天津橋 江戸時代塩田の歴史遺構を移設、公開 柳井市 /山口
江戸時代に柳井市南浜の塩田に架けられた「天津橋」が近くのビジコム柳井スタジアム(柳井市民球場)の敷地内に移設、一般公開されている。塩田は埋め立てられ工場用地などに姿を変えたが、柳井市教委は「往時の姿を伝える貴重な産業遺産」と見学を呼びかけている。
天津橋は花こう岩を組んだ石橋で全長約15メートル、幅1・8メートル。川の両岸から桁石を斜めに張り出し、桁石の先端に橋桁の石を乗せ架橋する刎橋(はねばし)構造で、橋脚がないのが特徴だ。
橋が架けられた柳井浜は江戸時代の1810年に柳井川河口を開発した塩田で総面積は約24ヘクタールあった。東浜と西浜に分かれ、両浜の間には海水を取り入れると共に釜をたく木材を運び入れ、塩を搬出する堀川(中川)が設けられた。両浜を結ぶ天津橋は当初は木製の橋だったが、30年に石橋に架け替えられ、現存する橋は65年に改修されたものとされる。橋脚がないことから地元では「幽霊橋」と呼ばれ親しまれてきた。
日立製作所が1964年に進出し、塩田と川は埋め立てられたが、橋は、その後進出した工場敷地内で保存されてきた。今回、市教委が「多くの人に歴史遺構を知ってほしい」と約400万円かけ約350メートル離れた球場敷地に移設した。
18日の現地説明会では、市教委文化財指導員の松島幸夫さん(66)が、刎橋構造の石橋は県内の塩田に特徴的な遺構で、現存が確認されているのは天津橋の他、製塩の盛んだった防府市で3橋、山口市で1橋だけと解説した。国の史跡・錦帯橋(岩国市)の平成の架け替えを指揮した海老崎粂次さん(71)も見学に訪れ「構造もデザインも洗練されている。架橋技術の歴史を知るにも貴重だ」と話した。【大山典男】 〔山口版〕
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・・・2017年3月22日 毎日新聞 地方版 配信より
私のコメント : 平成29年3月27日、山口県 防府市 株式会社 丸久 総務部 御神本 様と私は、私が株式会社 丸久 社長 宛へ 送信している書面にもとづき、対談をした。