寛仁(ともひと)親王殿下が6日に亡くなられたことを受け、県は7日、県庁1階の正面玄関に、弔問記帳所を設置し、多くの人が訪れた。同日から約1週間の予定で、午前9時~午後5時。土日は、県庁東玄関で受け付ける。また、伊勢神宮の鷹司尚武大宮司は同日、「驚きを禁じ得ません。各界にてご活躍されました殿下のご体調の一日も早い回復をお祈り申し上げておりましただけに、誠に悲しみに堪えません」とのコメントを発表した。神宮司庁によると、寛仁さまは7回、神宮を訪れている。68年4月の英国留学報告が最初で、80年11月には結婚を報告された。96年12月には妻の信子さま、長女の彬子さま、次女の瑶子さまと共に訪問した。【大野友嘉子、木村文彦】  〔三重版〕 6月8日朝刊  ・・・ 平成24年6月8日(金) 毎日新聞 12時5分配信より
 
私のコメント : 三笠宮 寛仁親王殿下が、イギリスへ留学された当時、時の総理大臣 佐藤榮作氏からは、親王殿下の留学に際し、当時のイギリス各関係者に対し、格別の要請をされていた。