近くの祭りは、博多祇園山笠ですが小さい頃から親しんでいたのは唐津くんち。

創建に神功皇后の伝説を持つ唐津神社の祭礼です。

今の唐津くんちに続く、最初の曳山ができたのが1819年(文政2年)とあります。

上記写真 2018年11月3日

1818年は、1787年15歳で就任の11代将軍 徳川家斉の時代。

老中首座に松平定信が任命され、寛政の改革を行なっていた頃です。

唐津藩は、1817年陸奥国棚倉藩から小笠原長昌が封入。

棚倉藩は、関ヶ原後1603年立花宗茂が入部して立藩したところだった!

知りませんでした。

棚倉藩は、今の福島県棚倉町。ここには、約200年の歴史があると言われる棚倉秋祭りがあり、大屋台がでます。

200年まえと言うと、1820年くらい?

小笠原長昌は、1746年 父の3代掛川藩主小笠原長恭の代に、遠江掛川藩から陸奥棚倉藩に移封。

掛川藩の静岡県掛川市には、掛川祭りがあり現存最古の祭り屋台が1849年に購入された記録があるようです。

調べていくと楽しいです。

 

赤獅子は、最初の曳山で先頭を務めます。

上記写真 2016年11月4日

祭りは、11月2日夜の宵山から始まります。

11月3日は神幸祭で、先頭の赤獅子は御幣を奉じて先頭を行きます。

一番上の写真は御幣がついている赤獅子です。

4日は、町廻り祭りとなります。

 

赤獅子は、唐津市の刀町で作られただしものです。

法被に町々の印を染めています。

上記写真 2016年11月4日

白に「刀」の文字が染めてある衣装、これは肉襦袢だそうです。

下着にあたる部分です。

 

法被はこの肉襦袢の上に羽織ります。

年長者が羽織っている姿は時々見ますが、若者が来ている姿はあまり見かけないように思います。

上記写真 2011年11月3日

曳山の前の黒っぽい長裾の衣装が、刀町の法被です。

装束は、江戸時代から続いているのではないことをどこかで見た覚えがあります。

 

動画で見ると、宵山 3日の神幸祭は、山の上の人は法被(黒い)。

4日の町廻りは、肉襦袢です。

前に、神幸祭の時は神様の先導を務めるため、下着の肉襦袢にならないと聞いたような(不確かです)

綱の先頭あたりは子供や若い子なので、まだ法被を持っていないような気がします。

唐津の祭り装束は、揃えるととても高いと聞いたことあります。

 

江戸時代の頃から明治の初めは、思い思いの装束、裸 などと聞いたか、読んだか・・

今のような形になって 100年は経っているでしょう?

100年前の1920年は、大正9年 原内閣解散1年前です。

1920年は 最後の曳山が1876年 明治9年に完成しているので、44年経っています。

また、くんちの襖絵は、1883年 明治16年 とあったので、37年経っています。

探して 想像してみるのは面白いです。