後鳥羽上皇配流から800年 島根県隠岐 2年かけ顕彰事業
2021/1/15 11:00 (JST) [m:213]山陰中央新報社 配信より

鎌倉時代、1221年の承久(じょうきゅう)の乱で後鳥羽上皇(1180~1239年)が隠岐に配流されてから、2021年は800年の節目を迎える。島根県海士町では、来島の様子を再現したイベントや島民との交流を描いた演劇など、盛りだくさんの行事に取り組む。上皇ゆかりの歴史と文化遺産の継承に向けた人材の育成や観光客誘致につなげる。

後鳥羽上皇は承久の乱で敗れて中ノ島(現・海士町)に配流され、亡くなるまでの20年近くを過ごした。和歌や刀剣作りに関心を寄せたと伝えられ、上皇を祭る隠岐神社もある地元では「ごとばんさん」の名で親しまれる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2020年11月15日

芸能 話題 
檀ふみ 父・檀一雄の蔵書1万冊と母の着物を処分して
思い出のとば口になるものとともに暮らすのも悪くない
檀ふみ 女優
 
「建て直しを決めたのは、昔から我が家にあった思い出の樹木を、少しでも残したいから。売って更地になれば、木はすべて伐採されてしまいます。」(檀さん)

自身が生まれ育った家を20代で建て直した。数年前には区画整理で敷地が半分になり、3番目の家を建てることに。父である作家・檀一雄さんの蔵書や母の着物を整理し、見えてきたこと(構成=篠藤ゆり)

家の建て直しで遺品の整理に直面
生まれた時から住んでいた場所に新しく家を建て直し、2018年の秋に引っ越しました。新居はそれまでと同じく、下の兄家族との二世帯住宅です。

20年近く前から道路の拡幅が始まり、うちも半分が、計画に引っかかっていました。ただ、母が高齢で認知症の症状もあったので、急激な環境の変化はよろしくないと思い、交渉の席にはつかずにきたのです。

15年4月に母が亡くなり、違う場所に引っ越すのか、半分になってしまう土地に家を建て直すのか、いろいろな方に相談しながら検討。翌年から改築に向けて動き出しました。建て直しを決めたのは、昔から我が家にあった思い出の樹木を、少しでも残したいから。売って更地になれば、木はすべて伐採されてしまいます。

それまで住んでいたのは、私が20代半ばに施主となって建てた家(2番目の家)です。若い身空でそのような決断をしたのは、生まれ育った家(1番目)の雨漏りに耐えかねたから。父は普請が好きで、増改築を重ね、家はつぎはぎだらけ。とにかくものが多く、蔵書にいたっては1万冊近くありました。

2番目の家はかなり大きな建物で、回り廊下を設け、壁一面を本棚にしました。それでも足りないので、廊下の床下にも本がしまえるように。収納もたくさん作り、古家にあったものはほとんど捨てず、収納の中にしまいました。その作業は、大正生まれで「ものを捨てられない人」だった母がすべてやったので、私はどこに何があるのかも知りませんでした。

全部捨ててしまうつもりだった
今回、3番目の家を建てるにあたって、いったん家を空にする必要があり、妹と一緒に荷物を確認しました。そうしたら、出てくるわ、出てくるわ。父が集めた書画や旅先で買ってきた骨董品、美術品の量も半端ではありません。なにより桁違いなのが、食器の量です。父は50人くらい招いて家で宴会を開き、料理をふるまうのが趣味。食器も5客セットとかではなく、同じものが20~30枚ありましたし、大皿や大鉢など巨大な食器が山のようにあるのです。

屋根裏収納には私は怖くて上がれず、妹が見てくれることに。そうしたら、「えっ、こんなものが?」というものがたくさん出てきました。たとえば古い足踏み式のミシン。そんなもの、どうやって屋根裏に持って上がったのか(笑)。見たことのない母の着物もありました。たぶん、20代の頃のものではないでしょうか。母は布類を捨てられない人だったので、とにかく山のようにあるのです。

