北京パン工場付近の工場長のお気に入り食堂の動画
パン工場付近のいきつけの食堂兼居酒屋の話です。
荒〇総経理をはじめ工場長とその部下が気に入っている
近くにある場末の食堂で昼食をしました。
刀削麺の美味しい食堂は寮生活している日本人社員をはじめ
パン工場従業員のお気に入りの食堂です。但し使われている
食用油はドブからさらった排油再生油と思いますが
現地にいると気になりません。彼らの言い分は体力さえあれば
発癌性物質など気にしません。
刀削麺は、つゆソバではなく焼きソバで注文しましたら
トマトで炒めた刀削麺で日本特有のナポリタンスパゲッテイ風で
大皿で8元ですが食べきれないので3人で二人前頼んで
三皿に小分けしてもらいました。
調理場を見たら食べる気にならないほど不衛生ですが
料理の出来上がり、色合い、味付けは満点
東京では昼間からビールを注文することは滅多にありませんが
北京滞在中は昼間からビール、ウイスキーは当たり前。
理由は胃腸のアルコール消毒を兼ねているからです。

工場長お気に入りのそば屋ですが私には漢字が読めない
店ですが場所はわかっているので不便を感じません。
北京市内の看板と違って旧漢字が使われていると台湾香港と
勘違いします。
B級グルメの代表料理にちかい動画ですが味はA級に
匹敵できます。横浜中華街でもこの水準の店は少ないです。
北京Qカフェーパン工場付近の動画
離着陸機がありますので宅地化する心配はありません。
北京国際空港から近い場所にQカフェーパン工場があります。
周りは現地の住民しか利用しない飲食店、スーパー、
雑貨屋、床屋、屋台などの商店街があります。
しかしパン工場設立当時はまだ少数でしたが、だんだんと
栄えてきました。ただし外国人は見かけたことがありません。
夜の治安は良くないので一人で出歩くのは危険と話していました。
北京滞在中はYou Tubeは一切規制対象になっているので
今回お見せすることにしました。
今回の動画はパン工場付近の商店街と3分おきに北京国際空港に
着陸機する迫力ある騒音を動画にしました。
71歳の元気で入れる残り10年の人生は・・
今年12月で72歳になりますが足腰が丈夫でいれるのは残り
10年と思っています。足腰丈夫でも痴呆症の兆候も無いとは
言えない事もしばしばあります。
社員を呼びつけても別な事に気をとられていると肝心な事を
忘れてしまいます。社員も「思いだしたら又呼んで下さい」と
真面目な顔で答えてくれる事もしばしばあります。
セガレを社長にしました報告連絡相談「ホウレンソウ」が全く
有りませんので私の出る幕も少なくなってしまいました。
残り人生は現役時代の横浜関内の飲み屋、BAR、スナック、
たまには新小岩、錦糸町まで足をのばして好きな事で過ごしたいと
考えていますが体力も落ちているので・・少し心配です。
著者 西川治氏世界ぐるっとほろ酔い紀行
」を再度読み直しました。
中国浙江省で紹興酒飲んでいた店の壁に書かれていた一節
対酒当歌 さあ、酒を飲んで歌おうじゃないか。
人生幾何 人のいのちは短い。
譬如朝霧 あたかも朝につく霧のようなはかないものだ。
去日苦多 過ぎ去った苦労の日々は多かった。
慨富以慷 胸を張り心を弾ませて。
憂思難忘 忘れ去ればいい。
何以解憂 どうやって憂いを解けばいいのだろう。
唯有杜康 それは酒をのむことだ。
「世界ぐるっとほろ酔い紀行」を再度読み直しました。
平成22年二月発行、23年二版を発行の酒飲みしか興味がわかない?
