楊百万のサクセスストーリー
昨日スタンレー・ホーの話を書きましたが動画を
捜している途中に「東京マーケットワイド」の番組に
たどりついきました。
一般市民で工場の倉庫番をしていた楊懷定さんでした。
国債からはじまり株式投資で大成功して
通称「楊百万」とニックネームを付けられました。
上下の動画は通称、楊百万といわれている楊懷定さんの
サクセスストーリーの話です。本業のある方には
出来ませんが株式投資の参考にしてください。
スタンレー・ホーの波乱万丈の人生!

彼は40歳になるまで博打に関係ない堅気の仕事に
従事していました。香港人でしたがマカオで育ち
先祖代々ジャーディン・マセソン商会の買弁の仕事に
たずさわっていました。
(買弁とは白人経営者の通訳及び執務などを請け負う業務)
スタンレー・ホーの父親は投資に失敗して妻を残し二人の姉妹を
連れてベトナムに逃亡し妻とスタンレーは優雅な生活から
一夜にしてどん底の貧乏生活を余儀なくされました。
その後、アルバイトをしながら香港大学に入学しました。
その時代に日本人の知人の勧めで日本国策会社に努め
日本軍の軍事物資調達の仕事に携わりました。彼は秀才で
日本語、広東語、英語、ポルトガル語など数か国語の
読み書き出来、寝る暇をおしんで勉強したそうです。
貿易業務では貨物船で航海中に海賊との一騎打ち
命がけで戦い九死に一生をえて船主の信頼をえて責任者になる。
そこで実績を上げ独立し第二次大戦中、石油不足を補う為に
マカオで廃油を精製した燃料として販売し大成功しました。
しかし当時のマカオは友楽会ヤクザ組織が社会を牛耳っていて
彼の会社も乗っ取られて香港に逃げて振り出しに戻りました。
香港で事業に成功してから「必ずマカオに帰り友楽会をつぶす」
ことに執念を持ち続け香港・マカオの実業家の親友4名と
計画をねって潰しにかかりました。
小説を読んでいると、彼の人生は波乱万丈で、決して順調に
発展して今日を築いた訳ではありません。
大英帝国勲章をはじめ日本国からも瑞宝中綬章を受勲している
堅気の人でした。
しかしカジノ経営を堅気の人で全て出来る訳はないでしょう?・・
3年前に湾仔の福臨門酒酒家でエレベーター前で見かけました。
その時に周りの日本人は無関心でしたが私は顔を観て直ぐ分りました。
スタンレー・ホーを検索していましたら証券会社で
取り上げられた動画をみつけました。
興味のある方はYou Tubeで見てください。
暴風の日に都心まで出かけました。
一昨日の18:00ごろの突風には驚きました。
横浜では瞬間風速30メートルの強風で自宅付近の
吹き込んできた落葉、家庭用品、ゴミで大変でした。
私は当日18:00までに恵比寿まで行く用事で突風の中
下丸子を16:20ごろ出かけました。
当日小雨が降っていたので会社にある誰かの私物の
ビニール傘を勝手に拝借して武蔵新田駅まで歩いていました。
ところが駅に着くまでに突風でビニール傘がオチョコになって
使い物になりません。仕方なしに駅前の中華料理屋「青樺」に
飛び込んでオーナーの奥様にお客の忘れた傘を「貸してくれ」と
頼み込みました。
おかみさんは、気持ちよく貸してくれて助かりました。
貸してくれたと思っていても、貰ったつもりにしていましたが・・
その傘をよくよく見てみると、どこかで見た特徴のある傘でした。
何のことはありません、私が酔って忘れていった自分の傘でした。
翌日、家内が無くなっていた傘が出てきたと話していました。
理由を説明すると、言い訳じみるので無視しています。
歳とると無くなっている小物、持ち物も忘れている事さえ忘れてくる
ので弱ったことです。
スタンレー・ホー「ゴットギャンブラー」を読み直しています
2004年にゴットギャンブラー 楊中美薯 青木まさこ訳を
買って斜め読みし、途中から本棚にほこりが被っていました。
最近本屋に立寄る回数も減り買いたい本も少なくなりました。
「ゴットギャンブラー」 マカオカジノ王 スタンレー・ホーを
今回読み直している途中ですがゆっくり読めば中々面白い。
