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覺王山日泰寺の桜 2022 4 1 名古屋市 ふらり四十一
no1047
2022.4.1
ぽつうムービービュー
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2022
櫻
Rouzinsyounen
名古屋市東部、東山丘陵の人気スポット、覚王山、
鐘楼、五重塔、快晴の空に映える、日泰寺の桜です。
覺王山
日泰寺の桜
名古屋市 千種区内2022
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戦後昭和の幻映(十五)/復刻記事
/おまけ
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テーマⅡ:おまけ
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おまけ
2022.4.1
「テレビ」
「戦後昭和の幻映」 (十五)
消えた日常の数々
まだ少年時代の、昭和30年代の話ですが、我が実家と棟続きの母屋が、母の生家で、当時は「本家」と、呼んでいました。「本家」には早くからテレビがあり、よく見せて頂きに行きました。テレビの登場と普及、そしてその変遷は、「戦後昭和」を語る上で、外す事は出来ません。テレビと言う不思議な「箱」は、人々の驚きの中で登場し、その姿を変えながら、世の中を動かす様な力を持つ、暮らしの大きな一部分にまで成長しました。
私が生まれた、昭和28年に始まったテレビ放送は、10年後のオリンピック(東京)の開催を前後して、カラー放送と衛星中継がスタートします。キューバ危機、ケネディー暗殺、ベトナム戦争などのニュースが、リアルタイムで茶の間に流されました。誰もが、目も耳もテレビに釘付けにされ、テレビは常に一家の中心に在りました。
チャンネルのダイアルとブラウン管が姿を消し、リモコンと液晶に変わるのは、まだまだ先の、平成になってからですが、昭和時代に姿を消したものも、ありました。その代表がテレビの扉です。
観音開きの木製の扉が付いた箱の中に、テレビが納まっていて、見る時にはその扉を開いて、スイッチを入れました。扉だけでなく、その中に、映画館の幕の様に、カーテンが付けてあるものもありました。
当時の、ラジオと裸電球に対するテレビと蛍光灯は、今の、アナログと蛍光灯に対する、デジタルハイビジョンとLEDなのでした。
新しいものの価値が、古いものの価値を容赦なく退ける、そんな現代社会の始まりの象徴が、テレビなのかもしれません。すっかりパソコンの奴隷になってしまった者が、言う事ではないのかも知れませんが。
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