こんばんは
今日で東横9000系引退日から1ヶ月、明日で直通運転開始から1ヶ月です。
早いもんですね~
1日経ってしまいましたがちゃっと予定していた物は更新します。
昨日ラストランを迎えた200系新幹線
その最後の走りを最後まで見届けた18歳、一人の男がいた・・・
と密着したいところですが、勝手にやってはいけないのでここは省略←
なのでタイトルを使い僕から200系へ書きたいと思います。
夢
その中停車していたのがこの頃はまだ活躍していた100系顔の200系です。
いつかあの列車に乗りたい!と思っていたことでしょう。
(実際この夢は叶いました)
小さい頃はこの列車を運転してみたいという夢があったと思います。
愛
行って撮影しました。 これは地元から1000円を超える
運賃での撮影は初めてでこの時のみでこれからもあまりないと思います。
なぜこのようなことをしたのかというと愛があったからだと思います。
大宮やその他沿線などの激パを避けたという理由もありますが、
大宮以北で撮って見たかったのでかったのです。
感謝
その間に乗った人はきっと安全に快適に旅をできたと思います。
そして僕が印象深いのはK25編成です。あれだけの強震を受けながら
乗客を守り抜いた。きっと感謝されたと思います。
僕も30年の活躍に感謝します。
感動
最初の部分で紹介した男に誘われてこの200系を撮影しましたが
初対面の200系に大きな感動が生まれました。
この団子鼻はやっぱり格好いいですね!
笑顔
だが200系の方が早く来てくれたのでなんとか回避
これには撮影写の皆さん安心の笑顔がこぼれました。
もし被っていたらどうなっていたことでしょう・・・
涙
これはたくさんの人が当てはまるのでは無いでしょうか・・・
僕も少し当てはまるかもしれません。
最初の方に出て来た男は終着新潟で流したそうです。
この歌の歌詞わざと涙を最後にしたのでしょうか
人間絶対別れがあります。
その時に流すのが涙です。
今回はこの200系に向かって何人の人が流したでしょうか・・・
こんな感じで写真と文を書きました。
下手な文ですが最後まで見てくれてありがとうございます。
もう僕が200系に目覚めたときには
この3本しか残っていませんでしたがこの3本はしっかり記録できました。
自分でカメラを待ち始めて初めて撮った200系の写真がこれです。
分かるはず無いですがK47です。
なぜこんな写真になったかというとカメラの設定を
当日行われた甲種の撮影のままにしていたからです。
武蔵浦和ホームにあがったから200系が通過していたので
急いでカメラを取り出し撮った物です。
非常に悔しかったですが翌日撮れたのであまり悔いはありません(笑
その際大宮17番線ホーム入線を信じて一路大宮で
待ち構えているとちゃんと17番ホームに入ってきてくれました。
16番が当日の営業を終了していたため照明か付いていなかったですが
団子鼻だけはしっかり見えるようになってます。
ホントは駅端から撮りたかったけど時間が時間なのでしょうがないですね。
そして14日のラストラン日
一部の人は知ってると思いますが、一時はどうなるかと思いました。
まず向かったのはテレビの取材カメラも来ていた日暮里付近の橋の上
順光の元大宮で客を降ろしたK47が東京へ上って行きました。
見えにくいですが、側面に特製ステッカーも貼ってあります。
ここは200系通過時50人ほど撮影者がいました。
どこで撮ろうか迷っていましたが撮りたいと思っていた
スカイツリーと一緒に撮れる場所を探していたらここにたどり着きました。
逆光気味だったのでスカイツリーが見えにくいですがカメラに収めることができました。
そして最後のメインステージは熊谷にて
MAXと被りそうだったということで非常に心配されていましたが、
被りもせずしっかり撮れました。
0系の時のようにはなりませんでしたが、
後輩が先輩を抜かすという姿を収めることができました。
30年の歴史に幕を下ろした200系ですが
僕とのふれあいがあったのはたったの2ヶ月弱でした。
この短い期間だけでも200系に目覚めさしてくれた
アメンバーの某氏、感謝しています。
200系よ30年間ありがとう!さようなら!