私はマカオは何回も行ったことがありますがカジノには
興味ありません。私の尊敬する方はHKドル「10ドル負けても
夜も寝れない・・株で一千万の含み損が出ても気にならない」
?・・もちろん香港ドルで話していると思いますが・・・
冗談でしょうが真実をついた言い方と思いますが私もここ数年
カジノで博打はいたしません過去に小額の月謝だけ納めて終りです。
飲む、打つ、買うの打つは株式投資で勝負事ではありません。
スタンレー・ホー自身も自らカジノで勝負事は一切しないそうです。
カジノ営業で稼いでも損したことが無いのです。
彼がカジノ王といわれるまでの波乱万丈の人生は中々の物です。
まだ読みかけ途中ですが「序章」に
「神は全く公平である。必ず誰にでも一度や二度のチャンスを
与えてくれるからだ。 機を失わずにそれをつかめるかどうか、
これこそが人生の分かれ道である」
カジノ王 スタンレー・ホー(何鴻橤)
続きは読み終わってから感想文を書くよていです。
今年の桜の開花は遅いですね。
4月1日 府中カントリークラブでプレーをしました。
昨年は3月26日は八分咲きになり四月の一週は満開に
なっていました。しかし今年は寒波で3月に入っても中旬まで
手袋、マフラー、コートが外せず過しました。
4月には行っても府中CCは郊外になるので都心に比べて
2度ばかり低いのでしょう。
4月1日でもつぼみが固く、このぶんで行くと4月8日過ぎに
ならないと満開にはならないでしょう。
府中CCは創設時の数年間に吉野桜を3000本植えたそうです。
もともと山桜も多く八重桜を入れると3500本近くになりますが
台風、土砂崩れ、大雨、コース改造等で現在は2000本ちかくに
なっているはずです。
府中CCで自慢できるのは経営は別にして桜吹雪のなかで
ゴルフプレーが出来る、ただ一つの自慢です。
したがってこのシーズンだけは何がなんでも
家内に文句を言わせないで毎年通っています。
それにしても満開時期になると18ホール各ティーグランド、
グリーンは花吹雪におおわれ風情があって見事なものです。
グリーン上のボールマーカーが花びらと同色になって区別が
付きづらく、まごつく事も度々ありました。
昼食とプレーの終わった19番ホール(食堂)で、
地酒で昔では二級酒「多摩自慢」正味一合入り400円と
塩辛でチビチビ飲みながら時間を過ごすのが楽しみの一つです。
府中CCの自慢話は運営は別にして桜吹雪の中でのプレーと
料理自慢は他の名門コース、一流コースでは40年間
お目にかかったことがありません。
台北市の台南料理「度小月」の美味しい擔仔麺(タンタン麺)
その時食べた「史記正宗牛肉麵」の店での美味しさと
自家製無添加の豆腐乳に感激しました。
今後、台湾のお土産は「豆腐乳」に限ります。
今回も松山国際空港に迎えに来てくれた楊さんと
ホテルに入る前の昼食にわざわざ食べに立ち寄りました。
今回タイペイ・インターナショナル・ベーカリーショーの
合間に台北市内の台南料理屋「集小月」で
美味しい擔仔麺(タンタン麺)雲白肉、牛肉丸、中国ソーセージ
いろいろ取り混ぜて食べました。
台北訪問の時は含め必ず寄りたい店です。
今回は昼食に日を改めて二回食べましたが
次回は夕食で一杯飲みながら数点のツマミ料理で堪能します。
店の由来は110年前台南の漁師がはじめた屋台料理です。
海が荒れる季節(小月の期間)漁に出れないので天秤棒を
担いで海老のダシで作ったスープ、麺を道端で食べさせていました。
その後は屋台料理として生活のかてにして貧しい一家を支えて
今日まで営業してきました。今は客が客を呼び台湾総統の馬氏も
わざわざ食べに来る有名店になっています。
先生もわざわざ食べに行くほど美味しい店ですが
台北店は20名入れば満席になる小さな食堂です。
今回の動画は初めて食べに行く方には参考になるでしょう。
昼食で四名で数点の小皿料理、お勧め料理、タンタン麺(擔仔麺)
タンタン飯、タンタンビーフンと食べきれないほど注文しました。
麺、飯、ビーフン丼は台湾50元(140円)程度です。

