祇園祭 後祭り 2番目のくじ取らず 北観音山です。
自分の忘備録を考え書いていますが、山鉾を1基づつ書いていくと考えるだけで気が遠くなる。叫び
こんなに書く予定でもなかったし。ガーン

宵山では六角町にある北観音山 北を向いています。

ググってみると、「1966年に前祭 後祭が同じ日に巡行になる前、後祭の出発は三条でした。
そこへ行きやすいように北向きに建てていて、後祭が復活した今年も北向きに立っている。」
という記事を見かけます。

勝手に妄想すると
内裏が北にあるから北向きに、などと考えていました。

北向きだと、四条へは逆方向。
四条スタートだった2013年まではどうしていたかというと、最初に北へ向かい町の端まで行き、後ろ向きに四条に出ていたようです。フラッグ


2014年7月24日 巡行が始まる前の北観音山です。

後祭 2番です。
1871年(明治4年)、少なくとも、蛤御門の変前の1863年までは、南観音山と隔年巡行でした。
隔年の時に、北と南の観音山は何番目だったのかは、見つけられませんでした。

後祭が復活した今年、北観音山の欄縁は赤のものを使ったようです。

新調したのか、今までもっていたものを使ったのは不明です。
KBSの生放送では、「今年は赤い欄縁です」というようなさらっとした解説でした。

2008年の北観音山を見てみると、黒の欄縁です。

黒の欄縁は、「唐獅子牡丹等錺金具」などと「祇園祭山鉾連合会」などをはじめ、色々なところで紹介されています。

屋根の上にいる人たちは、「屋根方」と呼ばれ、明治中ごろから乗るようになったそうです。ビックリマーク
役目は、巡行中に、障害となるものが出た場合のさばきとのこと。

2014年と2008年で囃子方の浴衣(何と呼ぶのかわからないので)の柄が違います。目
北観音山では、隔年で新調するようです。
毎年の所など、町によって違うようです。

北観音山、とても大きな真松が建てられています。
その真松、籤を引き(松取式と呼ぶとの文章もあり) 北観音山と南観音山とで選びます。


こんなに大きな松なんです。

この松 北観音山には尾長鳥がいるそうです。
2013年までは、北観音山に鳩 南観音山に尾長鳥だったそうですが、江戸時代の本の絵にはそうなっていたのですが、説明文では逆のことが書いてあったそうです。
そこで、どちらを採用するかと話し合った結果、今年から説明文を採用したとのこと。
(2014年7月14 京都新聞の記事より その記事では「祇園御霊会細記」「山鉾由来記」)
この写真のどこかに、尾長鳥がいるのでしょう。


これは、2008年の北観音山。鳩がいるのでしょう。

欄縁にしても、尾長鳥にしても、祇園祭に関わっている人か、京都に住んでいる人にしかわからないと思います。
巡行を見ているときは、こんなこと一切気が付きませんでした。
F1ではありませんが、オーディオガイドがいるんじゃないの?って思いましたヘッドフォン

北観音山は、山舞台には楊柳観音像と韋駄天立像を安置している曳山。
楊柳観音は、初めて聞きましたが、種々の病難の消除を本誓とする観音様で、掛け軸に描かれることが多かったとのこと。
なんと、近くの鏡神社にもこの観音様の掛け軸があるようで、重文に指定されています。あせる

巡行の時に、後ろに柳を差しているのは、観音懺法にちなむものだそうです。
柳は、巡行が終わると、来ている人たちに振る舞われるそうです。グッド!