私はもともと、ものには執着も愛着も薄いほうです。友人たちが「あのバッグほしい」「あのアクセサリーが素敵」などと言うのを尻目に、「特にほしいものなんてないわ」と思って生きてきました。ですから当初は、「全部捨ててしまおう」と言っていたのです。
今回の家の大きさは2番目の家の半分ほどで、収納場所も限られています。目をつぶって「えい、やァ」と処分しないことには、整理がつかないと思ったのです。すべてを丸投げされた妹は、かなりのストレスだったようです。

食器はどなたかの役に立てばと思い、全部引き取ってくださる方を探しました。価値のあるものも混じっているはずですが、なかなか引き取り手は見つからず……。

母の着物は、最近のものは、生徒さんをお持ちの着付けの先生に引き取っていただくことに。着物用段ボール3箱分ですが、先生のお宅の収納を整理してからというので、まだ引き渡せずにいます。昔の着物や布類のうち、きれいなものは、着物地で小物や服などを作っている方に、段ボール2箱分、引き取っていただきました。

母と一緒に引いた辞書は手元に
一番問題になったのは蔵書です。2番目の家は雨漏りするようになったうえ、本棚の後ろがネズミの巣に。そのため、汚れている本もかなりありました。ただ、父が小説のために集めた貴重な資料もあるはず。以前、ある作家さんから、「古書店で資料を探していたら、そういう本は檀さんのところにあると店主から言われた」と聞いたこともあります。
知り合いの古書に明るい方に見ていただいたところ、今は復刻本が出ているので、資料としての価値はほとんどないとのこと。そこで自分がとっておきたい本だけ抜いて、あとは古書店に引き取っていただきました。

ちなみに私が抜いたのは、全巻そろっている作家の全集、古い文学全集を1セット、作家仲間から父に献本された署名が入っている本。そして、私にとって思い出のある本です。たとえばボロボロになった戦前の『名歌辞典』は、和歌の一部しか思い出せない時、母と一緒に引いた記憶があります。

新居には2000冊所蔵が可能なのですが、時間が足りず1000冊ほどしか残せませんでした。古書店の方に来ていただいたのは引越し翌日。私と妹で、片付けきれなかったものを始末しに戻っていた時です。思わず発したであろう「汚ねぇ~っ」という声に、申し訳なくて胸がつぶれそうでした。

ものがきっかけで思い出がよみがえる
また、引越業者さんが音を上げたのが、父が集めた絵や書を額装したもの。「額は私たちが梱包します」とおっしゃったのでそのままにしておいたら、引っ越し当日に「えっ! こんなにあるんですか」と絶句。梱包するのに人が足りず、急きょ応援要請をしていました。

それらの額は、新しい家に作る6畳ほどの納戸に、きれいに並べて収納する予定でした。納戸といっても、人様に入って見ていただけるような空間にしよう。当初はそのつもりで設計したのですが、理想通りにはいかないものですね。納戸には今も、段ボール箱がうずたかく積まれたままです。

なぜ、そんなことになったのか。ひとつは、時間切れになったから。最後はまさに目をつぶる感じで段ボールにいろいろなものを詰め込み、トランクルームを2つ借りて預けました。でも、理由はそれだけではありません。ものには思い出が染みついています。片づけながら「これ、小さい頃によく目にしたわ」とか、「昔、好きだった」というものは、捨てがたくなってきたのです。

仮住まいではものが少ないすっきりした生活ができ、とても快適でした。新しい家は仮住まいより広いので、もっとすっきり暮らせるに違いない。そう楽しみにしていたのに、あに図らんや。引っ越しを終えてトランクルームから荷物が返ってきたら、「ぎゃーっ! こんなものがまだあった」「これ、どこに置けばいいの?」といったものがけっこう出てきました。

思い出のものがあるのも悪くない
たとえば、人間の半分くらいある、埴輪みたいな素焼きの鳥の置物。こんな巨大なものを、いったいどうすればいいのか。しかも兄が運ぶ時にどこかにぶつけたとかで、クチバシが欠けています。革でできたロバとサイの置物は2歳児くらいの大きさで、父が1年半ポルトガルに滞在している間に、どこかで買って送ってきたものです。

