68回目の広島原爆忌…首相、米大使ら式典出席
 
被爆地・広島は6日、68回目の原爆忌を迎えた。

広島市中区の平和記念公園では平和記念式典(原爆死没者慰霊式・平和祈念式)が開かれ、約5万人が犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにした。世界にはなお1万7000発以上の核弾頭があるとされ、被爆者の悲願である「核兵器なき世界」への道筋は見通せていない。松井一実市長は平和宣言で、「絶対悪」との表現を使い、罪のない人々の命を奪う核兵器の非人道性を訴え、早期廃絶と平和な世界の実現に力を尽くすと述べた。式典には各地の被爆者や遺族代表、安倍首相ら政府関係者に加え、海外70か国と欧州連合(EU)代表部の代表が出席。核拡散防止条約(NPT)加盟の核保有国では米、英、仏、露、非加盟国ではインド、パキスタン、事実上の保有国とされるイスラエルが大使らを送った。米のルース大使は3回目の参列となった。原爆投下時刻の午前8時15分、遺族代表らがつく「平和の鐘」の音とともに参列者全員で黙とうして、犠牲者の冥福を祈った。平和宣言で松井市長は、原爆による心身の傷や差別、偏見を乗り越えてきた被爆者5人の体験談を引き、無差別に命を奪い、心身を終生さいなむ原爆を「非人道兵器の極みであり『絶対悪』」と強調、各国の指導者に廃絶を求めた。日本政府には、核兵器廃絶を目指す国々との連携強化や、被爆者援護の充実を要請した。安倍首相はあいさつで「私たち日本人は唯一の戦争被爆国民。確実に核兵器のない世界を実現していく責務がある」などと述べた。 最終更新:8月6日(火)10時23分  ・・・ 平成25年8月6日(火)、読売新聞 8時57分配信より
 
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私のコメント : 山口市小郡文化資料館には、河内山賢祐 制作による佐藤春夫像(昭和29年に制作) ブロンズ像 原本塑像についてが、展示室に、展示されている時もある。

関連する記事 : 佐藤春夫の長男、電車に挟まれ死亡…男ぶつかる  
23日午後8時40分頃、東京都新宿区の京王線新宿駅のホームで、電車を待っていた通信制の星槎(せいさ)大学(本校・北海道)学長・佐藤方哉(まさや)さん(77)(東京都多摩市関戸4)が、京王八王子発新宿行き準特急電車と接触、電車とホームの間に挟まれた。佐藤さんは病院に運ばれたが頭の骨を折るなどして約1時間後に死亡した。警視庁新宿署は、電車待ちの列に誤ってぶつかり、佐藤さんを電車に接触させたとして、日野市南平2、アルバイト藤井幸則容疑者(42)を過失傷害容疑で現行犯逮捕、容疑を過失致死に切り替えて調べている。発表によると、藤井容疑者は当時、ホームにしゃがみ込んでいたが、電車が来たため、立ち上がろうとして電車待ちの人の列にぶつかった。列の人が次々とよろけ、先頭にいた佐藤さんがホームに入ってきた電車と接触。その後、電車とホームの間に挟まれて約10メートル引きずられたという。藤井容疑者は調べに対し、「酒に酔って座っていたら電車が来たので立ち上がったが、ふらついて目の前の人にぶつかってしまった」と供述しているという。佐藤さんは行動分析学の学者で、慶応大教授などを経て2009年4月に星槎大の学長に就任。星槎大などによると、詩人・佐藤春夫の長男で、日本行動分析学会や国際行動分析学会の会長も歴任した。・・・・ 平成22年8月24日(火) 読売新聞 配信より

私のコメント :  山口県山口市役所 職員による 度重なる 私の家族に対する、言動によって、この事件が引き起こされたかどうか、日本政府の対応を待つしか、今のところ無い。私は、慶應義塾大学出身である。大学在学中において、慶應義塾大学 文学部 佐藤方哉教授の教え子と話しを交わしたことはある。しかし、佐藤春夫の末裔関係者と、佐藤春夫像(昭和29年に制作) ブロンズ像について話しを交わしたことは、今まで一度もない。
今までの私のボランティア活動歴についての話しをします。山口市小郡文化資料館に、故河内山賢祐の作品と遺品が展示してあります。遺作、遺品の管理について、私の祖父が、河内山賢祐と近い親類であったこともあり、遺族の立場を代表する意味でも芸術文化財ボランティアの立場でも、旧小郡町時代よりその作品等について、散逸しないように細かく注文をつけ私は、今日まで至っています。私が、当時、小学校の修学旅行に広島に行くという折に、その当時存命であった私の祖父と祖母が、「広島の平和記念公園に、河内山の叔父さんの原爆慰霊碑の彫刻があるから、見てきなさい。」と言われたことを覚えています。しかし、私の小学校修学旅行は、集団行動で、勝手に個人行動で広島の平和記念公園を見て回ることが、出来ずに、その時は、どこにその碑があるのか、わからずじまいでした。33年の歳月が、流れ、ようやく河内山賢祐と湯川秀樹との二人の構想による「広島市立舟入高女の原爆慰霊碑」が、広島市中区の区役所を訪問し、その場所を教えてもらい中区の中を流れている川沿いに確認することができました。風雪に耐え、乙女のレリーフは胸を強く打つ作品でした。広島市立舟入高女の碑の原版は、山口市小郡文化資料館に残されています。大叔父の河内山賢祐と湯川秀樹博士は、どのような考えで、このすばらしい作品を残そうとしたのかは、今となっては、二人とも故人となっているので、聞くよしもありません。先人の平和に対する想いを若い世代に語り継ぐことが必要です。司法のボランティアを議論することすら 機会もなく、又、司法現場の弁護士や判事さんにおかれても、様々なボランティア活動について理解と参加等の配慮をお願いしたいと感じることがあります。今後とも皆様にご協力をお願い申し上げます。