尾身会長、年内終息見込めず 「冬までは感染広がる」

2021/3/5 18:57 (JST)3/5 19:46 (JST)updated
©一般社団法人共同通信社 配信より

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参院予算委で、答弁する新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長=5日午後
 
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は5日の参院予算委員会で、コロナ感染の年内の「終息」は見込めないとの見方を示した。

年内に人口の6、7割がワクチン接種を受けると仮定しても「おそらく今年の冬までは感染が広がり、重症者も時々は出る」と述べた。

終息の定義として「さらに1年、あるいはさらにもう1年たち、季節性インフルエンザのように、それほど不安感がなくなれば終息となる」との考えを披露した。

コロナ対策で営業時間短縮要請に応じた事業者向けの協力金に関し、国民民主党の舟山康江氏は事業者の規模に応じた支援を求め、菅義偉首相は検討する姿勢を示した。

私のコメント : 令和3年3月5日、新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は5日の参院予算委員会で、コロナ感染の年内の「終息」は見込めないとの見方を示した。営業時間短縮要請に応じた事業者向けの協力金に関し、国民民主党の舟山康江氏は事業者の規模に応じた支援を求め、菅義偉首相は検討する姿勢を示した。

 

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伊万里市、事業者に4万円 コロナ独自策 新生児には3万円

2/17 7:00、佐賀新聞 配信より

伊万里市は16日、新型コロナウイルス対策の新たな事業を発表した。独自の経済対策として、厳しい経営環境にある事業者に4万円、特別定額給付金の対象にならなかった新生児に3万円を支給する。総事業費2億1269万円を18日開会の臨時議会に提案する。

国のコロナ対策に関する臨時交付金を受けて予算を組んだ。事業者への支援は2020年12月~21年2月のいずれかの月で、売り上げが前年同期と比べ減少した事業者が対象。新生児への給付金は20年4月28日~21年3月31日に生まれた子どもが対象になる。

経済対策ではほかに、市内の貸し切りバス、タクシー、運転代行業者に、バス1台当たり10万円、タクシーと運転代行には車両1台当たり1万円を支給する。

感染予防に関しては、伊万里消防署の仮眠室の個室化、市内13カ所にあるコミュニティセンターのトイレの全面洋式化、市庁舎トイレの手洗い場への非接触型水栓の導入を進める。

ワクチン接種に関する経費3億5535万円は8日に専決処分した。(青木宏文)
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【訃報】桃崎峰人佐賀県議会議長が死去

7:57、佐賀新聞 配信より

佐賀県議会議長の桃崎峰人氏
佐賀県議会議長の桃崎峰人氏(71)=当選5回、唐津市・東松浦郡=が死去した。5日、複数の関係者が明らかにした。桃崎氏は2019年5月に議長に就任。2月定例県議会が開会中だった。

私のコメント : 令和3年3月5日、佐賀県 有田町 総務課 もろくま様と対談する。

令和3年3月5日、佐賀県 県議会事務局 光武様と対談する。

 

令和3年3月5日、佐賀県 国際課 川崎様と私は、対談する。

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五輪、武藤氏が再延期「不可能」 選手村の確保困難
3/5(金) 19:41配信 共同通信 配信より

武藤敏郎氏
東京五輪・パラリンピック組織委員会の武藤敏郎事務総長は5日、共同通信のインタビューに応じ、新型コロナ感染症の影響で開催を危ぶむ声も出ている大会について、再延期は「不可能」とし、選択肢にないとの考えを明確にした。

武藤氏は具体的な理由として3点を主張。

最大の問題として、大会期間中に各国選手が滞在する選手村の再確保が困難な点を挙げた。

「アスリートの立場に立つと、緊張を続けるのは(延期の)1年がぎりぎり」とも指摘。

来年以降の五輪を含む国際スポーツイベントの日程が決まっている中、再延期を主張するのは「日本の論理」で、国際的な理解を得られないとの見方も示した。

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最終更新:3/5(金) 19:58 共同通信

私のコメント : 令和3年3月5日、東京五輪・パラリンピック組織委員会 事務総長は5日、共同通信のインタビューに応じ、新型コロナ感染症の影響で開催を危ぶむ声も出ている大会について、再延期は「不可能」とし、選択肢にないとの考えを明確にした。来年以降の五輪を含む国際スポーツイベントの日程が決まっている中、東京五輪・パラリンピックの再延期は、国際的な理解を得られないと、その見方も示した。