父が気に入って求めたものなので、なんとなく処分しがたくてトランクルームに預けていたのですが、こんな場所ふさぎのものをどこに置けばいいのか。考えた末、玄関ホールに置いたお気に入りの椅子の左と右に、脇侍のように立たせました。

送られてきた当時はピカピカでしたが、くたびれ果てたようにボロボロ。でも掃除のたびに撫でくり回しているうちに、私の気持ちもそこに移り、愛着もわいてきました。心なしか艶も出てきましたし、だんだんいいものになりつつあるような気がします。そんな経験を通して、ものが少なくてすっきりした暮らしもいいけれど、思い出のものがあるというのも悪くないなと感じるようになりました。

2番目の家の片づけをしている時、中国の切り絵を額装したものが出てきました。それを見たとたん、「そういえば小さい時に両親の寝室にかかっていた、懐かしいな」という感情がわいてきたのです。新しい家にはちょっと似合わないし、どうしようかと思いながら汚れを拭いたついでに裏板を外してみたら、台紙の裏から叔母の手紙が出てきて。そこには、「この間は素敵なコートを送ってくれてありがとう」と書いてありました。

父は、戦後、長いこと中国で暮らしていた妹に、そんな心遣いをしていたのですね。切り絵と手紙は、そのお礼でしょう。私たちの知らない父の姿を見た気がして、なんとなく胸が熱くなりましたし、ものは過去を辿るよすがになるのだ、と感じました。

開けるのが怖い母が残した古トランク
ものがあるからこそ、記憶の扉も開かれます。私は記憶力が弱いほうですが、これから年をとるとますます記憶力も減退していくでしょう。そんなとき、思い出のとば口になるものがなかったら、思い出は消失してしまう。なかったことになります。私はそれまでものにこだわったことがありませんでしたが、ものっていいなと、今になってつくづく思います。

さて、納戸に詰め込まれたままのものを、今後どうするか。当分は、そのままにしておこうと考えています。

私には子どもがいません。受け継ぐ人が甥だか姪だか、はたまたその子どもたちなのかは知りませんが、その人たちが少し苦労したほうがいいんじゃないか(笑)。2世代下の人たちには、残されたものに関する思い出がないから、まったく思い入れがないはず。

いいものがあれば売れるだろうし、すべて処分してもいい。私が悩む必要はないんじゃないか、と思い始めました。納戸にはクチバシの欠けた巨大な鳥もいれば、母が捨てられなかったボロ布も残されています。それをどうするかで、もう頭を悩ませるつもりはありません。

1つだけ悩んでいるのは、母が残した古いトランクです。母は、大事な書類などはすべてそこに入っていると言っていましたが、怖くて開けられないのです。たぶん、父があちこちから借りたお金の借用書も入っているでしょう。

父は浪費家でしたが、お金がなかったので、あちこちからお金を借りていたのです。そもそも最初に家を買った時も、先輩作家たちからお金を借りたらしい。私が生まれる前のことですから、すでに時効だとは思いますが──。

ひょっとすると、衝撃的な手紙が入っているかもしれません。まさにパンドラの箱。開けるべきか、開けざるべきか。今しばらく迷ってみようと思います。

構成: 篠藤ゆり
出典=『婦人公論』2020年6月23日号

檀ふみ女優
東京都生まれ。高校在学中に映画『昭和残俠伝 破れ傘』でデビュー。慶應義塾大学卒業。映画、ドラマのほか、美術・音楽番組の司会、古典の朗読など、各方面で活躍。
エッセイも好評で、共著『ああ言えばこう食う』は第15回講談社エッセイ賞を受賞。
現在、NHK‐FM『N響ザ・レジェンド』に出演中

(6ページ目)檀ふみ 父・檀一雄の蔵書1万冊と母の着物を処分して|芸能|婦人公論.jp (fujinkoron.jp) 配信より

私のコメント :  令和3年1月16日、後鳥羽上皇配流から800年 島根県隠岐 2年かけ顕彰事業をとりおこなう。 鎌倉時代、後鳥羽上皇(1180~1239年)が隠岐に配流されてから、2021年は800年の節目を迎える。島根県海士町は、盛りだくさんの行事に取り組む。上皇ゆかりの歴史と文化遺産の継承に向けた人材の育成や観光客誘致につなげる。

