自らの被爆体験から、国内外の被爆者医療や援護の充実に尽力した県医師会長で、先月9日に74歳で死去した碓井静照さんのお別れ会が9日、中区であった。県・広島市医師会や母校の広島大関係者、国会議員など1000人以上が参列し、碓井さんの生前の功績と在りし日をしのんだ。碓井さんの友人、原田康夫・元広島大学長は、碓井さんが熱心に取り組んできた被爆者医療や放射線医療について、「君の残した足跡はあまりにも大きく、その志を引き継ぐことは容易でないが、広島の医師として力を合わせ、全力で取り組んでいくことを君の霊前に誓う」と哀悼した。碓井さんの妻周子さんは「生前多くの仕事をなしえたのは、たくさんの人のご厚情のおかげ。命を少しでも長らえ、仕事をしたいと病と闘ってきたが、どうすることもできませんでした」と涙ながらにあいさつした。参列した在日朝鮮人被爆者連絡協議会の李実根(リシルグン)会長は「あんなに真剣に朝鮮人被爆者について考えてくれた人はいなかった。今でも切なく、胸が詰まる」と悼んだ。【吉村周平】 6月10日朝刊 ・・・ 平成24年6月10日(日)、毎日新聞 15時18分配信より
私のコメント : 碓井静照広島県医師会長のご冥福をお祈り申し上げます。慶應義塾大学の在学中、私は、星薬科大学 関係者による配慮のもと、被爆医療や援護充実のために、広島市 広島女学院高等学校から東京都にある星薬科大学まで薬学について勉学にこられたお方と、そのお方が、星薬科大学に入学されたばかりのおり、東京都品川区中延において、親しく懇談する機会がありました。しかし、その後、現在、私は、そのお方と卒業後、面会と懇談ができていません。被爆医療や援護の充実はかるために、私は、そのお方と連絡を取り合いたいと思っています。私のブログをみていただいている関係各位の皆様には、この件につきまして、なにとぞ、ご協力の程をお願い申し上げます。