エシャに案内されて湖近くの家の中に入った。一般住民の家の中はそんなに広くはない。
「ここが私の家よ。そこの椅子に座って」
彼女はキッチンでティーカップを二つ並べた。紅茶でも入れてくれるのだろうか。リビングルームに置かれている木製のテーブルの前で腰を下ろす。
「ご家族はいないの?」
「父と母は四年前に悪性のウイルスにかかって亡くなったの…」
「ごめん、悪いことを聞いた…」
「いいのよ。今ではひとりだけの生活も慣れてきたし、それに私には皇帝がいるから」
エシャがトレーにカップを二つ並べてテーブルに運んできた。
「皇帝?」
「そうよ。湖のそばで塞ぎこんでいた私の面倒をみてくれたのが皇帝なんだよ。皇帝はいつも言ってる。異世界の医療技術があったら君の両親を死なせることはなかったって。別に皇帝のせいで亡くなったわけじゃないのにね。お口に合うかな。少し甘めになってるけど」
(やっぱり、ザフィネスは悪い人じゃないんだ。それなら、何とか争いを止める方法を考えないと…)
「有難う」
一口飲んでみた。甘い香りとともに香ばしい味が口の中に広がっていく。
「わっ! めっちゃ美味しい! こんなの初めて飲んだよ!」
「よかった。お口に合うか、ちょっと心配だったの。タクヤの世界はどんなとこなの?」
「まぁ、学校とかあってさ。何かと勉強、勉強で逃げ出したいくらいだよ」
「じゃあ、しばらくはこっちの世界でゆっくりできるね」
「それもそうだね。こんな静かなところでゆっくりできたら幸せだろうなぁ。それに…」
そんなことを言いかけたとき、また頭の中にあの女性の声が聞こえてきた。
“あなたはこの世界にいてはいけない”
突然の声に俺は頭を抱えた。
「どうしたの?」
「いや、こんなことを言うと変な奴だと思うかもしれないけど、時々、頭の中に女性の声が聞こえてくるんだ」
「どんな感じの?」
「そうだな。何か、テレパシーで話しかけられているような感じかな。直接脳に話しかけてくるんだよ」
「テレパシーか…。そういえば皇帝がガーティア渓谷を通るときにそんな声を聞いたことがあるって話してくれたことがあったよ。きっと、皇帝ならわかるんじゃないかな」
「皇帝か…。そうだ、ちょっと聞きたいことがあるんだ!」
「何ですか?」
「皇帝も知っているらしいけど、黒い稲妻って誰のことなの?」
「私も時々その名前を耳にするけど、誰かは知らないです。皇帝とドアル将軍だけがどこかで秘密裏に会っているらしいよ。それよりさ、タクヤ、お腹すいてるんでしょ? さっきからグーグー鳴ってるよ。今、ホットケーキ作ってあげるよ」
実はザフィネスの邸宅で目覚めたときから、すでにお腹が鳴っていたのだ。それもそのはず、長いこと食事をとっていない。
「ははっ、聞こえちゃってたか。是非、お願い!」
(この国から行ける範囲にいるということかな。とにかく、今は、おなかすいたぁ…)
その頃、信号弾の方向へ駆けつけた俺達は…。
「キスカ、確かこの辺だったよな。信号弾が上がっていたのは…」
俺達は信号弾が打ち上げられたアステイト近くまで来ていた。しかし、打ち上げた者もいない。
「ガードナー! あれを見て!」
キスカが指した方向に黒ずくめの男がエイシン川に向かって、荒地を走っていくのが見えた。
「あの野郎!」
「た、助けて…くれ…」
近くの草むらの中から、今にも死にそうなほどの男の声が聞こえる。キスカが素早く近寄る。
「ガードナー! 怪我人よ!」
「畜生! こんな時に…」
ガードナーは逃げていく男の背中を悔しそうな目で睨み付けた後、怪我人の状態をみた。四十代ぐらいの戦士らしき男の腹部には鋭利なナイフが刺さっていて、大量の血が流れている。
「まずいぞ! このままじゃあ出血多量でくたばる!」
「姉さんがいる病院まで連れて行けないかな?」
「とにかくやってみるしかないな! 急ぐぞ!」
男を抱えて走り出そうとするガードナーをキスカが止めた。
「待って! ここに何か落ちてるわ! きっと、さっきの男が落としていったものよ!」
「何だよ?」
二つ折りになったカード入れのようなものを手に取って中を確認する。中には写真が一枚入っていた。
「あっ! これは…!」
キスカは信じられないという表情で写真を見つめている。
「何だよ! あの男の写真でも入っていたのか!」
そう言いながら覗き込むガードナーも、それを見た瞬間、体が一瞬硬直した。
「この写真は、まさか…」
そこには二人がよく知っている人物が写っていたのだ。