埼玉県知事選 新人5人が立候補し舌戦開始 与野党対決が軸     

2019/8/8 17:49、日本経済新聞 配信より

任期満了に伴う埼玉県知事選が8日告示され、新人5人が立候補した。4期16年務めた上田清司知事に代わる「埼玉の顔」を選ぶ選挙で、少子高齢化や人口減少への対応などが争点となる。自民、公明両党が推薦するスポーツライターの青島健太氏(61)と、上田知事や野党4党が支援する前参院議員の大野元裕氏(55)の対決を軸に、激しい選挙戦が予想される。

ラグビーボールを持って演説する青島氏(8日午前、埼玉県熊谷市)
ラグビーボールを持って演説する青島氏(8日午前、埼玉県熊谷市)
出陣式であいさつする大野元裕前参院議員(8日、埼玉県川口市)
出陣式であいさつする大野元裕前参院議員(8日、埼玉県川口市)
党の主張を述べる国民を守る党の浜田聡氏(8日、埼玉県庁)
党の主張を述べる国民を守る党の浜田聡氏(8日、埼玉県庁)


■青島氏
青島氏は午前11時ごろ、9月にラグビーワールドカップが開かれる熊谷市で第一声を上げた。スポーツ振興を重点政策に掲げる候補者として発信力をPRする戦略だ。演説でも「埼玉にはプロアマ問わず様々なスポーツコンテンツがある。世界に誇るスポーツ立県にしたい」と強調した。
スポーツ以外では教育環境の充実やいじめ、虐待防止など子供のための政策の実現を訴えた。「ダイナミックにインフラを整備する」として道路や治水分野、地下鉄の延伸を挙げたほか、自民党県議団が提起した県庁舎の建て替えにも前向きな意向を示した。
応援には自民、公明両党の県組織幹部のほか、日本オリンピック委員会(JOC)副会長の橋本聖子参院議員らが駆けつけるなど組織力を見せつけた。自民県連の新藤義孝会長は「国と地域がきちっと連携できる体制をつくれるのは青島さんしかいない」と訴えた。


■大野氏
大野氏は故郷の川口市内で出陣式を開いた。「上田県政が担ってきたこの埼玉県を、どんなことがあっても後ろに引き戻してはいけない」と声を張り上げ、上田路線の継承を印象づけた。先端技術の活用などを挙げ「今までの16年間をさらに大きく発展させなければならない」とも語った。
川口市は自民県連の新藤会長の地元でもあり、政財界の一部では支援を巡り大野氏と青島氏の「股裂き状態」が生じている。川口での出陣式は青島陣営を揺さぶる狙いもあるとみられる。大野氏の応援団長を務める上田知事は「勝利の推進力は川口だ」と鼓舞し、聴衆を沸かせた。
「しがらみのなさ」を掲げて立候補予定だった行田邦子前参院議員(53)が告示直前に出馬を断念したことで、大野陣営は行田票の取り込みを狙う。大野氏は「どこかの政党ではなく、県民のための政治をやらせてもらう」と強調した。


■浜田氏
NHKから国民を守る党の公認候補として立候補した浜田聡氏(42)は県庁前で第一声を上げた。「県知事の仕事は幅広く、責任感を伴う仕事だ」と語りつつ「NHKを見ない人の権利を守ることを訴えていく」と同党の主張を繰り返した。
同党は7月の参院選で政党要件を満たす得票を獲得し、比例代表で1議席を得た。参院選後初となる首長選への挑戦で党勢拡大を狙う。浜田氏は岡山県在住の医師で「埼玉県はまだ知らないことも多い。63市町村を全て回って最終日を迎えたい」と語った。


知事選にはほかに、元高校教諭武田信弘氏(65)と元会社員の桜井志津江氏(63)の2氏が立候補を届け出た。武田氏は予算執行の透明化、桜井氏は道路整備などを訴える。知事選は25日に投票、即日開票される。


私のコメント : 令和元年8月8日、埼玉県知事選が8日告示され、5人が立候補した。 2003年(平成15年)8月、埼玉県知事選挙に無所属での出馬を表明し、衆議院議員を辞職。自民党県連が推薦する候補者など7人を破り、当選。 2003年(平成15年)8月より、4期16年務めた上田清司知事、埼玉県 上田清司知事に代わる 選挙で、少子高齢化や人口減少への対応などが争点となる。

自民、公明両党が推薦するスポーツライターの青島健太氏(61)と、上田知事や野党4党が支援する前参院議員の大野元裕氏(55)の対決を軸に、激しい選挙戦が予想される。

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防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌より (発行日 平成19年6月30日)

