長野市の善光寺の天台宗25寺院を統括する大勧進住職、小松玄澄 貫主 ( かんす ) (77)が辞任する約束を守らないために精神的苦痛を受けたとして、25寺院の代表だった柳沢貫一・尊勝院前住職(72)が、小松貫主を相手取り、辞任と慰謝料2000万円を求めた訴訟の判決が4日、長野地裁であった。山本剛史裁判長は「貫主は和解契約で辞任すべき義務があるのに言を翻し、前住職の名誉や信頼を著しく傷つけた」と述べ、300万円の支払いを命じた。ただ「辞任は本人の自由意思によるべきだ」として、辞任の請求は棄却した。貫主側は即日控訴した。
判決によると、小松貫主に対する批判記事が月刊誌に掲載されたのをきっかけに、25寺院の合議で2004年12月、退任を要求。05年8月に小松貫主と柳沢前住職、大勧進の顧問弁護士らが協議し、07年8月までに小松貫主が辞任することを口頭で約束し、紛争解決のための和解書を交わしたが、小松貫主は和解契約を否定し、辞任しなかった。
小松貫主側は「辞任の約束はしていない」「和解書に署名、押印はしていない」と主張していた。小松貫主は「辞任について約束した事実はなく、判決は承服しかねる」とのコメントを出した。(2011年2月4日16時04分 読売新聞より)
私のコメント: 慶應義塾大学 学生時代、大学ゼミ友と長野県にてゼミ合宿の帰り道、長野市善光寺、参拝した想い出ある。後、青蓮院門跡 東伏見慈洽様が、善光寺における名誉貫首の当時、 私は、平成5年 善光寺貫首大勧進住職 石塚慈侊大僧正からの色紙を拝受している。当時における海部俊樹首相政権下 日本外務省の密約問題に、端も発し、私と長野市 善光寺との連絡交信は、途絶えている。