エイプリルフール…じゃないよ | 海コン運ちゃんの運行日誌

エイプリルフール…じゃないよ

いつもこのブログを暖かく見守ってくださって、どうもありがとうございます。
そんな皆様に、チョットしたお知らせがあります。

えっとですねぇ、2012年4月30日をもって、現在勤めている会社を辞めます(笑)。

この会社に入って、今年の5月で丸3年になります。
この3年間イロイロとお世話になりつつも、怒りをそーとーな数グッと飲み込みつつ、時にはブチ切れつつ、ココロにポッカリと穴が開くような出来事がありつつ、人との出会いがありつつ、周りの人達に助けられつつ、色んな事がありました。
自分にとって、この4月30日と言いますか5月と言いますか、この辺の時期は、3年前から一つの区切りみたいな感じになってまして、「石の上にも三年」、今回このような決断に至ったワケです。

リアルに自分の事を知っている方、メール等々で交流のある方、古くからこのブログを見守ってくださってる方は、「3年前の2009年4月30日に何が起きたのか」って事をご存知だったり、何となく分かってたりされてたと思うんですが、あの時は、このブログ上で「会社、移ります」的な事は一切しませんでした。
「しませんでした」ってよりは、「出来ませんでした」って方が正しい表現か(笑)。

携帯電話やスマートフォンなどからご覧になってる方からは見えないと思うんですが、3年前の4月30日まで、このブログの一番上にある画像(ヘッダ画像)に写ってる紺色ヘッドの会社に所属していました。
このブログを始めた時もその会社に所属してましたし、自分的には、何かない限りは「ここにずっと居よう」って思うような、そんな会社でした。

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ヘッドが30台くらいだったかな?横浜の海コン屋としては「ソコソコ台数があるんだね」と言われる規模で、人によっては「昔からやってる老舗だよね」なんて言う会社で、そこに入れてもらったのが、海コンの世界に足を踏み入て1年3ヶ月経った2003年12月。
その当時、自分は戸部本町に住んでおり、その会社の名目上の本社も戸部本町。そして、自分の名前に使われる最後の漢字と、その会社の会社名に使われる最初の漢字が同じ。

そんな事から、紹介もありつつ勝手に「縁」みたいなものを感じ、そこでお世話になる事に決めました。

入れてもらった当初はよく分かんなかったけど、給料はそんな良くなかったです(笑)。
でも、給料をもらうと、社会保険やら税金やら何やら…イロイロ天引きされるワケなんですが、その部分を全額ではないけど、ある程度「交通費」って感じで補ってくれたし、仕事面も結構やりやすかったんですよね。

時間的な問題、その時の体調や事情、会社の方針があるので一概に言えないんですけど、自分としては「自分が走ったコンテナは、搬入もしくは返却してホネにする」ってのが、海コン運転手としての義務だと強く思ってます。
間に合わせるためなら、多少高速も使うし、自分に出来る最大限の努力をするべきだと思ってるんですけど、会社もそんなような考え方を持っていたフシがあり、気合い入れて仕事してる部分に対して、高速代うんぬん、燃費うんぬん、重箱の隅をつつくような事を言われた事があんまなかったんですよね。

こー書くと、いい事ばっかな会社に感じるかもしれませんが、そんな事はなく、当然の事ながら、イロイロ不満に思う事もありましたよ(笑)。

でもね、ここがかなり重要なポイントなんですけど、社長や社長の奥さんが、自分の家族を気にかけてくれてたんですよ。

今でも忘れる事が出来ないんだけど、長女 叶笑や次女 咲希が生まれた時にはお祝いをくれたり、まだ咲希は生まれてない時だったけど、「これ、娘さんに」って、叶笑に対してケーキやらお菓子やら洋服やら、色々な物をくれたり…。
運転手である俺の事を「モノ」みたいじゃなく、ちゃんと「人」として見てくれてて、さらに娘の事まで気にかけてくれる事がホントに嬉しくて、マジで涙が出たし、今もこーやって書いてて涙が出てくるもん。

社長や社長の奥さんは知らなかったかもしれないけど、娘を溺愛する、自他ともに認めるバカ親な俺ですから、そんな事されちゃイチコロっすよ(笑)。「一生ついて行きます。任せてください」なんて気持ちになっちゃいますって。

まあ、そんなこんなで骨をうずめる気で仕事してたワケなんですけど、「中古車を扱う乙仲(通関業者)さんに吸収されるらしいそ」とか「結構ヤバいんじゃね?」とかの話しが出ては消え 出ては消えしつつ、最終的に大幅な人員カットなんかをしつつ、2009年4月30日を迎えます。