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岸清一の故郷、松江に艇庫 「スポーツの父知って」
2019/3/30 20:38 西日本新聞 配信より

「岸清一記念艇庫」=30日、松江市

戦前に国際オリンピック委員会委員や日本漕艇協会の初代会長を務め、「日本近代スポーツの父」とも呼ばれた岸清一(1867~1933年)の名前を冠した「岸清一記念艇庫」が30日、生まれ故郷の松江市に落成した。

運営する松江ボート協会の古志勝俊会長(65)は「市民ですら岸氏を知らない人がいる。来年の東京五輪を契機に業績を周知し、松江やボート競技を盛り上げたい」と話した。

松江市出身の岸は東京帝国大学在学中はボート部に所属し、卒業後は弁護士として活動した。日中戦争などの影響で中止となった40年の「幻の東京五輪」誘致にも尽力したとされる。

私のコメント : 令和3年3月5日、戦前に国際オリンピック委員会委員や日本漕艇協会の初代会長を務め、「日本近代スポーツの父」とも呼ばれた岸清一(1867~1933年)の名前を冠した「岸清一記念艇庫」が、生まれ故郷の島根県 松江市に落成している。

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丸山知事、県体協会長を辞任 聖火リレー中止検討で 島根
3/5(金) 20:26配信 時事通信 配信より
 
島根県体育協会は5日、会長の丸山達也知事が同日付で辞任したと発表した。

県体協は東京五輪の聖火リレー県実行委員会に名を連ねている。丸山氏は「聖火リレーの中止検討を表明したことで、県体育協会および関係者に大変迷惑を掛けたことから、会長職を辞することとした」とのコメントを発表した。

辞任は5日付。県体協によると丸山氏が2月26日、「一身上の都合」として辞任届を提出。各理事に報告し、了承された。

会長職は知事が務めることが多く、国民体育大会で入賞した選手らへの表彰などを行っている。 

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最終更新:3/5(金) 20:33 時事通信

私のコメント : 令和3年3月5日、島根県体育協会は5日、会長の丸山達也知事が同日付で辞任したと発表。辞任は5日付。島根県体協によると丸山氏が2月26日、「一身上の都合」として辞任届を提出。島根県体育協会 各理事に報告し、了承された。

島根県出身の岸 清一は、日本の弁護士、政治家。国際オリンピック委員会(IOC)委員。日本の体育・スポーツ界発展のため尽力し、“近代スポーツの父”として慕われた。岸清一は東京帝国大学在学中には漕艇選手として活躍した。

1911年(明治44年)に大日本体育協会(日本体育協会)が、私の親類 嘉納治五郎により、その設立をされた際は、その協力もされている。
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岸清一
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』配信より

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日本の旗 日本の政治家
岸 清一
きし せいいち
Kishi Seiichi.jpg
岸清一
生年月日 慶応3年7月4日
(1867年8月3日)
出生地 出雲国松江雑賀町
没年月日 1933年10月29日(66歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学英法科
日本の旗 貴族院議員
在任期間 1932年3月15日 - 1933年10月29日
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岸 清一(きし せいいち、慶応3年7月4日(1867年8月3日) - 1933年(昭和8年)10月29日)は、日本の弁護士、政治家。国際オリンピック委員会(IOC)委員。日本の体育・スポーツ界発展のため尽力し、“近代スポーツの父”として慕われた。法学博士。

目次
1 生涯
2 日本スポーツ界の功労者
3 脚注
3.1 注釈
3.2 出典
4 演じた俳優
5 外部リンク
生涯
慶応3年7月4日(1867年8月3日)、松江雑賀町(現在の島根県松江市雑賀町)に松江藩の下級武士・岸伴平の次男として生まれる。小学校時代の同級生に、若槻禮次郎(第25代・第28代内閣総理大臣)がいる。岸と若槻は血のつながりはないが、近い親類だった[注釈 1][1]。

松江雑賀小学校、島根県第一中学校(現在の島根県立松江北高等学校)、大学予備門を経て東京帝国大学法科大学英法科に進学。

1889年(明治22年)7月に卒業後は代言人免許を受け、岸法律事務所を東京の京橋に設置、1893年(明治26年)に制度改正により弁護士となる。

法律の調査、視察の為の数回の渡欧後、1910年(明治43年)10月に法学博士となった。1915年(大正4年)5月から1933年(昭和8年)10月まで大日本弁護士会会長を務めるなど法曹界の重鎮であり、特に民事訴訟法の権威であった。