中ノ島に配流され、亡くなるまでの20年近くを過ごした。和歌や刀剣作りに関心を寄せたと伝えられ、上皇を祭る隠岐神社がある。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2016年06月3日

【原作小説『花筐(はなかたみ)』の作者・檀一雄さんの「花逢忌(かおうき)」に参加しました!】| 唐津映画製作推進委員会 KARATSU Film Project (karatsueiga.com) 配信より

【原作小説『花筐』の作者・檀一雄さんの「花逢忌」に参加しました!】

みなさん、こんにちは。唐津映画製作推進委員会です!先日、唐津映画『花かたみ』の原作小説『花筐』の作者・檀一雄さんの「花逢忌(かおうき)」が能古島にて開催され、大林組のスタッフの方々と共に、唐津映画製作推進委員会事務局とボランティア幹部会スタッフで参加してきました!能古島で晩年を過ごされた檀一雄さんの文学碑を前に、毎年5月の第3日曜日に、檀さんを偲ぶ「花逢忌」が開催されています。能古島の方だけでなく、全国から文学ファンが集まる「花逢忌」では、関係者の方々のお話をはじめ、檀一雄さんの小説に触れたことがきっかけで小説家になられた方からの献本があったりと、多くの方が檀さんの文学碑を前に集い、語らいました。また、当日は九州大学等の大学生コーラス部の参加もあり、当日は素晴らしいコーラスも聞くことができました。「花逢忌」の最後には、大林監督がお話をされ 約40年前から檀さんと約束をしていた『花筐』の映画化がついに実現すること、そして唐津オールロケで製作する旨を参加者の皆さま、そして檀一雄さんにご報告されました。その後の懇親会では、大林監督が約40年前に『花かたみ』製作を企画していた際に、監督と一緒に唐津でロケハンを行ったという、檀一雄さんのご子息・檀太郎さんへのインタビューを行いました!インタビュー記事は、唐津映画製作推進委員会の事務局を務める唐津シネマの会の機関紙「IMAKARA vol.10」(6月4日発刊予定)にて掲載いたしますので、お楽しみに♪

▼唐津映画製作推進委員会事務局【いきいき唐津株式会社内】佐賀県唐津市刀町1512-3 第3MSビル1F(平日9:00-18:00)TEL:0955-72-3278 FAX:0955-72-3288 MAIL:info@karatsucinema.com

私のコメント : 令和2年11月29日、外務省 いわゆる密約書 不在の問題に関係し、島根県 竹島問題に関する面談に関しては、令和2年11月25日、山口県 萩市 山口県漁業協同組合 はぎ統括支店にいき、山口県 萩市 山口県漁業協同組合 はぎ統括支店 坪井俊郎課長と私は、面談した。

令和2年11月25日、島根県 総務課 文書公益スタッフ 中村様から、島根県 竹島問題、コロナウイルス感染症対策、及び、立皇嗣宣明の儀に関する内容より 私のもとへ、連絡が入り、その対応を行う。

令和2年11月25日、島根県 竹島問題、コロナウイルス感染症対策、及び、立皇嗣宣明の儀に関する内容より、山口県 山口市 山口県庁に行き、山口県 農林水産政策課 団体指導班 田井中 剛主査、並び、山口県 農林水産部 農林水産政策課 団体指導班 兼俊 奈美主査と面談する。

令和2年11月25日、島根県 竹島問題、コロナウイルス感染症対策、及び、立皇嗣宣明の儀に関する内容より、山口県 萩市役所に行き、萩市 農林水産部 水産課 課長補佐 兼 水産振興係 柳井淳治課長補佐、その後、萩市 農林水産部 農政課 恩村博文課長と私は、面談する。