「世界ぐるっとほろ酔い紀行 」を再度読み直しました。
著者 西川治氏は私と同年代の昭和15年生まれの満州育ちでした。
私は6歳まで満州ハルピンで暮しましたが著者 西川治氏は
私と同じく6歳まで満州の牡丹江(ぼたんこう)育ちです。
どちらの地区もソ連から亡命した白系ロシア人が住みついた所で
北欧の食文化があった所でした。
「世界ぐるっとほろ酔い紀行」の序文に白系ロシア人の洋菓子店で
買ったチョコで酔っぱらった文章がありました。
4歳のころチョコレートで作られた人形の中にウイスキー入りの
ウイスキーボンボンを食べてすぎて真っ赤な顔になり医者に掛った
出来事がありましたが、私も食べた記憶があります。
昭和21年満州から引揚て来てから数年間チョコなど食べた事が
ありませんでしたがウイスキーボンボンの言葉も知っていたし
食べた記憶もはっきり覚えていました。
今でも鮮明に満州ハルビンのキタイスカヤ通りにあった
ビクトリア洋菓子店はワインをはじめ酒類を売っていたことを
はっきり覚えていましす。
西川治氏は酒に関する紀行と同じくウイスキーボンボンを食べていた
という事は4歳のころから酒飲みの下地はできていたのです。
私も小学校のころから正月のオトソの旨さも感じ、中学生のころ
は死んだ親父の使い走りに酒屋に4合瓶を持って合成酒、地酒、焼酎の
量り酒を買いに行って、帰り道に盗み酒もしていました。
高校生時代から下地が出来ていましたので親はあきらめていました。
下戸には理解できない酒と世界各地の酒の肴に関する
料理が詳しく書かれています。今回読み直しましたが私の聖書と
して今後、海外旅行の際には持ち歩く事にしました。
北京帰国後の体重変化について
北京帰国後の体重が3kgちかく増えてしまいました。
北京でのホテル住まいでは楽しみの一つは朝食でした。
北京ではドイツ系ホテルにしては他のホテルより食材は良いです。
呑みすぎても朝起きてからの楽しみは建物から出た内庭で
ゆっくり時間を掛けた食事でした。日本では昼食に飲酒は
しませんが現地では旨いベルギーのステラ・生ビールや
ドイツ生ビールが何時でも手軽に飲める店があります。
もちろん夕食にもビールはつき物でした。現地ではミカンより
安いライムを買ってライム1/2、ビーフィータージンをソーダーで割った
ジン・リッキーカクテルです。三人で、ジン一本毎日飲んでいました。
どこの中華料理屋でも持込料は請求されませんでした。
寝酒はブログを書きながらは毎日、白州ロックで数杯飲んで
睡眠薬がわりでしたが、寝付くまでは家内がうるさいと毎日
文句たらたらで参ってしまいます(自宅では家庭内別居)
梅雨がなく晴天続き気温30度あっても汗をかく事もないので
生ビール、ジンリッキーも美味く食欲も衰えません。
お陰で体重は帰国後は約3kgちかく増えましたが毎日会社出勤の
あざみ野駅まで真直ぐ歩かず遠回りして41分3.8km歩いていました。
東京駅から上野駅までが4kmですから短いようで長い距離です。
昨日、風呂に入った後の体重がやっと72kgにちかくなりました。
食事量は気持ち少な目ですがアルコール量は普段と同じ。
帰国後のビールは控え目にしてジンとライム、ソーダのジン・リッキー
カクテルにして風呂上りに必ず呑んで寝酒はもちろん
ウイスキーのロックで数杯、横須賀国立アル中治療センター行きは
覚悟していますの問題ありません。
業界の最大手の社長の出版パーティーに行ってきました。
パン業界の最大手社長の出版記念パーティーに出席しました。
北京から帰国後パン連盟の例会がありその翌日(6/15)金曜日
大手町の新築されたパレスホテルでYパン社長の
出版パーティーに家内同伴で呼ばれました。
東京パン連盟理事長として招待状が届いたのですが毎年8月
我々組合員希望者全員に赤坂サントリーホールで開催されている
コンサートーに招待してくれる関係での招待と思っています。
社長の出版記念挨拶の言葉の一つに昭和48年当時都内の
工場が火事で全焼してから一時立ち直れるか不安のなかで
事業に対して人生観、企業経営にたいして経営方針を変えて
当時、信仰していたキリスト教にすがるつもりで牧師に相談したそうです。