そう、倒産です。

社員なのに、何でこーゆー事になってしまったのか、会社がどーゆー状態になっていたのか、全く事実を知らないんですけど、察するに、いわゆる「リーマンショック」ってヤツでトドメを刺されちゃったんでしょうね。

倒産の10日前、2009年4月20日の事です。
「税関検査をやるんだけど、まだ旗と指定票が来ないから、ホネつないだまま車庫で待ち」との指示を受け、車庫でポツンと待機してると、社長が乗用車で車庫に入って来て、自分の近くに車を止めて降りてきました。
この一ヶ月前に「人員カット」って事で、何人かの運転手が会社を辞めてましたからねぇ、「マジかよ…、次は俺の番かよ」なんて思いながら、自分も車から降り、社長の元に行きます。

「お疲れ様です」なんて言いながら、社長の所へ行くと、近くに居た一人の若い運転手もその場に呼ばれました。
そして「君たちに話しがある…」なんて社長が切り出した時に覚悟しました。「俺ら二人、クビに違いない」と。
しかし、社長から発せられた言葉は、それより更に衝撃的で「今月いっぱいで会社を閉めようかと思うんだ」との事。

マジで目の前が真っ白になって、アタマがクラクラしちゃいましたよ(笑)。

社長から、資金繰りがどーにもならない事、俺ら二人の事は○○○(現在所属している会社)にお願いしてくれてる事などなど、イロイロ話しを聞いた気がするけど、「閉めようかと思う」って言葉の衝撃が強すぎて、忘れちゃった。

こんな事、周りにも言えなかったし、ブログにも書くワケにも行かなかったし…、「リーマンショック」ならぬ「俺様ショック」って感じで、まーショックでしたよ。

こーゆー時って、「何とか倒産をまぬがれらんないのか」とか「叶笑は幼稚園入ったばっかだし、咲希は1歳になったばっかだし…、どーすんだ?俺」みたいな事を真剣に考えたり、「ブログのタイトルを『海コン運ちゃんの運行日誌』から『海コン運ちゃんの就活日誌 ~会社 ツブれてもーたがなー~』ってな、何かのパクリみたいなタイトルに変更しなきゃいけないかな…」なんて、どーでもいい事も真剣に考えたり、ワケの分かんない状態になりますね(笑)。

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社長の「あとの事はお願いしてあるから心配するな」って言葉を信じながら、会社が倒産しちゃうまでの10日間、とにかく周囲に会社が倒産する事を悟られる事なく過ごし、「これが、この看板を背負ってのラストランだ」って感じで祝日出勤したり、最後の日は散々悩んだあげく、ホームレス中学生の言葉を借りて「解散!」って言葉で締めたり…、今となっては懐かしい良い思い出です。

で、2009年5月7日から現在所属している会社に入ったワケなんですけど、何の支障もなく移動出来た3台のヘッド、俺も含め取りあえず3人の運転手、付き合いのあった乙仲(通関業者)さんの仕事、これらを倒産した会社から引き取ってもらう形での入社となりました。

ツブれた会社から、ある日突然ポコっと入って来た運転手ですから、「どーゆー扱いを受けるんだろう…」なんて不安な気持ちが大きかったんですが、事務所の人達にも暖かく迎え入れてもらい、運転手のみんなにも親切にしてもらい、その事は今でもマジで感謝しています。

自分が入った後、倒産した会社に居た何人かの運転手が入ってきましたが、結局1年足らずの間でみんな会社を去り、残ったのは、自分とアルバイト扱いの大先輩の二人だけになってしまったんですが、自分的には、あの状況で手を差し伸べてもらった事に感謝してましたし、倒産した会社でやらせてもらってた乙仲さんの仕事もありましたし、顔の見える仕事(笑)もありましたし…、ずっとココで頑張る気で仕事をしてたんですが、まあイロイロな事がありますって。
この場でどーこー書きませんが、簡単に言っちゃえば「命をかけらんなくなっちゃった」って気持ちが強くなってきて、散々悩んだんですが、現在所属している会社を去る事にしました。

あっ、この辺の事を詳しく聞きたいなんて奇特な方がいらっしゃいなしたら、個人的に連絡ください。
おごってくれるなら、居酒屋で何時間でも語りますよ。

なんてね(笑)。

この前チラっと目にしたんだけど、「タウンワーク社員」は「ドライバー・物流の仕事特集」だった気が…。
あとで散歩がてら、娘達とコンビニに行こうかなぁ(笑)。