インタビュアーはスイス人、ワタシは日本人ということで、お互い外国語である英語で面接をした。


米国人のスラングバリばりの早い英語と事なり、ゆっくりで、教科書みたいなフレーズで、とてもわかりやすかった。 


彼は、とにかく いつでも俺に質問に答えられるようにすること、レポートがタイムリーにできること、これが条件だ!と言った。 


その場ノリで、その他の質問もボクは英語で煙に巻き、デキル男を演じて.....

インタビューは終了となった。  その晩、 ヘッドハンター役の仲介からOKの電話をもらった。


さて、新天地でスタートすると、レポートの意味が身を染みて、わかった。


そのインタビュアーであるボスは、朝が非常に早く、7時には出勤していた。 


9時半が始業であるが、ボクも早朝出勤を余儀なくされた。


ボクのセクションのオフィスは彼とは別の階にあったが、出勤すると内線電話がかかってくる。


案の定、カメラが仕掛けてあった。 ま~セクションの部屋に設置してあった訳だが。


8時から~9時まで彼の部屋で朝打ち合わせが日常になった。朝型になったことで、それは健康的に

なったが、レポートの為の仕事が主体となり、だんだんレポートの為に仕事を毎日している気分になった。


その彼も、本国へのレポートが仕事、お目付役である訳だが......


さて、そのころシドニーノ彼らは、オーストラリアの国籍も取得していた。


なんでも同じ英連邦であるオーストラリアでは、香港市民の移住や国籍取得に寛容だった。

子供を留学させて、後から合流する家族が多かったという。いったん子供が国籍をとれば、その親も

永住権や国籍をとるのが、スムーズなのだ。


2000年に入ってから、いざという時の、退避場所を確保して、また香港に戻る動きが出始めた。


次回へ~




昨年から、ちょぼちょぼと話題にのっていた貯蓄税の導入案。


ここにきて、また再燃しそうな動きがある。


一律1%を。 減残高にかけるのか? 過去3年~5年の平均残高になるのか?


また海外に資産のある、分散投資をしている賢い投資家の海外残高は、どうなるのか?


非常に興味があるところ。


GWはまた、シンガポールや香港の銀行で、修学旅行よろしく、日本人が口座開設に 列を作るのであろうか?


海外口座の開設に、開設サポート業者なるものが、暗躍しているそうだ。


そもそも銀行口座の開設に、何故 高いお金を払って、サポートを求めるのか?


高校生の英語で、じゅうぶん 通用します。



高校や大学で、英語をさぼった人、嫌いな人は半年 真剣にブラッシュアップしてみて。


3万くらい口座開設に払うなら、英語にその分、自己投資した方がよっぽど身になる。


有料サポートを受けた人が、海外口座を作って 使いこなせるのか? 


いやいや、アフターサポートのプランもあるという。


そんなエセ海外投資家にならない為に、努力を惜しまず、自分のモノにできるようになってほしいと

思う。


少佐は? 全部、独力です。 そんなお金、投資の一部にまわすか、ウマい飯と酒に使います。





彼らは、Mosmanで大きな庭やプールのある一軒家に両親、おねえさんと大家族で6年程、生活していた。


また不動産の事業を手掛け、日本にもちょくちょく来ては、ビジネスをしていた。


時々、会っていたがいつもごちそうしてもらったり、パークハイアットにスティしたり、なんでこんなに羽振りが

いいのだろうといつも不思議に思った。


ボクは、その後、産まれて始めて、ヘッドハントなるものを経験した。


丁度、米国RVブームも去り、どうしたものかな? と思っていた矢先だった。


合わせて、前職も総合商社の大手同士でありながら合併してしまった。 その時は転職して本当によかった!

と思った。 


引き抜きは、異業界で、欧州系であった。 またインタビュアーがヨーロッパ人という今までの米国人とはまったく

カラーの違った人であった(このあと、かなり人間関係で苦労することになる。)。



当時、彼らとその両親、家族は、オーストラリアのNSWのMosmanという所に引っ越しをした。


島国の日本人の感覚からすると、国を出て、引越しをするのは、かなりセンセーショナルな出来事と

いえるが、電話で話しいている分には、それほど、危機感を感じられないトーンだった。


そこが、華僑って国境を意識しないと、本で読んだ事があるが、凄いなと当時、実感した。


元々、繊維の工場を立ち上げ、本土にOEMの工場をいくつか展開させているらしかったが、

(あまり自分のビジネスを他人に話したがらないのが、華僑だ。信頼されない限り)

シドニーへ行ってどうなってしまうのだろう?と勝手な心配をしていた。


やはり返還されるのは、生活が一変してしまうのかな~なんて勝手に思ってしまった。


そうこうするうちに、2人にシドニーでお子さんが生まれたというニュースを耳にした。


ボクは、ようやく仕事に慣れるとともに、香港との距離は大きくなってしまった。


またもう香港には縁遠くなってしまったかな~なんて思ったりしていた。


ニュースで香港が返還された後 香港の景気が急速に悪くなり、上海にシフトしているとさかんに

報道していた。 またIMF危機やら、SARS,鳥インフルエンザやら、アジアはあまり良い話を聴かない

頃であった。


その頃、相方は休暇中に、シドニーに何度か遊びに行っていた。


NSWのMosman? そこってとてもいい場所だと、後々驚く事になる。


次回へ~






それからしばらくして、香港とは少し縁遠くなってしまった。


ワタシは 始めての転職をした。


日本の市場で、RVブームにより、米国車、当時、チェロキーや、エクスプローラー、等の米国車が

好まれていた時代だ。 今は見る陰もないないが.......


