ある日のリフレ理論講義のときのこと。
適応症としての喘息を症例経験を交えながら説明していると、受講者から「副交感優位にするはずの施術なら、気管が狭まってかえって喘息が悪化しないか?」(要旨)との質問を受けました。
「ほう、それに気付くとは中々やるではないですか!」とちょっと煽てておきましたが、あながち煽てではなく、正当に評価して然るべき質問かもしれません。
確かに、施術自体は副交感に導くものですし、喘息は副交感緊張から起きる気道の狭縮に由来するものです。
ならば、施術が症状を憎悪させる原因になるのではないのか?という疑問は、素朴ではありながら、的を得ているのかも・・・と思い直して真摯にお答えすることにしたわけです。
色々な観点から答えることが出来ますが、この時は二点に絞ってお答えしました。
(1)
自然療法たる手技法はホメオスタシス(恒常的維持機能)を高めるのであって、生体のその時の不都合を無視してまで副交感優位にするわけではない。あくまで自律神経的な傾向性は?と問れたときに初めて「副交感優位」というキーワードが出てくるのである。つまり、機械的に、或いは一方的に副交感優位に導くのではないのだ、と。
例として、漢方生薬の中には同じ薬なのに、高血圧の人には血圧を下げ、低血圧の人には血圧を上げるという西洋薬では考えられないような効き方をする場合がある・・・を挙げた。
(2)
一般に交感神経と副交感神経はシーソー関係(拮抗関係)にあって、両方の神経が興奮する、若しくは両方の神経が鎮静化しているということなどない、と言われている。しかし、これは厳密な意味でいうと間違いである。両神経の働きが高まっている場合もあるし、両神経の働きが弱まっているときもある。人の身体は機械ではなく、ホメオスタシスが優先される生体なのだから、そういう場合も実はある、ということが分かってきているのである。つまり、一方で副交感優位にさせながら、一方で交感緊張させることが、施術的には可能だということ。いやむしろ、そうさせるのが自然療法たる手技療法の真骨頂である・・・云々。
とまあ、あらたまって文章で書くと、なんだか難しい表現になってしまいますが、要は身体の仕組みというのは機械的二元論でも化学的要素還元論でも説明しきれるものではない、ということを言いたかったわけです。
付け加えると、喘息発作というのは確かに一過性の強い副交感緊張からくるわけですが、その副交感緊張は日ごろの交感緊張のリバウンドとして起きるということを忘れてはいけません。
つまり、施術による副交感優位はリバウンドとして起きる強い副交感緊張の予防になるということです。
アレルゲンをそのままにしてさえ、施術の後の夜は発作が起きなかったというアレルギー性喘息の症例も経験しておりますから、これは間違いないところでしょう。
このように生体は、刺激を自身に有利に働くよう転換する性質を基本スペックとして有しております。これこそがまさにホメオスタシスと呼ばれる機能なわけですが、手技療法はそのホメオスタシスを他のどんな療法よりも安全に発動させる方法です。
誤治が極めて少ない療法なのです。
(少ないというだけで、全くないわけではありません。あくまでも正しい方法による、という条件付きによって成り立ちますーこれについては後述)
さて、そこから派生する話題としてもう一つ話が出ました。
癌に対する施術や如何?
すでに癌に罹り、それを薬で抑えている状態において手技療法の血液循環促進効果は転移の可能性を高めるものではないか?
この命題を是とし、施術を忌避する流派もあるくらいです。
一聞すると、もっともらしい理由に感じるのですが、喘息の例を思い出して頂くと分かるように、自然療法たる手技法は、「生体がもっとも都合良いように刺激を利用する性質」を利用することで成り立つ療法ですから、それは杞憂に過ぎません。
具体的にいうと手技法には免疫力を高める効果があるわけですが、この効果は転移リスクを相殺して余りあるものでしょう。また「流水は腐らず」の逆、つまり「停水は腐る」のですから、ここにも体液を停滞させない療法の意味があります。
西洋医学に代表されるアロパシー(対症療法)とは全くその本質を異にするのが、自然の力を利用する手技の妙用なのであって、算数計算のように単純に答えを出しても正解とはほど遠いと知らねばならないのです。
もう一つ。
モルヒネの効果を減衰させるので末期癌には用いないほうが良い、とする流派もありますが、意味が分かりません。
細胞を賦活し、それに伴い神経活動を活発にする効果がある、というところからモルヒネ無効説が出てきたものと思われますが、手技の援用を画一的に捉え過ぎている妄論です。
遠藤周作の有名なエッセーにもあるように、氏は人が人の手を握るというだけの文字通り単なる「手当て」が、モルヒネさえ効かぬ末期癌の患者の痛みを半減させるのを目の当たりにしました。その時、彼は驚きを通り越して、容易には信じられなかったようです。しかし、後年、自身の手術のあとの猛烈な痛みがまさに手を握ってもらうだけで半減した事実に愕然とします。後に彼はこのことを作家らしい視点で、その理由を推測しておりますが、いずれにせよ、手の力を見くびってはいけないのです。
モルヒネ無効説は病態、病状をわきまえず、強い刺激に終始した場合に起きた現象をすべての末期癌に当てはめた暴論とさえ思うわけです。これこそが誤治であり、手技を語る資格などない傍証ともなる論でしょう。
手技療法は安全とはいえ、病態や病状を正しく認識しないで行えば誤治はあり得るというよい例ですから、あえて引き合いに出しました。他意はありません。
以上、喘息の例から末期癌までについて少々論考しましたが、言いたいことは一つ。
ある単純な事象から推測される仮説は、そのまま全体としての身体に当てはまるものではない、ということ。つまり(簡単にいえば)「そんな簡単に解釈すべきではない」ということです。
めくるめく、目が回るような複雑な働きによって営まれている生命体は、それが故に単純な手技の技法に反応し、一見すると奇跡としか思えないような効果を生むことさえあるのです。それは生体の営み自体が奇跡的であるからに他なりません。