店の入口脇に張られた初代の方は漁師でしたが海の荒れる
小月期間は天秤棒を担いで行商した時代の写真です。

馬英九台湾総統の数年前の写真ですが
わざわざ一人で食べに行きたくなるほど好きな食堂です。
香港の食通の蔡 欄氏もわざわざ立ち寄る店でした。
但し店内は屋台風で決して近代的な設備ではありません。

小さめの器に盛られた擔仔麺(タンタン麺)ですが一杯50元
(140円)とツマミ数点あれば満足できます。

独特の臭いのある豚の内臓料理は日本女性は苦手と
思いますが酒の肴にはナンバーワンです。

「集小月」の台南料理が余りにも美味しかったので
帰国当日にもう一度一人で食べに行き、持込の
携帯ボトルにウイスキー「白州」を入れて
ビールと焼きたてのカラスミで時間をつぶしました。
前日北京の総経理はカラスミは値段が高すぎるので
注文しませんでしたが心残りがしていました。
カラスミ一皿台湾250元(700円)です。
写真のカラスミは数枚食べてから気がついて撮った写真です。
絶品でした!
田中真澄著者「実践的人間力」講座を読み終わって
2月21日 東京都菓子工業組合理事長、黒川耕次氏の
田中真澄講演会に参加したおりに買った「実践的人間力」を
読み終わりました。
買って一か月間机のわきに置いたまま読む気にならず
過ごしていました。本の表紙に
「自分の将来を真剣にお考えの方、この本のどこかの
ページでヒントを見出してください」
と書かれていたので読み始めました。
71歳までに仕事以外「ノム、ウツ、カウ」という少しだけ
いい加減な人生を過ごしてきましたが今からでも実行できる事は
心にいい聞かせて過ごしたいと思っています。
序章
「実践的人間力」を読む前に講演会を聞いてから読むと
著作者の考え方や実行している本質がよく解ります。
第一章
一身にして二生を生きる次代の到来
(老舗の生き方に学ぶ、創業は易しく、守成は難し)
定年後の人生も仕事に励むこと(仕事は探せば必ずある)
第二章
「人間力」とは何か、どうすれば身につくか
(道徳力の低下が国の衰退、日教組教育がダメにした)
第三章
「積極性」を支える「勤勉」さはどうしたら身につくか
(自分の好きな仕事に就こう、それが勤勉に生きる決めてである、
森信三氏の言葉に学ぶ)
第四章~第八章までありますが省略、
本の内容は宗教、哲学とは関係なく普段の生活態度を少しだけ
考え方を変えるだけで人生が変わると書かれています。
田中真澄氏は42歳から74歳まで日本全国7000回の講演を
していますので、いかに人気があるかお分りでしょう。
私も今回で二回目でしたが最初の講演から十年以上
経っていますので気持か薄れていました。気持ちを改めて
読み終わりましたら元気がでました。
普段この様な本を買う気になりませんが講演会を聴き感動し
買うことになりました。70歳からでもヤル気さえあれば実行
できることがたくさん書かれています。
特に22歳から70歳までの社会人の方々には是非、
講演会をお勧めできます。ネットで調べれば分かります。
続編 「大人の流儀」を読み終えて・・
ロングベストセラー伊集院静の続編「大人の流儀」を読み終えて
目次は「春 花 雪 月」に分けられて書かれています。
目次で同感、感激、人生の出来事、本音と建前の義憤読み終えて
自分の生き方に考えさせられる事などが書かれています。
☆世の中には馬鹿もいたほうがいい
☆若い時期にだけ出会える恩人がいる
☆鮨屋に子供を連れていくな
☆若い修行の身でなぜ休む
☆イイ人はなぜか皆貧乏である
☆相撲取りに社会常識を求めるな
☆人生、いたるところに旅がある
☆大人が口にすべきでない言葉がある
☆銀行家にハッキリ言っておく
☆二度と帰ることのない時間
☆父の腕に彫られていた「弱さ」 刺青
☆エリートは被災地に行かないか
☆こころの持ちようを変えた日
おわりに
東日本大震災の3月11日仙台の自宅で体験した出来事を
長文で書かれた文章は痛々しくて心がいたみました。
星~被災地から見たこの国
何千人という人が濁流の中で命をつなげる術を求めてもがいていた夜
あの夜、仰ぎ見た星のあざやかさは何だったのか・・・
私は今後発表する伊集院静氏の作品は必ず読むことにします。
理由は戦後,ハルピンから引上げ物心ついた少年時代、
貧乏で転校の度に嫌な経験から共通することがあるからです。
彼は私と違って在日韓国人として辛い思い、逆境を乗り越え
作家として尊敬できるからです。
タイペイ・インターナショナル・ベーカリーショー
華やかに開催されました。
台湾もどんな業界に女性の進出は多く役人の挨拶は
女性官僚でした。挨拶も手馴れたもので、
あがって言葉が詰まること無しに堂々としたものです。
台湾も家庭では女性上位で切り盛りしている事は間違いなし。
開場内でも全体の比率30%は女性にでした。
昨年のフランスで開催された世界パンコンテストでも
台湾は第3位に入賞するほどレベルが高くなっています。
台北市で開催されたベーカリーショーの開会式の模様です。
一般の方には面白くも可笑しくもない動画です。
開場の雰囲気はこの動画で見れると思います。
ひまな方だけ見てください。