それがきっかけで思想家で現代経営学者、ピーター・ドラッカーの
教えを請うて忠実に実践しパン業界世界一の規模になったのです。
話はそれますが経済月刊誌に:ユニクロの柳井社長も
ドラッカー現代経営学を実践しているそうです。
出版した「生命の道」聖書をビジネスに生かす鍵がここにある、
本の帯に「危機の中で見いだした聖書の指針」と書かれています。
私には難しい内容で果たして最後の「あとがき」までたどりつくか・・
何しろ私は信仰心がふらふらしていて
元旦は横浜中華街の関帝廟で恭喜發財、家内は孫に学業順利の
お願い、葬式法事は天台宗、社運隆盛、商売繁盛は箱根神社
12月はその日だけのキリスト教でクリスマスケーキと
毎日飲んでいるバーボン又はモルトウイスキーでお祝い
大手町パレスホテルは立て直しされてから初めて行きましたが
パーティー会場に女優の松たか子、酒井美紀をまじかに見ましたが
美人は美人で別世界の人でした。
フランス料理のフルコースは食品メーカー役員をはじめ関係者が
多く食材特に和牛の最高級が使用され料理には大満足でした。
帰国後の仕事はパン組合の例会日でした。
北京帰国後の一日目は墨田区菊川に在る東京パン連盟の
例会日でした。
帰国便が遅くなり睡眠時間不足で頭の中はボーとしていて
集中力が全くありません。機内で飲んだ46度のウオッカが
あとを引いて辛い一日でした。
ロシア人が強いウオッカを毎日飲んでいれば頭の中は壊れて
しまうことを実感しました。ロシア人の早死にもこんなところに
原因があるのではないでしょうか。
会議が終わり会食をして帰るのが例会の現実です。
今日は真直ぐ帰宅するつもりでしたが、事務局から
今日は錦糸町でタイ料理で美味しいゲウチャウにしよう、と
言い出したので、錦糸町ならば半蔵門線一本であざみ野駅に
行けるので直ぐに同意しました。
生ビール、滅多に飲まない赤ワインなどでほろ酔い気げんになった
ところで、友人の一人が新小岩の行きつけの年増のホステスのいる
スナックに行こう!と悪い誘いを受けました。
彼はタイ料理もそこそこにして私の腕をつかんで帰してくれません。
しらふの時には今日だけは真直ぐ帰る、と宣言していましたが
浮世の義理でついつい行ってしまいました。
結局帰宅時間は午前様ちかくになって体調を立て直すまでには
時間がかかりそうです。
昨夜、北京から帰国しました。
北京滞在でやっと就労ビザの更新手続きが終わり一昨日帰国しました。
帰国便は北京発 JAL 024便 16;40発 羽田行きでした。
しかし機種変更で出発時間が17:00に変更されていました。
メールでお知らせがなかった(?)ので予定通り北京国際
第3ターミナルで手続を終えて出国できましたが
トラブル続きと出発時間待ちで結局
出発したのは日本時間19:15ごろになりました。
その間一時間以上機内で待たされくたびれてしまいました。
喉がかわいてカラカラになり疲れが一気に出てしまいました。
北京空港内免税店はろくなものしか売っていないので利用した
事はありませんが、待ち時間があったのでのぞいて見たら
ロシア製の高級ウオッカが数種類売っていました。
日本では滅多にお目にかかれない品種に、つい2本
買ってしまいました。機内で待ち時間に早速飲むことにしました。
本来ならば持込の飲酒は機内規定ではダメと分かっていましたが
客室乗務員に水と氷をもらいハーフロックで飲んでいました。
周りの乗客は匂いで分かっていると思いますが、とても旨い。
そのうちに羽田に到着して入国を済ませ税関検査を終えて
リムジンバス乗り場にたどり着いたときは23:00を
回ったところでした。予定では21:05着だったのです。
羽田国際空港は24時間空港になっていますが到着後の
交通機関は真夜中は運行していないので外国人には不便な
空港になっています。予定では22:20には自宅に到着する
つもりでしたが着いて寝たのは午前1:30になってしまいました。
利用できるのはタクシー以外は方法がありませんが
日本のタクシーほど高い料金設定は見たこともないし利用する事も
あまりありませんが問題です。
