夏の甲子園 第5日の10日、島根代表の開星は山口代表の柳井学園と1回戦で対決した。五回まで両チーム無得点の息詰まる展開だったが、開星は六回、自慢の強力打線で3点を先制。七、八回にも1点ずつ追加し、5-0で危なげなく初戦を突破した。開星は3回戦進出をかけ、大会第9日の第3試合(午後1時開始予定)で、センバツ4強の日大三(西東京)と対戦する。【山川淳平、宮武祐希】

▽1回戦
柳井学園 000000000=0
開星   00000311×=5
 
五回まで両チーム無得点の手に汗握る試合展開。開星先制のきっかけは、白根尚貴投手(3年)の内野安打だった。続く森大樹選手(同)の左前打などで三塁に進むと、金山直樹選手(同)のスクイズで生還。金山選手の父裕さん(44)は「まさかスクイズをするとは。なんとか転がしてくれて、良かった」と胸をなで下ろした。八回は安田諒平主将の右越え二塁打で駄目押しの5点目。両手を合わせ、「抜けてー」と祈るような表情で見守っていた安田主将の母律子さん(56)の目に涙が浮かんでいた。九回1死一、二塁と粘る相手打線。安田主将はマウンドに駆け寄り、白根投手に「最後まで気を抜かずにいくぞ」と声をかけた。白根投手は続く打者を三振に仕留め、最後は内野ゴロでゲームセット。2年生エースだった昨年の大会では九回に逆転されて悔しい思いをしたが、今大会で雪辱を果たした。スタンドで応援していた生徒らは、手を挙げたり抱き合ったりして喜び、声が枯れるほどの歓声で選手をたたえた。活躍した白根投手の母みゆきさん(47)は、「高校生最後の大会。次も楽しんで頑張ってほしい」と、興奮した様子で話していた。

 ◇「イケイケかっ飛ばせ」--「応援委員」28人、200人束ね大声援
 ○…一塁側アルプススタンドは、約200人の応援団で埋め尽くされた。中心となるのは各クラス代表2人の「応援委員」計28人。スクールカラーである緑色のTシャツを着て「かっ飛ばせ!」「イケイケ!」と声援を送った。生徒らは9日午後10時に松江を出発。10日午前8時、甲子園に到着した。応援委員の石田敦史さん(2年)は「ベンチにクラスメートがいる。応援に熱が入ります」と額に汗を浮かべて声援を送っていた。

 ◇急な捕手起用、動じず--安田諒平主将(3年)
練習中に負傷した飯塚祥一正捕手(2年)に代わり、急きょ捕手を務めることになった。野々村直通監督の指示で1月から捕手の練習をしていたが、春以降は本来の二塁手に専念していた。島根大会で2度マスクをかぶったものの、主将としての重圧に加え、慣れないポジション。「白根は優秀な投手。あいつが打たれたら捕手の責任」と大会屈指の右腕を支えなければならない不安を抱えたまま臨んだ試合だった。だが、試合が始まると、バッテリー間の相性の良さを発揮した。今年4月から白根家に下宿しており、寝食を共にしてきた。互いに「いつも一緒にいるので、考えていることはなんとなく分かる」との言葉通り、白根投手がサインに首を振ることはほとんどなかった。終わってみれば3安打完封。直球主体の投球で打たせて取る。白根投手の持ち味を存分に引き出した。身長186センチの白根投手との身長差は27センチ。「試合中は安田が大きく見えた」と話す白根投手に対し「次も凸凹コンビで頑張ります」と、さらなる飛躍を誓った。【山川淳平】   ・・・8月11日 毎日新聞 朝刊 より
 
私のコメント :  島根代表の開星は3回戦進出をかけ、大会第9日の第3試合(午後1時開始予定)で、センバツ4強の日大三(西東京)と対戦するが、私は、山口代表の柳井学園とセンバツ4強日大三(西東京)との対戦を希望していた。
 
平成23年8月1日 柳井学園高等学校より帰校された山口県高校野球連盟会長から「杉山昌史主査による 山口県教育委員会にしたがえないようであるなら 次のステップに移る。」の言により、「その言により、私の家族 が・・・・・・の場合は、損害賠償を請求する」と通知する。

平成23年8月8日、山口県高校野球連盟会長からの再三にわたる「山口県教育委員会にしたがえないようであるなら 次のステップに移る。」の言に対し、私は、「当家の祭祀、宗教を守っていく私どもの家の立場がある。」「私どもの守っていく家の信仰に対し、充当されるお金も補充されなく、一方的に口頭でだけで要請される内容には、対応出来ない。」と答える。同席者、松本博己教頭。

平成23年8月9日、相談機関に、『「山口県教育委員会にしたがえないようであるなら 次のステップに移る。」の言に対し、私は、「当家の祭祀、宗教を守っていく私どもの家の立場がある。私どもの守っていく家に対して、サービス等も補充されなく、口頭でだけで要請される内容に、対応出来ない・・・についての経過報告。』、その際、「私からの連絡内容は、上層に揚げた。」と担当者より返事もある。
 
平成23年8月11日、夏の甲子園より帰校された 山口県高校野球連盟会長から「杉山昌史主査による 山口県教育委員会にしたがえないようであるなら 次のステップに移る。」については、杉山昌史主査 個人が指導しているのではないと明言。それに対し、私は、「私は、口頭でどうこう済まされない内容についてを皆様に理解してもらえるように、やむを得ず、ブログの表記している。再三にわたる山口県高校野球連盟会長から私の家族に対する干渉も、私に対しての指導ではなく。私や私の家族に対して脅しや恐喝の類のものである。山口県教育委員会に私は行き。その際、外務省から私の勤務先に、連絡が入り、私が対応した外務省の密約問題 等につき、私が申し開きした内容についてを山口県教育委員会が、適切に対応されていたならば、日本国内における原発事故処理の問題 等の様々な日本における困難な現況には、いたっていなかった。」と私は、強く主張する。
 
平成23年8月11日、夕刻に、一部上場における株式会社 支店長と私は、懇談する。その際に、日本国内における原発事故処理の問題 株式、国際金融に関する問題についても懇談もする。