役人にしては若くて美貌の持ち主でした。
出世するのにも仕事の出来が同じ一位が二人でたら
可愛い愛嬌のある美人が有利になるのは自然の成行きでしょう。

初日開場の人出は日本と比べてダントツに多いです。
二日目はもっと多くブースめぐりが大変でした。
日本経済が数年間右方下がりでは、仕方がない事実です

台湾の大手食品商社は日本の大手食品メーカーを取り扱っていました。

日本でただ一社独自で出展している九州のメーカーブース。
日本のスクラッチベーカリーの有名人も審査員を頼まれ
数名参加していました。
今日のブログは一般の方が読んでも写真を見ても面白くないでしょう。
書いている私も面白くないブログになってしまいました。
台北の夜の繁華街はタクシー暴行事件の影響があると思い
健全なボディーマッサージ60分コースで体をいやし
ホテルのBARカウンターで一人おとなしく時間をかけて
アイラ島のモルトウイスキー6杯で止めました。
ホテルの部屋で一人「白州」を寝酒に一杯のんで爆睡。
台北インターナショナル・ベーカリーショーに参加しました。
昨日は台北市で大変不愉快な日本人タクシー暴力事件を書きましたが
今回の台湾訪問は昨年の3.11東日本大震災義援金感謝の
目的で台北インターナショナル・ベーカリーショーに参加したのです。
全日本パン協同組合の一員として11名で台北訪問しました。
日本全国の協同組合から多額の義援金を全日本パン連合会に
寄付して頂きましたが隣国の韓国、中国を含めで義援金を
頂いた国は日本に親日的な台湾一国だけでした。
台湾からの多額の義援金は被害を受けた東北三県のパン業界に
再建資金の一部に回されました。
今回の参加で前夜祭パーティー、当日テープカット、
パン業界関係者800名ウエルカム・パーティーと盛大な
接待を受けて歓迎していただきました。
それとは別に北京から展示会視察に北京パン工場の
総経理、工場長も参加しましたが公式訪問とは関係ありません。
私は公式訪問やパーティー後に彼らと一緒におち合って行動しました。
今回は北京パン工場の再度、増産設備目的でした。
パーティー終了後、全日本パン連合会役員と別れた後
北京の総経理、工場長と二次会まで付き合いましたが
その後は「タクシー運転手暴行事件」後日本人に対して
反日感情が気になり足裏マッサージだけにしておとなしく寝ました。
皆様には興味のない業界ブログになりました。