例えば同じ大田区内の羽田飛行場から大田区蒲田までの深夜料金は
5000円はかかります。まして都心までは一万円ちかくにはなります。
同じガソリンを使って台湾、香港、中国を比べると10倍~15倍の差の
料金になると思います。もちろん人件費の国際価格の差がありますが
どこに問題があるか分かりません。
タクシー運転手もどこの駅前でも待ち時間が多く商売にはなってる
とは思えませんが困ったことです。
いずれにしても24時間羽田国際空港といっても深夜は不便で
世界ハブ空港に比べて欠陥飛行場です。
マニー・パッキャオ世界ウエルター級選手権で判定負け。
北京滞在中にフイリッピンの英雄マニー・パッキャオの
悲しい知らせを6月11日のYahooスポーツニュースで知りました。
外国人技能実習生は中国成都市から採用していますが
フイリッピンからもマニラの大手パン企業から
実習生が来日しています。
その関係からフイリッピン送出し機関の友人と
マニー・パッキャオ側の弁護士が共通の知合いです。
ブログに数回にわたり近況と彼からもらったパネル写真の
サインは日本人としてはじめてのことだし、
日本人で現役世界チャンピオンとしての
サインも私のが最後のサインになったと思います。
ボクシングの世界で6階級を制覇した
マニー・パッキャオは、防衛戦で、ティモシー・ブラッドリーに
敗れました。試合内容は僅差で判定負けでしたが
残念で仕方ありません。
55年前の実在の映画「傷だらけの栄光」主演ポール・ニューマン
世界ミドル級チャンピオン ロッキー・グラジアーノの言葉
ニューヨーク市内の紙ふぶきが舞い散る
自動車での凱旋パレードシーンで車中の妻に
「今のうち良い思いをしとけ、いつかタイトルを失う」
「いつか右手もパンチを失う」
「避けられない」
「だが俺が勝ちとった栄光は誰にも奪えない」
「俺は運がよかった」
マニー・パッキャオも同じ心境になっていると思います。
ブラッドリーには約4億円、パッキャオには最低保証約20億円と
15億円の歩合が加わり合計35億円ファイトマネーが
支払われる、その他にWOWOW、広告料を含めると70億円
ぐらいになるでしょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120611-00000024-dal-fight
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120611-00000048-reut-spo
再試合は今年11月10日にブラッドリーと再戦を行う予定ですが
最後の試合になるでしょう。
中国就労ビザの申請がすみました。
3回目の就労ビザ申請が八日間を経て無事申請許可がおりました。
今回の就労ビザ申請は総経理の話ではいつもの年より厳しくなったと
報告をうけました。理由はある欧米人が婦女暴行事件を起こし
ネット上でも大変な騒動になっているのです。
政府をはじめ入国管理室も申請に慎重になっていています。
しかし71歳の私のイチモツは婦女暴行するだけの性能はありません。
今はトイレに行く時だけの機能しかなく、残念ながら口で言うほど
能力はのこっていません。
そんな心配よりもは71歳になっても本当に現役で仕事をしているか、
そちらの方が疑問に感じるのではないかと思いますが・・・
総経理はせっかく就労ビザ更新が出来たのでパン工場で
現場作業員になって粉にまみれながら作業はどうですか、と
持ちかけられました。下丸子に通っても仕事が無いのと同然だし
長男も今はあてにしていないし、邪魔になっているだけだよ、と
同情してくれました。
片道切符で北京に飛ばされた二人の下丸子社員も元社長が
一緒に働けば喜ぶでしょうと言わんばかりに話していました。
夫婦で工場敷地内の社員寮に住み込んで私は一兵卒になり現場仕事
家内は寮母で便所掃除から食事のまかないまでしてくれれば
死ぬまで現役を通せます。
「人生死ぬまで現役」は中々実現できるものではありませんが
私の理想は自分で選択できるので幸せに思っています。
ただし周りの迷惑を気にしていたらできませんけれどもね。