令和2年11月25日、島根県 竹島問題、「外務省 いわゆる 密約書 不在の問題」に端を発し、現況における コロナウイルス感染症対策、立皇嗣宣明の儀に関係する祭祀、その各内容から、山口県 萩市 山口県漁業協同組合 はぎ統括支店に行き、日本郵政 民営化問題、現在、郵便局と各県における漁業協同組合との利害関係があり、旧 郵政省 職員と 私が、面談し、その対応している、島根県、並び、その関係する 各県へと 亘る 郵政 金融 諸問題より、山口県漁業協同組合 はぎ統括支店 坪井 俊郎課長と私は、島根県 竹島問題、「外務省 いわゆる 密約書 不在の問題」日本郵政 民営化問題、現在、郵便局と各県における漁業協同組合との利害関係について、面談した。その際に、お互いが、関係している 身近な話題に関する情報共有をおこなって、山口県漁業協同組合が、関係されている事柄に関する、その問題解決のための、糸口を作っていった。

令和2年11月25日、島根県 竹島問題、コロナウイルス感染症対策、及び、立皇嗣宣明の儀に関する内容より、山口県 萩市役所に行き、萩市 文化財保護課 職員と面談した後、萩市 協和建設工業株式会社に行く。萩市 協和建設工業株式会社においては、私の叔父が、その常勤役員を務めていたという、今迄の経緯、背景があり 協和建設工業株式会社 田村伊正代表取締役社長と私は、面談することができた。その際に、山口県 萩市 萩城 石垣修復、並び、島根県 津和野町 津和野城 石垣修復における 当時と現在における 話題を中心におき、文化造形の深い、歴代、現在の島根県知事からも、その表彰を受けられて、その表彰状がおかれている 協和建設工業株式会社 社長 応接室にて、山口県、島根県にまたがる 関係する 国重要文化財 民家、神社、史跡、寺院、伝統建築物、街並み 保存 における 今後における、見通しに関しても 津和野町 国史跡 指定 に対応してきている 私の立場から、協和建設工業株式会社 田村伊正代表取締役社長との間にて その調整をとりおこなった。

令和2年11月27日、山口県 長門市 山口県漁業協同組合 長門支店に行き、長門市 山口県漁業協同組合 長門支店の受付窓口にて、長門市 山口県漁業協同組合 長門支店の受付事務員から、その理由を記載されるよう、促されたので、書面に 理由を記載し、山口県 長門市 山口県漁業協同組合 長門支店 窓口へ 私は、その書面を提出している。

令和2年11月27日、広島県 広島市東区 株式会社 AIコンサルタント 調査課 職員が、株式会社 日本エンジニアリング 現場担当者とともに、来訪された。

令和2年11月29日、株式会社 日本エンジニアリングと私との「覚書」の対応に関する問題に関しては、株式会社 日本エンジニアリング 現場担当者が、私に対し、現在、その対応をされていないため、再度、広島県 広島市東区 株式会社 AIコンサルタント 調査課 石川剛係長のもとに、私から、書面での説明文を送信しなければいけなくなっている現状がある。

コロナウイルス感染症対策
防府市議会事務局
皇嗣宣明の儀
長門市総務課行政係
山口市文化財保護課
日本赤十字社山口県支部
日本浪曼派
伊藤佐喜雄
檀一雄
三島由紀夫
憂国忌
竹島問題 
檀流クッキング

完本 檀流クッキング
檀 一雄,檀 太郎,檀 晴子/集英社

わたしの檀流クッキング (中公文庫―ビジュアル版)
檀 晴子/中央公論社

いちばんくわしい 魚のおろし方と料理
島津 修/成美堂出版

吉田麻子の 簡単、おいしい魚料理
麻子, 吉田/秀和システム

日本浪曼派 (1971年) (潮新書)
伊藤 佐喜雄/潮出版社

「日本浪漫派」集 (近代浪漫派文庫)
栄次郎, 中島,光太郎, 神保,佐喜雄, 伊藤,与重郎, 保田,貢, 緑川/新学社

規範国語読本
與重郎, 保田/新学社

わたしの檀流クッキング (中公文庫―ビジュアル版)
檀 晴子/中央公論社

美味放浪記 (中公文庫BIBLIO)
檀 一雄/中央公論新社

三島由紀夫と壇一雄 (1980年)
小島 千加子/構想社

想い出のかたすみに [VHS]
中村雅俊/松竹