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はなぐもり 2022櫻 エドヒガンザクラ

 

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2022.3.19

 

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さくらんぼ  戦後昭和の幻映(三)/復刻記事

 /おまけ

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テーマⅡ:おまけ

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おまけ

2022.3.19

2017年02月09日更新の、旧ぽつう168号からの復刻記事です。   

     して使う文化と「下駄」の日々    

   「戦後昭和の幻映」 (三)      

                                 消えた日常の数々

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 「金物よろず直し」、この手の修理屋さんは、前回述べたように、単に修理だけではなく、再生、リサイクルの役目も大きくて、修理用の部品も、買い取った壊れ物から、分解して外し、再利用します。コウモリ傘が良い例で、数本の壊れた傘が、1~2本の中古傘と、数十個の部品に生まれ変わり、部品はまた修理に使われます。

 いよいよ要らない物は、くず鉄問屋や、廃品問屋に売りに行きますが、そこでもまた、一仕事するのです。ハンドルとペダルのない三輪車を持っていれば、くず鉄で売ってしまう前に、ハンドルとペダルの「無事」な三輪車をまず探し、もしあれば、逆にそれを買って活用し、立派な中古三輪車を、一台生みだしてまうのです。

 店を開いている時でも、くず屋さん(当時の廃品買取業者)がリヤカーを引いて通りかかると、呼び止めて品定めをし、活用し、儲けになる物は買い取っていました。こうした地下茎のよにつながったネットワークが、「捨てずに直す」文化を、静かにしかし強力に支えていました。

 道端に店を開く修理屋さんに、もう一つ、「下駄直し」と言うのもありました。まず、その前に、カランコロンと鳴る下駄の音自体が、昭和に消えた、日常の音の一つである事は、言うまでもありません。まだサンダルが一般化したとは言えなかった、「戦後」の早い時期、ちょっとそこまで引っ掛ける履物は、圧倒的に下駄なのでした。

 特に夏場は足元が涼しく、とても具合の良い履物でした。学校から戻るなり縁側にランドセルを投げ出し、靴と靴下を脱ぎ捨て、下駄履きで飛び出したものでした。下駄のカランコロンとなる大きな音は、「宿題は?少しは勉強なさい!」と言う、諦め半分に母親がとがめる声をかき消し、うやむやにしてしまうには、この上なく好都合でした。

 更にこの履物が便利なのは、修理屋さんが来てくれる事です。鼻緒(はなお)が切れたり古くなったりすれば、新しい物に取り替えられるし、歯がすり減れば、カンナで少し削って、減った分を二カワで貼り足したり、刺し歯なら取り替える事も出来ます。薄汚れてしまったら、鼻緒を外し、全体に薄ガンナを掛ければ、新品のように綺麗になります。

 下駄の修理は、二~三ヶ月に一度、二日続きで来た事もありました。それだけ需要もあった様に思います。最近、木の良さが見直されて来ていると聞きます。もしかすると、また下駄の時代が戻ってくるのではと、思ったりもします。

次回へ

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