1932年(昭和7年)3月15日には勅選の貴族院議員となり[2]、死去まで務めた。

1933年(昭和8年)10月29日、病気のため死去。66歳没。

日本スポーツ界の功労者

岸記念体育会館

日本スポーツ協会にある「岸清一先生」の像(2019年6月25日撮影)
岸はまた、日本スポーツ界発展に尽くした人物として知られる。岸は東京帝国大学在学中には漕艇選手として活躍した。

1911年(明治44年)に大日本体育協会(日本体育協会)が嘉納治五郎によって設立された際には維持員として参画し、1916年(大正5年)には副会長に就任。1921年(大正10年)3月に第2代会長に就任した。

1920年(大正9年)6月には日本漕艇協会(日本ボート協会)初代会長に就任した(1921年(大正10年)6月まで、以降は顧問となる)。

1924年(大正13年)6月 国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任し、死去するまで務めた。また野津謙専務理事(後に日本サッカー協会(JFA)会長)と共に大日本蹴球協会(のちのJFA)の国際サッカー連盟(FIFA)加盟(1929年)にも尽力した。

1932年(昭和7年)に開催されたロサンゼルスオリンピックにはIOC委員として参加している。

1924年(大正13年)3月に紺綬褒章を受章した。岸の故郷である松江市の島根県庁には岸の銅像があり、1964年に除幕式が行われた際には当時のIOC会長であったアベリー・ブランデージが自ら出席し、『東京オリンピックの開催は岸の偉業である』と讃辞を述べ、岸の功績を讃えた[3]。

岸の死後に遺言により100万円の寄付がなされ、1940年(昭和15年)にお茶の水[注釈 2]に岸記念体育会館が建設され、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催を機に同年7月に渋谷の代々木に移転された。2018年(平成30年)11月8日、日本スポーツ協会理事会で岸記念体育会館を新国立競技場の隣接地に移転し「JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE」と名称を改めることとなり、館内に「岸清一メモリアルルーム」が設けられることが決定した[4]。

2019年(平成31年)4月6-7日、岸清一の胸像が同月30日に竣工した「JAPAN SPORT OLYMPIC SQUARE」の前に岸記念体育会館から移設された[5]。

岸の故郷である松江市では岸の名を冠した『岸清一賞 国際文化観光都市 まつえレディースハーフマラソン』大会が毎年3月に開催され[6]、毎年7月下旬には『岸清一記念 松江市民レガッタ』大会が開催されている[7]。また岸が漕艇選手出身だったということで松江市に2019年3月、『岸清一記念艇庫』が建てられオープンした[8]。

脚注
[脚注の使い方]
注釈
^ 岸の母と若槻の継母が姉妹、また岸の姉が若槻の異父兄の妻である。
^ 現在のJR御茶ノ水駅近く聖橋の向かいにあり、2007年まで日立製作所本社があった。
出典
^ 『若槻礼次郎自伝 古風庵回顧録 明治、大正、昭和政界秘史』 3-21頁
^ 『官報』第1561号、昭和7年3月16日。
^ 出典:1998年2月26日朝刊 朝日新聞
^ “移転後の名称決まる=競技団体入居の岸記念体育会館”. 時事通信. (2018年11月8日) 2018年11月18日閲覧。
^ “岸記念体育会館 岸清一像の清掃を実施” (プレスリリース), 日本スポーツ協会, (2019年4月5日) 2019年6月28日閲覧。
^ “第40回記念 岸清一賞 国際文化観光都市 まつえレディースハーフマラソン” (日本語) (PDF) (プレスリリース), 国際文化観光都市 まつえレディースハーフマラソン実行委員会事務局 2019年8月31日閲覧。
^ “岸清一記念 松江市民レガッタ (HTML)” (日本語). 松江市民レガッタ実行委員会. 2019年8月31日閲覧。
^ "岸清一の故郷、松江に艇庫". カナロコ. 神奈川新聞社. 30 March 2018. 2018年8月31日閲覧。
演じた俳優
岩松了 - 2019年 、NHK大河ドラマ・『いだてん〜東京オリムピック噺〜』
外部リンク
岸清一 とは - コトバンク
岸清一 - ウェイバックマシン(2019年1月1日アーカイブ分)

先代:嘉納治五郎 日本体育協会会長
第2代:1921年 - 1933年
次代:大島又彦