6月22日、23日、24日の3日間、
盛大に姫路ゆかた祭りが開催されます。
姫路の市民が心待ちにするお祭りで老いも若きも浴衣を着て街に繰り出します。
浴衣を着ていくと
市営バスが半額になるし、書写山ロープウェイも2割引き。
姫路城や好古園、博物館や美術館など入場無料です。
この3日間は姫路に来ない手はないですね~
昼間は少し足を延ばして
ハリウッド映画「ラストサムライ」のロケ地として有名な
書写山円教寺に足を延ばすのもいいですね。
夜は沢山の露店が立ち並ぶ町筋をそぞろ歩いて、忘れてはいけないのがお参り。
浴衣まつりの所以となった長壁神社にぜひ参拝を!
私のお店「着物レンタル城下町スタイル」では
3500円で浴衣と小物一式、もちろん着付けも込みで浴衣レンタルがしていただけます。
浴衣をお持ちの貴女で自分で着付けができるなら、場所を無料で提供いたしますよ。
遠方から来られるなら洋服で来て浴衣に着替えてお出かけをお楽しみください。
祭り開催中は夜の9時まで営業しておりますので、時間を気にせず遊べますよ。
ゆかた祭り公式ホームページ
http://www.city.himeji.lg.jp/contents/yukatafes/
以下はウイキペディアからの抜粋です。
歴史に興味のある方は読んでください。
普段の長壁神社
例祭期間中の長壁神社
長壁神社は、千年以上前から現在の姫路城のある姫山に鎮守神として祀られていた。しかし、安土桃山時代に黒田氏や羽柴秀吉(豊臣秀吉)が姫山に本格的な城を築き、池田輝政が現在の姫路城に改修してからは、城内にある長壁神社には武士以外は参拝できなくなっていた。
江戸時代中期の享保17年(1732年)に播磨姫路藩の第3代藩主、榊原家宗家の8代当主となった榊原政岑は、将軍徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅を尽くし、奇抜な服装で江戸城大手門を警備したり、江戸・吉原で派手に遊興に耽り、新吉原の三浦屋の名妓・高尾太夫を1800両(2500両とも)で身請けするなど、奢侈を好んで風流大名や好色大名として名をはせた。高尾のために豪勢な酒宴を開いた際の費用は、3000両を超えたといわれている。これは尾張藩主徳川宗春の乱行同様、享保の改革に対する抵抗と見なされ、吉宗の怒りを買った。
吉宗は寛保元年(1741年)10月に政岑に出府を命じ、その乱行を咎めた。吉宗自身は改易の考えさえあったようであるが、重臣の尾崎富右衛門が懸命な弁明に努めたため、10月13日に政岑は吉宗より強制隠居の上で蟄居を命じられ、家督は息子の榊原政純に継ぐことが許されたものの、越後高田に懲罰的な転封を命じられた。
転封前になり政岑は、庶民も気軽に長壁神社に参拝できるようにと長源寺の境内に社を移し、夏至の日であった寛保2年(1742年)6月22日に遷座祭を開催した。その遷座祭に、町人が式服を作る間がなく参加するのを躊躇していたところ、浴衣姿での参加を政岑が認めたことから、毎年例祭に参拝する人がそれに倣って浴衣を着るようになったのが、「ゆかたまつり」の起源であるとされる。それ以来、長壁神社では6月22日が例祭と定められた。しかし史実では、政岑はその半年前に高田に転封されているため、政岑を慕っていた領民が後付けしたという説がある。
浴衣とは本来、下着と同様の扱いであり、そのまま外に出ることは極めて「はしたない」行為であったが、これ以降、日本において夏祭りに浴衣を着る風習が広まっていったと考えられている。
すべて読んでくださった方、ありがとうございます。
姫路は歴史がある街です。
着物が良く似合う素敵な街ですからぜひ遊びに来てください。
ではごきげんよう~。