取引先の米銀OBの紹介で、願ってもなく米国BIG3のひとつである、日本法人に入る途を作ってくれた。


当時、商社からの転職はもったいない~と周囲から慰留をされたが、自分の時間が持てない生活に

我慢がならなかった。 当時、独身寮に入って、ある意味 大学の時の部の延長みたいな生活。


プライベートのある人間らしい生活をしたい!と思った事が一番の理由であった。


ここで、始めてSupply Chain Managementの実務を経験させて頂いた。


米国と欧州、そしてタイにある生産工場から、日本市場や、一部台湾市場へ、調達する仕事で、アジアパシフィック間の担当としての仕事。


文書もシステムも、メールも100%英語、そして会議も~という世界に放り込まれて、前職は海外取引の

商社とはいえ、所詮 日本企業だったのだな~と強く感じた。


そんなとき、香港の彼らは急遽、家族でオーストラリアへ引っ越すニュースが飛び込んできた。


返還を前に。96年のことだった。


次回へ~



その半年後、12月のクリスマス時期に再度、香港の啓徳空港に降り立った。


相方の妹さんがオーストラリアの大学を卒業を控えていた。


なんとその大学のクラスメートと、電撃結婚をするという。彼は香港の男の子だった。 で、香港に行けば、会えるということで、どんなカルチャーなのかな?等々の好奇心から。またきらびやかな香港の町並みの夜景にも

魅力があったのだ。


この時も、背伸びして今度は、九龍側のペニンシュラに泊まってみた。


丁度、新館を新設中の頃で、工事中の中、少し 落ち付かないのが残念であった。


朝、妹さんと彼氏が、ライトブルーのベンツでピックアップにホテルに来てくれた。


ずいぶん凄い車に乗っているなあ~


背丈は180cm前後、でスラッとした感じの青年で、キレイなBritishな早い英語で話し、正直 当時の自分は

7割聴き取れていなかった。 商社に勤めながら、また相方や妹さんのの手前、とても恥ずかしかった。


また彼ら行き付けの飲茶や、レストラン、またマカオの英語の日帰りツアー(日本語のツアーはかなり暴利であることを知る)をアレンジしてくれた。 毎日朝から、晩まで滞在中、べったり案内してくれた。


暇なのか?どんな仕事をしているのだろう? うん? これが、華僑的接待なのかな? なんて考えていた。


街もだんだんと香港返還前にして、返還されたらどんなことになるのだろうと、漠然と考えていた。


続く.................. 

 

わたしと香港の付き合いは、93年が最初。


もう少しでかれこれ20年弱になる。


当時、バブル華やかしき頃、 商社時代のひよっこの頃、 当時付き合っていた、というか今の相方が案内してくれたのが最初だった。 


最初は、のんびりリゾートでも行こうと考えていたのだが、アジアの都市もいいかな?と

軽いノリで行ったのだった。 


仕事上では、ターゲットがずっと英国と米国であった事と、学生の時からに興味が欧米にしかなかった。

卒業旅行もNY方面だったこともあり、アジアに縁のなかったワタシにとって、香港はとても新鮮に思えた。


当時はまだ返還前。空港もあの啓徳国際空港で、スリルあるランディングを体験したくて、敢えて昼便を選んだ。夏休みをとって行ったのだが、空港を降り立った時の、あの蒸し暑さは今でもセンセーショナル、あの感覚は

今でも忘れられない。


その頃、相方のおともだちがキャセイのCAをしていて、滞在中、いろいろ案内をしてもらった。


おきまりの飲茶や、広東料理店、アフタヌーンTEAや、夜はクラブまで、また在香港で働いている同世代の

人達の飲み会にも入れてもらったりした。


滞在先は、当時出来たての香港島のハーバー沿いにあるグランドハイアットに背伸びをして泊まった。

個人で航空券をとって、ホテルをとって行ったのだが、かなりお財布的にきつかった想い出がある。


部屋から、湾がよ~く見えて 英国海軍のミニ空母や、護衛艦が係留されていて、お~ロイヤルネービー

だ!!と興奮した覚えがある。


この時は、香港が今後、深い縁になるとは夢にも思わず、あくまで観光気分でお気楽に楽しんでいた。



次回へ~



宮仕えの身から、自ら飛び出して数年。



その後、華僑家族の縁で、日本と香港、そして中国本土の間におく身となった。


これから日々の生活や、趣味、そして自ら実践している投資、関する私の考えなどを日記に綴っていきたいと思います。



どうぞよろしくお願いいたします。