陛下と皇族方の歌

皇居で新年恒例の「歌会始の儀」が行われました。今年のお題は「実」です。

当初、1月に開催される予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大のために2か月あまり延期され、宮殿内で初めてアクリル板やフェイスシールドの使用、入選者の1人は福井県からオンラインで参加するという異例の開催でした。

しかし、「年の始めに~」という古式ゆかしい独特の節回しは例年と同じで、伝統のままに歌が披露されました。

天皇皇后両陛下と皇族方の歌を紹介します。(歌の背景については、宮内庁の説明をもとに編集しました)

天皇陛下(御製)「人々の願ひと努力が実を結び 平らけき世の到るを祈る」

両陛下は、新型コロナウイルスの感染拡大により多くの人命が失われ、世界中の人々が大きな試練に直面していることに心を痛められています。両陛下はこれまでに様々な分野の専門家や、現場で対応にあたる方々から話を聞いてこられました。この歌は、陛下が、人々の願いと、人々がこの試練を乗り越えようとする努力が実を結び、感染症が収束していくことを願う気持ちを詠まれたものです。

皇后さま(皇后宮御歌)「感染の収まりゆくをひた願い 出で立つ園に梅の実あをし」

両陛下は、新型コロナウイルス感染症の発生以来、感染拡大の収束を心から願ってこられました。皇后さまは、緊急事態宣言下の昨年5月、お住まいのある赤坂御用地内を散策中、梅林の梅の実がいつの間にか青々と大きくなっていることに目を留められました。感染拡大で人々の日常が様々な面で大きく変わった世の中にあっても、それまでの年と同じように花を咲かせ、実を育んでいる梅の木に、変わらぬ自然の営みの力を感じ、感慨深く思われた歌です。

秋篠宮さま「夏の日に咲き広ごれる稲の花 実りの秋へと明るみてくる」

ある夏の暑い日、秋篠宮さまは普段はあまり気にとめることはない稲に咲く花が、いかにも奥ゆかしく開いていることに気付かれました。控え目ではあるが故に、秋に撓(たわわ)に実る準備をしているようにも感じられたそうです。控えめに咲く稲花(とうか)を見ながら、秋に黄金色の稲穂が豊かに実ることを願われた気持ちを詠んだ歌です。

秋篠宮妃紀子さま「竹籠に熟るる黄色の花梨(くわりん)の実 あまき香りは身に沁みとほる」

紀子さまは、秋篠宮さまと一緒に赤坂御用地を散策し、自然の移ろいを楽しまれています。春には美しいピンク色の花が咲いていた花梨の木は、秋にはたくさんの黄色の実を付けました。熟した花梨の実を竹籠に入れると、辺りはほのかな甘い香りに包まれます。籠の置かれた部屋などで花梨の実の香りに安らぎを感じ、身近な自然の恵みをありがたく思った気持ちを詠まれた歌です。

眞子さま「烏瓜その実は冴ゆる朱の色に 染まりてゆけり深まる秋に」

幼い頃から烏瓜の美しい色合いが好きだったという眞子さまが、季節が深まるにつれて、烏瓜の実が秋の色に染められていくように見える様子を詠まれた歌です。

佳子さま「鈴懸の木から落ちにし実を割りて ふはふは綿毛を空へと飛ばす」

幼い頃に鈴懸の実を割って、中の綿毛で遊んだことがあったという佳子さまが、最近、同じ鈴懸の木の下に行き、当時のことを思い出して詠まれた歌です。

常陸宮妃華子さま「野鳥くる実のなる木々に植ゑかへて 君は若かる庭師と語る」

常陸宮さまは、数年前まで週末や時間があるときに、帽子やサングラス、望遠鏡を持って、庭を散策されていました。ある日、庭の植木の手入れをしていた職員に偶然会い、野鳥や蝶が好む、実のなる木々や草花を植えて欲しいと頼まれました。その翌年には、野鳥や蝶が確かに増え、その様子を嬉しそうに見ていた常陸宮さまの姿を思い出して、華子さまが詠まれた歌です。

寛仁親王妃信子さま「実りある日のくるためにながさるる 汗は力となると信ずる」

信子さまは、新型コロナウイルス対応の第一線で感染の危険と隣り合わせで尽力している方々の話を聞き、地域社会や個人が衛生管理・健康管理の大切さをしっかりと自覚することの重要性を改めて感じられました。最前線で働く関係者の健康への願いと深い尊敬と感謝の念を込め、一刻も早いコロナ禍の終息を祈ってこの歌を詠まれました。

彬子さま「地図帳にあの日見つけし茶畑の 不思議な点は茶の実のかたち」

彬子さまは、学習院初等科の頃に地図記号を勉強していた際、神社など分かりやすい記号がたくさんある中で、茶畑の記号はなぜこの形なのか不思議に思われていました。数年前、茶畑の見学で実際に茶の実を見せていただき、記号の意味が大変よく分かったと詠まれた歌です。

高円宮妃久子さま「戸隠の森にはびこる蔓柾(つるまさき) 赤き実を食(は)むは眉茶鶫(まみちやじない)か」

長野県にある戸隠森林植物園に自生するツルマサキの赤い実をついばむマミチャジナイについて詠まれた歌です。初めて撮影した時のことを、嬉しく、記憶に残る出会いとしてその瞬間を詠まれました。

承子さま「自室より画面越しにて繋がりて 旅せぬ集ひも実現したる」

COVID-19の影響で日々たくさんの不便はありますが、オンラインへの移行が進んだことで、国際会議やイベントの出席、遠方の友人方との交流など、時間的・距離的制約なく集える実りもあると気が付き、歌に詠まれました。

最終更新: 3月26(金) 14:24 日本テレビ系(NNN)
 
私のコメント :  令和3年3月21日、慶應義塾大学 慶應義塾福沢研究センター、渋沢栄一記念財団、日本女子大学 総務課、萩市長、山口市長 等との対応もあり、山口県 山口市 成瀬公園 に 私は、行く。