1957年2月28日創立発起人会 
3月30日創立準備会 
5月14日創立総会
6月5日国際ロータリー正式加盟承認
(チャールス・G・テンネントンRI会長)
初代会長 牧野直隆  初代幹事 梶山芳四郎

牧野直隆様について、防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌に詳しく、記述できませんことを 牧野様の慶応義塾大学の後輩として、慶応義塾大学の野球関係者、及び諸先輩方に あいすまなく思っています。

その経緯 慶応義塾大学の野球関係者 及び 慶応義塾 皆様にします。

防府市内、今の勤務先 高等学校に、赴任して、当時の校長に、学校のインターアクトクラブを私に、担当させて欲しい旨を強く希望しました。しかし、当時、校長の意向もあったのかどうかわかりませんが、赴任1年目は、インターアクトクラブは、勤務先 他の教員がそれを担当し続けました。その後、赴任2年目にようやく私は、勤務先 学校のインターアクトクラブの顧問に就任しましたが、赴任2年目も防府ロータリークラブの会合には、私がその出席することについて妨げられました。赴任3年目(今から、3年前)に、私は、様々な皆様方にその呼びかけまして、ようやく防府ロータリークラブの会合に出席することができるようになりました。よって、牧野直隆様の大学後輩として牧野直隆様の存命中に会い、牧野直隆様の慶応義塾大学 六大学野球時代逸話と防府ロータリークラブ初代会長を勤められながらも、高校野球発展 等に尽くされた業績についてを防府ロータリークラブ 創立50周年記念誌に、その説明が出来ていませんことお許し下さい。今、防府市内には、三つのロータリークラブがありますが、インターネット上にてその月々の活動 等について、ホームページで閲覧できるのは、今のところ、防府ロータリークラブのみです。インターアクトクラブの関係者からも、インターアクト活動をしていく上で、情報を共有する上で、防府市内 他のロータリークラブ(防府南ロータリークラブ、防府北ロータリークラブ)ホームページ開設が待たれています。

本校、インターアクトクラブは、1963年9月設立です。公立高校(都道府県立の高校)においては、全国において、永続のインターアクト活動を続け、現存している県立高校インターアクトクラブ中で、最初の設立です。インターアクトクラブが、日本で一番に設立された仙台育英高校1963年6月に遅れること、3か月です。ちなみに、北京オリンピック日本女子バレー出場選手 栗原 恵様(パイオニア所属)は、三田尻女子高等学校(現 誠英高等学校)出身です。誠英高等学校のインターアクトクラブについて、スポンサークラブは、防府南ロータリークラブです。防府南ロータリークラブの設立について、三田尻女子高等学校 校長 小沢友太郎様(防府南ロータリークラブ会長)が、尽力され、設立をされています。 全日本女子バレー監督 柳本晶一様には、契同窓会 総会においては、私の隣の席に座っていただき全日本女子バレーについてスピーチを聞かせていただきました。柳本晶一監督が、新日本製鉄に勤務されていた時代についてのお話が、私の叔父が、新日本製鉄に勤務していた時代と重なっていまして、柳本晶一監督についてのお話の趣旨を良く理解することができました。日本女子バレー出場選手 栗原 恵様を これから地元で、応援展開するには、防府南ロータリークラブのホームページ開設が待たれています。

慶應義塾創立150年式典は、平成20年11月8日(土)に開催されました。慶應義塾創立150年記念事業に、皆様、ご協力をありがとうございました。映画「ラストゲーム最後の早慶戦」は平成20年8月23日から一般公開されています。

慶應義塾大学 塾長に就任されました 清家 篤 塾長につきまして、ふり返ると、私は、1982年11月23日に、清家 篤教授を最初に、萩、山口、防府に ご案内したことについて そのお礼状を私は、清家 篤 教授より頂いておりますので、清家 篤 慶應義塾塾長とは、26年間の学識交流と付き合いなります。その間、清家 篤 教授が、カリフォルニア大学に訪問研究員として渡米中、私が、清家 篤 教授の御実家のご母堂様とお話しました、そのご丁寧な対応の内容 等、当時の事柄についても、清家 篤様が、慶應義塾 塾長に就任されて、よみがえってまいります。謹んで、清家 篤 教授の慶應義塾 塾長 就任をお祝い申し上げますとともに、地元より、清家篤 慶應義塾 塾長のご活躍を深くお祈り申し上げております。

清家 篤様の父上様、清家 清様(東京目黒RC)は、世界の中で、「100人の高名なロータリアン」の一人として国際ロータリー物語「奉仕の一世紀」に記載されています。

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ベースボールの力
牧野 直隆 / 毎日新聞社



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