第17話 連邦準備銀行への侵入
ワシントンD.C.の夜は、静かであればあるほど不気味だった。
FBI本部の大型スクリーンには、金融市場の混乱がまだ続いている様子が映し出されている。
株価は異常な乱高下を繰り返し、投資家たちの恐怖が増幅されるにつれて、市民の不安も波紋のように広がっていた。
だが、アレックスの目は市場の数字ではなく、サイバー班が割り出した通信ログに釘付けだった。
そこには、信じられない文字が浮かんでいた。
――「FRB SYSTEM ACCESS」。
「……連邦準備銀行だと?」
アレックスの声が震えた。
FRB。アメリカ金融システムの中枢であり、ドルを発行する“国家の心臓”。
ここが侵入されれば、ただの株価の乱高下どころではない。
ドルそのものの信用が揺らぎ、アメリカ経済全体が崩壊しかねない。
マヤは資料を握りしめた。
「航空、株式市場……全部、序章だったのね。本当の狙いは最初からFRB」
彼女の声は冷静だったが、その目の奥には強い焦燥が宿っていた。
***
ニューヨーク連邦準備銀行。
巨大な要塞のような建物の地下には、世界最大級の金塊が眠っている。
だがセルゲイが狙っていたのは黄金ではない。
その奥深くにあるデジタルシステム――FRBのリアルタイム決済ネットワーク。
セルゲイはラップトップを前に、ゆっくりと手を動かしていた。
隣には偽マヤが座り、脚を組みながらタブレットを覗き込む。
彼女の指先が長い髪を弄び、赤い唇が不敵に歪んでいた。
「準備は?」
セルゲイの問いに、偽マヤは笑った。
「完璧よ。FRBの認証サーバーは、あなたが植えた“種”で既に侵食されてる。
あとはトリガーを引くだけ」
セルゲイの指が一瞬止まった。
「国家は鉄壁を誇るが……鉄壁は一度ひびが入れば一気に崩れる。美しいものだ」
画面上のコードが一斉に走り出す。
「FRB内部ネットワークへアクセス開始」――無機質な文字が流れるたびに、二人の呼吸はわずかに速まった。
***
その頃、FBI特殊部隊はニューヨーク郊外のセルゲイのアジトを包囲していた。
突入の合図を待ちながら、アレックスはイヤホン越しにサイバー班の声を聞く。
「セルゲイの端末からFRBへの侵入を確認!数分以内に中枢サーバーが掌握される!」
アレックスは歯を食いしばった。
「間に合わない……!」
だが、その隣でマヤは静かに銃を構え、低く呟いた。
「必ず止める。セルゲイは私の因縁だから」
彼女の決意を見て、アレックスは短く頷いた。
「突入だ!」
特殊部隊が一斉に突入し、アジトの扉を爆破した。
閃光弾が炸裂し、白い光と轟音が狭い空間を支配する。
だが――セルゲイの姿はそこになかった。
残されていたのは、複数のラップトップと、まだ稼働中のサーバーラック。
画面にはFRBのシステムへ侵入するログが流れ続けている。
「チッ!囮か!」
アレックスが叫ぶ。
その直後、ニューヨーク市内の別の場所――FRBの地下通信ノードが一瞬ブラックアウトした。
***
FRB内部。
通常ならば外部から直接アクセスできないはずのネットワークが、何者かにこじ開けられていた。
オペレーターたちは必死に遮断を試みるが、画面上の赤い警告は止まらない。
「システム侵入を検知!メイン決済サーバーが乗っ取られる!」
「無理だ!ファイアウォールを突破されてる!」
緊急アラームが鳴り響き、FRB全体が騒然となる。
その様子を、セルゲイは別の隠れ家から冷静に眺めていた。
「人間は、紙幣の価値を信じることでしか生きられない。
ならば、その信頼を壊すことこそが最も効率的なテロだ」
偽マヤは椅子に腰掛け、脚を組み直しながら唇を舐めた。
「紙幣の数字を狂わせるだけで、国が崩れる……最高の舞台ね」
セルゲイは小さく頷いた。
「ゲームは、最終局面だ」
***
FBI本部のサイバー班は必死に対抗策を模索していた。
「FRBのシステムに“シャドウアカウント”が作られてる!
もしこれが稼働すれば、巨額の資金が勝手に移動する!」
「金の流れを完全にハイジャックされるぞ!」
アレックスはマヤに振り返った。
「奴の狙いは資金の消失か?それとも信用破壊か?」
マヤは一瞬の沈黙の後、答えた。
「両方よ。資金を混乱させて信用を崩す。……でも、本当の標的は“人の心”。
市民がドルを疑えば、それでアメリカは沈む」
その言葉の重みを誰も否定できなかった。
アレックスは決断した。
「マヤ。君に任せる。セルゲイの癖を知っているのは君だけだ」
マヤは頷き、ノートPCに向き合った。
彼女の指先がキーボードを叩くたび、セルゲイが仕掛けたコードを逆追跡する。
だが――背後で冷たい声が響いた。
「面白い。君は本当に、俺の一手先を読む」
全員が振り返った。
そこに立っていたのは、なんとセルゲイ本人だった。
防弾ベストを着込み、銃を携えながら、不気味な笑みを浮かべている。
どうやって侵入したのか分からない。
だが確かに、彼は“ここ”に現れたのだ。
「FRBを止めたいか?ならば俺を撃て」
セルゲイはそう言い放ち、ゆっくりと銃口をマヤに向けた。
会議室の空気が凍りついた。
マヤは銃を構え返し、彼の目を真正面から射抜いた。
「……セルゲイ。あなたを止めるために、私は生きてきた」
二人の視線が交錯する。
その緊張の一瞬、FRBのシステム画面には恐るべき文字が浮かび上がった。
――「全システム停止まで、残り180秒」。
国家の心臓が止まろうとしていた。